2008年11月20日木曜日

勉強机を壊す?!

       記11月17日(月)
 自分の部屋には、勉強机が置いてある。
今日は午前中に地震の話で気が散ってしまい、ろくに仕事をしていなかったので夕方に思いなおして机に向かう。しばらく作業をしていると・・・
机のある壁の上のほうに釘がさしてあるのだが、その釘と紐を使って部屋の模様替えを思いついた。
気晴らしもかねて模様替えをしようとしたところ・・・
 釘の位置までは背が届かないので、机に乗ろうと片足をかけたところで、なんと
木製の机がグチャ
という音を立てて、崩れた。
机の上に当たる板がそのまま下に落ちたのだった。
机の上と引き出しにあるものは全てなだれ、机の板は曲がってしまった。あちゃ!
 聞くと、天板のように、ビスで簡単にしか留めて作られていないので、机の上に乗るのはダメらしい。つい、日本の感覚で大丈夫だろうと乗ってしまった。
体重が増加?していたせいもあるのかと思い、やってしまったぁ・・・
と思った瞬間には机の上と机の中にあったものがたたましい音を立てて落ちる。
その音を聞きつけてイブとイブの娘のDが駆けつけた。
壊れた机の前ですっかり気落ちしていると、「大丈夫!気にしないで!」と言ってくれた。
本当にたいしたことはないと言う感じの対応で、「パパが帰ってきたら壊れたって言えばいいよ」と言う。
 本当にごめんなさいと思いながら、パパの帰りを待って話をすると、「あーごめん!かなり古いから、気にしないで!今度は新しい丈夫なのを買うから!」とにこやかに言う。
神妙な顔つきだったようで、それを見ていたママは大笑い。
「今週はついていないね!(PCも1回壊れかけたし!)」
と、爆笑しながら慰めてくれた。
 確かにかなり使い込んだ机だったけど、普通に使っていればもう少し使えたのに。考えの足らなかった私。
日本に居たときからのことだから、やっぱり直らない!
ここでも、こわしちゃいました!
(これを見て爆笑している人が目に浮かぶようだ・・・とほほ)

寛大なホストファミリーの対応と、Tidak apa-apa(大丈夫だよ)と言う言葉に今日ほど励まされたことはないと思う。
こんなおおらかなインドネシア人、いったいどんなとき怒ったり困ったりするのだろうか?

地震の影響はなし!

       記11月17日(月)
 朝会社にいると、日本のKさんからTEL。
スラウェシ島で地震が起こったとのニュースが日本で流れたとの事。
心配して電話をくれたのだった。
別の島に居る同期隊員からも大丈夫かと連絡があった。

 こちらでは、地震があったという情報は全くなく、いつも通り出勤していた。
もちろん、同僚との話題にも出てはいなかった。
電話の後、あわてて同僚や教育局の人に確認するが誰も地震のあったことは知らなかった。
ネットも見られないので正しい情報も分からず。
 ネットのできる隊員から正しい情報が送られてきて、北スラウェシでの地震だという事が判明。
ちょうど同期隊員の派遣されている県だったので、心配していたが連絡が取れ無事だという。

 同僚に話すと、北スラウェシで地震は良くあるとの事。
でも、南スラウェシは安全だから大丈夫だよ。と、かなり楽観的に話していた。
地震の怖さを知っている日本人だから、隊員たちはかなり神経質に心配していたが、現地の人たちはどこか遠い国で起きた話のように、関心のない様子だった。
 きっと、日本でニュースを見た人たちには、心配をかけてしまったのではないかと思う。
これから、余震などに注意をしなくてはいけないけれど、今のところ何の影響もなく安全にタカラールで過ごしています!
TELやメールをくれた方、ニュースを見て驚かれた皆さん!
ご心配かけました!

PCの不調にドキドキ

    記11月16日(日)
 昨晩からつい先ほどまで、PCが使えずどうやったら直るのかと、隊員仲間に聞きまわっていた。
電源を入れたまま、長時間使用しなかったため、スリープモード(省電力モード)に自動的に切り替わったのだが、そのあとの再起動がうまくいかなかったのだ。
 以前も何度かこういう事があったのだが、その時は説明書の通り操作してできた。
今回は、説明書の通りに操作してみても動かなかったので、また違ったキーでも押してしまったのかと思ったりしていた。
 でも、今回ばかりはどうやっても動かずに、このままPC使えなくなったらどうしよう・・・とかなり心配してしまった。PCが使えないと、こうやってブログの更新も出来ないし、インターネットもしづらくなるし・・・
 かなり憂鬱になりながら昨晩を過ごした。
夜中に起きていじってみたけど、だめ。
今日はほぼあきらめていたのだが、さっき試しに操作してみると、今までと違う反応が・・・
なぜだ!
みごと、復活!
原因は分からない。と言うことは、また同じようなことが起こるかも。
でも、また使えるようになってよかった!(壊れたわけではないと思うけど)

日本からの便り②



            記11月15日(土)
 元同僚で、協力隊OGでもあるTさんからの小包が届く。
消印は10月8日。実に1ヶ月以上かかっている。
とはいえ、送ってくれていたことはE-MAILをもらっていたので知っていたのだが、なかなか自宅に届かないので、しびれをきらし今回も郵便局へ行ったのだった。
小包の出荷番号もすでに聞いてあったので、その番号を告げると調べてみるからと、郵便局員は言い、隣の部屋の荷物の収集所へ。
 なんとなく、荷物の積んであるダンボールの山をみわたすと、そのダンボールの一つは、なんと懐かしい日本語で「徳島にんじん」と書いてあるではないか!
中を見るまでもなく、これは日本からの荷物・・・つまり私宛の荷物だ!と説明をする。
一体この郵便局に何日保管されていたのだろう。
日本からはいくら遅くても1ヶ月以上はかからないはず。
とはいえ、保管されていただけでもラッキーだ!なくならなかったのだから!
いつ着いたの?と聞くと、しばらく考えてから、今日!と郵便局員の返事。
そんなわけないじゃん!と思いながらも、無事届いたからまぁ、よしとしようと深い追求はしないでおいた。
 すぐ持ち帰りたいからとサインをして持って帰ろうとし、自転車のかごに入れたら配達員が、配達しておくよ!とバイクに乗せてくれた。
バイクに乗せてある他の荷物を見ると、どうやら私の段ボール箱と共に、何日も放置されていたと思われるものたちだった。
やっと配達する気になったのか!という感じ。
でも、無事に届いた!!
 
 家に帰って早速開封。
箱の中には、日本製品がいろいろと入っていた!
それも、なんでこれが欲しいってわかったの?というものが、入っていてびっくり!
(かかとやすりとか、耳かきとか)
そうなんです!水浴びしかしないし、サンダル生活だから、かかとがざらざらなのだ。
何で分かったんだろう・・・
恐るべし元隊員。
その他、お好み焼きセットや味噌汁、のりなど、嬉しい日本食が!
そのバラエティの多さにいちいちびっくりしながら、すごく嬉しくなってしまった。

 学校が忙しい中、送ってくれた元隊員に大感謝!
そうそう、なんといってもこの派遣、受験のきっかけを与えてくれたのも、その後の相談に乗ってくれたのも、この夫婦なのだ。
彼女たちの隊員生活を聞くにつけ、派遣に胸膨らませていた。
自分も行ってみたいな。行けるのかな?と。
そんな日が懐かしく、今実際にこうして任地に居る自分をとても不思議に感じている。
 人との出会いと、ふとしたきっかけで、予想もしていなかった未来にたどり着くこともあるのだ。

川遊び





            記11月13日(木)
 前に、Musim Hujanの季節になったと書いたが、実際はこれからが本格的になるようだ。本当に雨の季節になると、一日中雨が続くよう。
今は季節の変わり目で一日に2時間くらい強い雨が降る。
今日は一日良い天気だったのだが、昨日の雨で家の隣にある小さな川には水がたっぷり!
こんないい状況を子どもたちがほおっておくわけがない!
 昼寝をしていると、子どもたちの声。
早速外に出てみると、最近仲良くなった近所の子どもたちが川遊び。
ゴミとその他の汚水も流れていて、決してきれいな川とはいえないのだが、子どもたちにとってはおかまいなし。
どこからかボールを調達してきて、大はしゃぎ。
写真の子どもたちは、小さく見えるが、中学2年生を筆頭に小学校高学年の子達だ。
ここの子どもたちは日本より3学年程体が小さく見える。
初めて会ったときは小学5年生位かと思いながら、それとなく学年を聞いたら中2だと言われてびっくり!
日本の子どもたちより発育が悪いのか、民族的に小さいのか分からないが、サイズは小柄だ。
 小学校4年生くらいになると、川で遊ぶ仲間に入れてもらえるよう。
3年生以下は危ないし、まだ幼いからと言うことで、泳がずに遊んでいるのを眺めている。
子どもたちは大はしゃぎで、嬉しそうに遊んでいる。
遊ぶ姿はどの国の子どももかわらない。
貪欲に、時間を忘れて遊んでいる。

その後は、サッカーとバレーボールをやるので一緒にやろうよと誘われ、近くの空き地へ。
バレーボールがうまいと子どもたちに認められたので、これからは遊びに誘ってもらえそうだ!

やっぱり、子どもたちと一緒の時間が一番楽しい!

スーパーでの失敗

       記11月12日(火)
 仕事を終えた後、スーパーへ。
スーパーと言っても、日本のそれとは比べ物にならない広さだが。
広さは日本のコンビニくらい。
タカラールに唯一1件だけあり、狭い店内に日用品から、食料、薬品となんでも売っている。
赴任後4ヶ月目に入ったが、ホームスティをしている私にはほとんど県内で買い物をする必要がないので、なんと今日初めてこの店で買い物をしたのだった。
商品には値段は表記されていない。
レジのレシートを見て値段が分かると言う状況。
友達の家に遊びに行くのに、ジュースとお菓子を購入。
 買い物を終えて、何気なく帰ってきたのだったが、レシートを見ると買ってもいないものが3つも記載されている!なぜだ!
 金額としては、日本円で100円くらいの上乗せ。
些細な金額なのだが、気分はよくない。
偶然のミスなのか、よくあることなのかそれさえもわからない。
外国人だからなのか?
余計なかんぐりをしてしまう。
 韓国の子に聞くと、彼女もたびたびあるという。

自分で気をつけない方が悪いのだから、これからは気をつけようと思う。
すっかり生活に慣れ、外国人という自分を忘れそうになってきた今日この頃。
でも、やはり外国人には変わりない。
いろいろと自分で気をつけねばならない。

雨の日の知恵



           記11月11日(火)
試験会場からの帰り道にベチャを使ったのだが、その途中で大雨に降られてしまい、すごいことに。
ベチャの運転手は、こういう時の雨宿り場所を良く知っていて、雨の降った瞬間に移動し、さっと屋根のある保健所の入り口に非難。
他にもバイクの人や、移動式屋台の人、さまざまな人が雨のやむのを待っている。
 そんな中で、ベチャにビニールのかぶせものをし、お客が濡れないように工夫をして運転をしている人もいる。
早く帰らなければいけなかったので、ベチャを乗り換え自宅へ向かう。
ベチャの中はむっとしたけれど、贅沢を言っている場合ではない。
こんな大雨の中、家に帰れること自体がラッキーだ!
 雨が降ると、2時間以上やまない日も多いのだが、この日は30分足らずでやんだ。
天気に左右され、いろいろと出来ることも限られてくるが自然とともに生きている感じ。
雨が降ると動けずに困る反面、やっと田植えの準備が出来るので農民にとっては恵みの雨だ。

UJIAN NATIONAL PAKET C





            記11月11日(火)
 朝からなんとなく課内が忙しい様子。
試験問題もさっき送られてきた。
会場が2箇所に分かれているので、試験問題、答案用紙も2箇所分に分ける。
 この試験は、通常の高校には通えなかった人が、PKBMで学んで受ける試験。
PAKET C =高校 の授業ということになるので、
この試験に合格すると、高校卒業と同等とみなされ、証明書がもらえるということだ。
日本では大検があるが、それの各学校向けの試験というところだろうか?
来週は小学校・中学校の同様の試験がある。
PLS課総動員して、会場へ。
 会場の試験監督は、TUTORや、会場高校の先生が行っており、私たちは試験問題の管理と、試験監督の管理だった。
試験教室は6箇所に分かれていたが、日本のような静寂した雰囲気はない。
試験中でも、高校生が構内でブラブラしていて笑い声が聞こえたり、試験に遅れてきた生徒が大声で話していたりする。
それにしても試験に遅れてくる生徒の多さにはびっくりした。
1教科2時間の試験だが、平気で30分以上遅れてくる。
試験全部解けるのかなぁ・・・と人ごとながら心配してしまった。
会場の廊下に居る同僚が、結構大声で話していてうるさかったり、教室内に入っては試験監督と大きな声でしゃべっていたりして、生徒の集中を妨げているんではないのかなぁとハラハラしてみていたが、特に気にしている様子もない。
それどころか、遅れてきた生徒は隣の子とべらべらしゃべってやる気がなさそうだ。
でも、試験監督は一つも注意らしいものをせず、いすに座っているだけだった。
日本との試験の仕方との違いに、日本の常識との差を感じた。
国の試験だというのにこんな感じでは、学校のテストなどはもっと集中に欠ける状況なのかな?
普段の生活を見ていても、集中力がなさそうだなぁ・・・という感じはしていたけれど、こういう状況が原因の一つなのかなぁ・・・と思ったりして。
集中するということが、どういう時間なのか分かる人が少ないのかもしれない(そんなことはないか?)
 この試験は1日2教科 1教科2時間で行われる。
14日(金)まで、毎日ここに通うことになる。

 一足先に私だけ帰宅し、夕方の巡回に備える。
夕方の巡回は、自転車で10分くらい。私の自転車散歩コースにあった!
こんな近くにKFがあったなんて!と思い、これから毎回通えそうで楽しみ。
家の近所でたまに話をする中学生の家の近くで、家の人がKFで勉強していた。
ここの教室は、わらの屋根で床は竹の東屋みたいなものだから、さっきまでの雨でずぶぬれになってしまい、勉強どころではなかったようだ。
 
 KF(識字教室)は12月までで終了。
雨が降るようになると、田んぼに水が入りうまく田植えができるとのこと。
この期間に田植えをし、稲を育てるので忙しくなるので、その前に教室は終了するそうだ。
1月から3月は大雨で洪水になってしまうとのことなので、教室が使えなくなってしまうし、集まるのさえ困難になってしまうようだ。

 終了後、担当者の家へ寄る。
おやつを食べながら、仕事の話をする。
いろいろと話を聞けたのでよかったが、やはり援助の仕方に関しては、お金の支援を遠巻きにお願いされてしまった。
いままでよく協力してくれた人だけに戸惑ったが、その都度協力隊の仕事内容を話して分かってもらうしかないと思い、以前話したけど、と前置きして何度目かの同じ説明をした。

 生活向上のために、できることって、なんだろう・・・?
村人が、どうやってお金を稼ぐことができるのか?
今の私の仕事は、その仕事(職種)を見つけることだ。

1冊の日記帳



       記11月10日(月)
 タカラール赴任してから1日も欠かさずに記入してきた日記帳。
この青いノートは私が出国する数日前に、元同僚(と言っても先輩)の人から2年間の出来事をぜひ書きとめてね!と手紙と一緒にもらったものだった。
 タカラールに赴任となった、8月1日から昨日までの出来事が、このノートには綴られている。
日記と言うより、思いついたことをいたずらに書き込んだにすぎないようなものだが。
毎朝誰もまだ出勤していない事務所で、前日の生活を思い出しながら書いていたのだ。
嬉しかった事や困ったこと、時には日本のことを思い出したこと、その他にもあれこれと書いてある。
今は読み返したりしないが、数年後に読んだら面白そうだ。
 たまたま妹が送ってくれた荷物の中に、この青いノートと色違いのピンクのノートがあったので、2冊目の日記帳はこのピンクのノートにした。
青いノートをくれた元同僚が、日記帳がなくなる頃にはまた次のを送ってくれると言っていたので、楽しみに待つこととしよう!

SKBでの講座見学


          記11月11日(火)
 PLS課でSKBの会議室を使用することになり、上司とみんなで向かう。
SKBには赴任後すぐに挨拶にいったきりだったので、今日は施設内もじっくりと見学。
同期隊員の勤務している県のSKBとは比べ物にならないくらい施設は古く設備も何もなく、きっとあまり活発には使われていないだろうなぁ・・・という感じ。
 会議室には、50席以上の椅子が並べられる広さがある。
だが、天井には大きな穴があいたまま、電気も壊れたままついていないし、もちろんクーラーはついていないので、すごく暑い。
(タカラールではほとんどの施設にクーラーはない。私の職場も扇風機で暑さをしのいでいる。県の教育局内では、唯一県の教育長の部屋にだけある)
 この施設では、県民のために講座を開くことが仕事で、PLS課の仕事内容と同様な部分が多い。
 
 今日はPLS課の下部組織にあたるノンフォーマルの幼稚園、フォーマルの幼稚園両方の先生たちが集まって、会議。
韓国から派遣されている隊員の講座第一回が開かれたのだ。
3つの市から、40人くらい集まっていた。

 明日はUJIAN NATIONAL(国で定められている試験)の日だ。
私もPLS課の一員として、会場に行くことになるので楽しみだ。

卒業試験直前講座




      記11月9日(日)
 昨日に引き続き、PAKET Cの入試に向けての説明会に参加。
今日は入試直前講座という感じで、各教科の過去問を使い学習するものだった。
問題自体が難しいこともあり、学校を中退して授業を完全に受けていない人にとっては、難しい問題ばかりだったようだ。
ほとんど答えを写すような形で、実際の試験が危ぶまれる。
でも、すべてマークシートなので、なんとかなるのかな?
 この授業の講師として、私立高校の先生が何人か来ていて、その人たちと話をすることができた。
特に仲良くなったのは、女の英語の先生。
英語とインドネシア語をミックスしてお互いしゃべった。
私立高校の時間講師?をしているのか、給料は時間給だということだった。
その給料があまりにも安すぎてびっくり!
1時間の給料は、金額にするとなんと缶ジュース1本分。
びっくりして、最初私が数字を聞き間違えているのかと思った。
すごく安いので、彼女はどんな風に暮らしているのかと、心配になる。
私の課の担当しているKFのTUTOR(識字教室の先生)は給料が少ないと聞いていたが、この人と比べたら、すごくいい給料だ、比べられないくらいだ。
その上、大体TUTORは他の仕事もかけ持ちしているので、生活できるくらいの給料は入っているという。
 日本の教員の給料は高いのか?と聞かれたけど、思わず言葉を濁してしまった。
彼女の給料の何十倍ももらっていたとは、どうしてか言えなかった。

 45分くらいで次の科目へ。午前中いっぱい学習をしてお昼休み。
午後も授業があると聞いていたのだが、参加者がいなくなった?とかでお昼で終わってしまった。
帰りながらお昼はこの市のマネジメント担当の人が COTO KONRO(肉の煮込みスープ)をご馳走してくれた。(写真のもの。本当はもっと肉が入っている。私は苦手なのでと言って減らしてもらった。)
COTOは南スラウェシの名物で、隣の県のジェネポントでは、馬肉、タカラールやマカッサルでは牛肉が使われる。内臓を煮込んだものもあり、注文時にどちらか選べる店が多い。
今日は水牛の肉が骨のついたまま入っているスープだった。
あんまり得意な食べ物でないと思っていたが、スープは確かにおいしい。
肉はあまり食べなくても、スープだけで十分おいしかった。
ご飯を食べていると、急に大雨になり店でやむまで待つことに。
その間にいろいろと話をすることになり、また新たに分かったことが多かった。
ご馳走してくれた人は、私の上司のお兄さんで、よく事務所では会っていたが個人的に話をすることはあまりなかった。
どんな人かと思っていたのだが、私のためにゆっくり話してくれたり、何度か繰り返して話をしてくれたりととても親切な人だった。
 話によると、お兄さんは高校を終えてすぐに教員として働き、大学には行けなかったそう。その分弟は高校・大学をきちんと出ている。
だから、弟の方が大出世をとげ、今では自分の給料の何倍ももらっているとの事。
弟は車を持っているが、自分は持っていないから、君を案内してあげられない。バイクだけなんだよ。と話す。
今までは高校卒でも教員が務まったが、今後はそういうわけには行かないので、大学に通い直し?最終学歴をあげないといけないと言っていた。
 住んでいる所も、事務所の近くの街ではなく、村に住んでいる。
村の暮らしが好きで、バイクで村を回って仕事をするのが好きだと話していた。
ずっと話を聞いていたが、決して弟をうらやましがっているわけではないような気がした。
しっかりと自分の生き方を持っていて、自分の生き方はこれでよしという感じ。
負け惜しみではなくて、すがすがしい言い方だった(言葉全部が理解できているわけではないので、雰囲気でそう感じた)。
だから、バイクの後ろに乗るならば、いつでも村を案内してあげるよ!と話してくれた。
(JICAで禁止されているので、もちろんできないことだが)
それに、きっと弟と一緒に行く店は高級店ばかりだろうから、反対に一般の村の人が食べているようなものをこれからたくさん食べさせてあげるからね!とも言ってくれた。

 お店では、日本人がタカラールで働いているのか!と驚かれ、(ここが街の中心地ではなく村にある店だったので!)スイカが好きだと話したら、店主が早速冷蔵庫にあるスイカを食べさせてくれた。
その上、土産にとスイカを1つ持たせてくれ、至れり尽くせりで本当に、ありがとうございます!という感じ。

 やまない雨の中、ペテペテに乗って帰ってきた。
今日も優しいインドネシア人に出会えてよかった。
ここのところ、嬉しい出会いが多くてラッキーな日々を送っている。

 その余韻に浸りながら、同期隊員が私の家に寄ってくれるのを待つ。
同期隊員が家に来たのは、赴任当日を除いて初めてだ。
ホームスティ先の人たちもとても喜んでくれ、帰った後にも名前を何度も呼び覚えていた。
どうやら覚えづらい名前らしい。
活動についていろいろと話をしていたら、あっという間に彼女の帰宅時間になってしまった!

盛り沢山の土日だったけど、今後の活動にはいいきっかけとなった。
休日返上で、やっと働いた!という実感の持てた2日間だ。

UJIAN NATIONALの受験の心得

             記11月8日(土)
先に掲載した巡回の後は、一度家に帰り昼食。
のちペテペテで別の市へ。
PAKET Cのテストが全国一斉に来週行われるので、その受験票を配布したり心得を話したり。
受験生は60人くらい集まっていた(受験者はもっと多いのだが、今日の参加者はこの位)。
実は昨日急にこれがあるから行って見てくるといいと上司に話され、1日POLUT巡回の予定を急遽変更したのだった。
でも、昨日の時点では説明を聞いても何をするために集まるのか分からず、とにかく来てみたのだ。
なるほど!と思い、私も混じって話を聞くことに。
上司は来ない予定だったが、寄ってみたらしく受験者に心得を話していた。
かなり長い時間だったが、内容は日本とほぼ同じようだった。

マークシート?なので、消しゴムでよく消すこと
迷っても、どれかを選ぶこと
どの教科もまんべんなく点数を取ること。
(合計点が高くても、最低基準点数を2教科下回ると不合格になるらしい)
などなど。

この試験の答案はその日のうちにジャカルタに送られるとの事。
そこで一括して採点、のち合格不合格が私の勤務先に送られてくるようだ。
 
 そういえば、私が赴任したばかりの時が、ちょうど試験の発表日後間もないころだった。
県の教育局に一覧表が張り出され、合格発表を見に来る人と、合格手続きをする人でごったがえしていた。
まだ赴任したばかりの私は、試験の合格発表ということは分かったが、詳細は分からなかった。
こうやって、いろいろと仕事がつながっていくのは面白い。
明日もまた、ここで試験の準備がある。
私も一緒に準備をするつもりだ。

今日は、休日出勤する価値のある一日だった。
やっと、仕事をしている!という感じになってきた。

歩いて巡回


        記11月8日(土)
 勤務先は土日休日だが、市の教育局は土曜まで。
識字教室は土日に関係なく行われている。
 識字教室の開始から終了までを見学したいと希望し、再びPOLUTへ来たのだった。
初めて一人でペテペテに乗って巡回先まで行くことになっていたが、行く準備をしていると電話が鳴り、担当者の上司が車で迎えに来てくれることに。
一人でペテペテに乗って現地に行くことはできるが、わざわざ迎えに来てくれるなんてこういう気持ちはとてもありがたいなぁ・・・と思う。
 市の教育局には少し早めに着いたので、識字教室の開始時間まで近所をぐるぐる。
教育局の裏には小学校があり、ちょうど休み時間中の子どもたちが元気に遊んでいる。
インドネシアでは、休憩時間は校舎外に自由に出て行くことができるようだ。
近くのお店でお菓子を買って食べたりも出来る。
だから今日も、教育局の庭で鬼ごっこをしている姿があったり、学校の敷地内にちょっとした駄菓子やさんが休憩時間中だけ店を広げていたりするのを見ていた。
駄菓子やではチョコレートや、お菓子、手作りのパンなどが売られている。
 今後の仕事の参考に、この駄菓子やさんで何を売っているのかリサーチしたいと話すと、
また別の店に連れて行ってくれた。

 その店は中学校の向かいにあり、駄菓子や兼出店のような感じになっていて、そこで簡単な軽食を食べることが出来る。
料理としては、かきあげのようなもの、芋をあげたもの、スープなど。
とても安く、子どもたちに提供している。
また、チョコや溶かして飲むジュースの粉なども売っており、休み時間は子どもたちでいっぱいになるらしい。
子どもたちが休み時間になる少し前に寄ったので、じっくりと料理を作る様子や店の様子などを見ることができた。もちろん味見といって、食べたりして・・・
安くておいしくて、とても感激!
これなら子どもたちに人気があるのもうなずけるという感じ。
私たちが食べ終わる頃に、ちょうど子どもたちがやってきはじめた。
こちらの学校では、7時半頃には登校なので、子どもたちは6時台に朝ごはんを済ませているから、ちょうど10時半頃はおなかがすくようだ。
中学生だったので、もりもりと食べていた。(写真)
この店はとても繁盛しており、成功しているようだ。
 
このような出店や駄菓子屋がうまく開けるシステムを考えたいと思っている。
職業訓練校で、出店開店講座のようなものが開けたら、おもしろいなぁ・・・と思っていると担当者に話したら、それは面白いとのってくれた。
実際できたら面白いと思うが、問題は単価が低く利益が薄いこと。
市場で売っているものもそうだが、利益が薄すぎてほとんど儲けがないのがこの土地の人の仕事の現状だ。
もう少しモニタリングを重ねて、実際できるとよいと思っている。

 次におととい見せてもらった伝統菓子を、市場で売っている様子を見に行く。
この市の市場もすごく活気があり、物が所狭しと売られている。
見ているだけでも面白く、目移りしながらあちこちとぐるぐる。
伝統菓子の売り場を発見!
販売状況が分かり、菓子作りから販売までの一連の流れが分かった。

 寄り道をしながら、歩いて識字教室のある村へ。
予定時間よりだいぶ遅れてしまった。
とはいっても、識字教室の先生は私と一緒に行動していたのでまだ授業は始まっていない。だいぶ時間が遅くなったなぁ・・と心の中で思いながら教室となっている民家に着くと、まだ誰一人来ていない。
話を聞くと、メンバーの人たちは、みんなさっき寄って来た市場で物を売ることをなりわいとしているとのこと。
だから、物が全て売れれば帰ってくるけれど、売れないと売れるまで市場に居なくてはならない。
メンバーの中には、勉強が大事といって時間で帰ってきてしまう人も最近はいるという話。
私たちの到着を見て、一人、また一人と徐々に集まってきた。
予定より約1時間くらい遅れて授業が始まった。
 この授業の面白いことといったら!
生徒は10人くらいなはずなのだが、近所の人たちがどんどん集まってきて、子どもも沢山いてにぎやか。
すでに学習を終え、読み書きが出来るようになった人も集まってきて、まだ出来ない人に教えたりしている。
授業とは言うけれど、とても和やかで笑いの絶えない時間。
見ているこちらも思わずほほえんでしまうような、いい雰囲気の授業だった。
2時間の学習の予定だが、ちょうどお昼時だし子どもたちも長時間お母さんなしではいられないこともあり、毎回そこそこできりあげているようだ。

 続いて歩いて3分くらいの、別の識字教室へ。
今日同行してくれた2人の担当者が先の教室とこの教室をそれぞれ教えているそう。
この授業もいい雰囲気ですすめられていた。
よく聞いていると、2人とも教え方が上手で楽しそうに授業をしている。
いろいろと質問をしているが、生徒はまるで子どものように無邪気に答えているのが見ていてとてもほほえましかった。
分かるということは面白いのだ。
嬉しそうに答えるおばあさんを見て、そう思った。
年齢は、もう70歳近いというおばあさんも、楽しそうに一生懸命勉強している。
宿題も出るようで、やってきたとか、やれなかったとかおばあさん同士で話している。
少しずつだが新しい単語を覚え、嬉しそうに学んでいる姿を見ていると、日本の子どもたちにこの様子をみせてあげたいなぁ・・・と強く感じた。
孫に教わりながら、アルファベットを書くおばあちゃん。
一桁の足し算引き算を、一生懸命計算しているおばあちゃん。
どれも日本では考えられないことだが、これが日本の教育の質の高さなんだなと感じた。
もちろんインドネシアも今は義務教育が浸透しつつあるから、これからの人は違うのかもしれないけれど。

 帰りも歩いて市の教育局へ。
市の教育局からは、別の人が送ってくれることに。
結局ペテペテは使わず済んでしまった。
親切な周りの人たちに感謝!

自転車で巡回


       記11月7日(金)
巡回に行きたいので連れて いって!
と話すと、たいていOK!じゃあ、後で迎えにくるよ!
とそこまではいいのだが・・・
だからといって数日のうちに迎えに来てくれるとは限らず、その日がいつの何時というところまで具体的に約束しないと、本当に迎えに来てはもらえない。
あとで!という言葉は、本当に何週間も先の後になってしまうことが多いのだ。
だから、あまり先のほうまで予定をたてたりはしないで、2日位前に「連れてって!」とお願いするようにし、約束をとりつける。
 日本に居たときには、1ヶ月位先の約束は普通にしていたし、お互いがそれを忘れるということはほとんどなかったが、ここではそれは通用しない。
だから、この日に行きたいな!というのを自分であらかじめ決めているが、実際の交渉は直前に行っている。
たいていはみんな都合をつけてくれるし、だめな場合はむこうから別の日を指定してくれるから。
この作戦はうまくいっている。
計画通り(というほどものもでもないが)に巡回したいなと思い、新たな作戦として、自転車でまわれたり、比較的道の分かりやすいところ(行きやすい所)の巡回を増やすようにしようと考えた。

 早速、担当者に連絡をし、自転車で行けそうな識字教室を案内してもらう。
家の近所だが、自転車を15分くらい走らせると識字教室が行われている村がある。
夕方の3時から5時までの教室だ。
担当者はバイク、私は自転車で村へ向かう。
突然の私の登場に、いつも通り最初は怪訝な目で見られていたが、時間が経つうちに少しずつ話が出来るようになった。
 マカッサル語の分からない私は、みんなが何をしゃべっているのか全然分からず、ぼーっとしていたのだが、そのうちなりゆきで、主婦の生徒がマカッサル語の単語を私に教えてくれることに…
 端のほうでひっそりと教わっていたはずがなぜかみんな加わってきてしまい、いつの間にか私のためのマカッサル語教室になってしまった。
申し訳なく思う反面、こんなチャンスは滅多にないのでいろいろと教えてもらった!
ラッキー!
 こうして一緒に話をしていると、早く語学ができるようになりたいなぁ・・・と思う。
自由に言いたいことが伝えられるって、素晴らしいことだなと思う。
ここの人は、かなり無茶なインドネシア語でも、仲良くなると分かってあげようとして聞いてくれるのが分かる。
とはいえ、語学は1日で出来るようになるわけではなく、なかなか上達はしないのだけど。

帰りはみんなが見送ってくれて、またおいでと言われて、とても嬉しくなった。
今日は識字教室の巡回をしてすごく楽しかった!
 
それから、今日は午前中Kantorに各市の担当者が次々に来たので、巡回の約束をいくつか取りつけた。
その上、ラッキーにも明日と明後日の行事に連れて行ってもらえることになり、土日ではあるがこのチャンスを逃してはならないとばかりに、参加しますと返事をした。

じっとKantorに居るだけでは、何も始まらない。
だから、このチャンスを大事にしたい。
土日を惜しんで働いても、2年間しかこの地には居られないのだから。

今日はいろいろと、いいことが重なった日だった。

巡回 POLUT


   記11月6日(木)
 久しぶりの巡回。
この市には数回足を運んでいる。
担当者は年齢が近く、少しずつ話を聞いてくれるようになったので一緒に活動しやすくなってきた。HAさんとJUMさんだ。
JUMさんの家の敷地を使って、この二人が共同経営?しているPKBMとKBとTBMの施設へ。
KB(幼稚園のインフォーマル)は、週に3回の通園なので巡回した日は幼児は居なかった。
だが、施設は整備されていて、場所は狭いがきちんと管理が行き届いている感じ。
いくつかTKをまわり、KF(識字教室)も巡回。
以前にも巡回したことのあるKFへ。
行くと勉強場所の様子が少し変わっていた。
以前巡回したときは識字教室の行われていた場所だが、1ヶ月位前から、同じ場所で午前中はKBを行っているとの事。
もともと一般的な高床式の家の1階が授業場所だったのだが、その一部を竹で囲い教室のようなものを作ったのだ。すべてTUTOR(ノンフォーマルの先生)一人で作ったのだと聞いて、よくがんばったなぁ・・・!と応援したくなった。
仕事を生み出し、仕事の工夫をしている人だ。
実際にKFのTUTORだけの給料では、少なすぎて生活してはいけないからと、考えたのだろう。

その後は、村のおばあさんの家へ。
マカッサルの伝統的なお菓子の作り手の家にお邪魔することができた。
Kanrejawa Keboという名前だ。
材料は小麦粉と卵、砂糖。
日本のかりんとうのような味と歯ざわりだ。
できたお菓子は、市場で売ったり、結婚式用に売るらしい。
結婚式や、祝い事には必ず食べられるものらしく、腕のいいこの家のお菓子は有名だそうだ。
このお菓子作りを全工程見学することができた。
中心となって作っているのは、70歳のおばあちゃん。
変な外国人(私のこと)には目もくれずに、しゃべりながらも器用に手際よく作っている。
その手も口も休むことなく動かされ、あっという間に次々と作られていく。
その手伝いをしているのが18歳の女の子で、孫だった。
別の部屋でも、10代の女の子たちが別のお菓子を作っている。
話を聞いていて分かったのだが、このおばあちゃんはKFの生徒。
孫はPKBMのPAKET B(中学校の学習内容を学習)の生徒だそうだ。
お邪魔したのは午前中だったのだが、こうして朝から夕方前まで仕事をし、夕方からそれぞれ勉強をしに出かけているようだった。
 こうやって家の仕事を手伝っていて、学校を中退してしまう子に初めて出会った。
この家にとって、大事な働き手の彼女が午前中に普通の学校に通ってしまったら、家業に大きな影響を与えてしまうのだろう。
 偶然会えた人たちだが、村人の生活をじっくり見ることができて、少しだけ状況把握が出来た気がしている。
学習も、仕事もどちらも大事なのだが、どちらかを優先させなければいけないとしたら、やはり今の生活を維持していくことの方が大事なのだろう。
こういう人々に、どうやって学習できる機会や環境を与えていけるか?ということが、自分の仕事の一つであるということが、実感として分かったように思う。
 帰りにやっと私を直視してくれたおばあちゃんは、さっき作ったお菓子全部じゃないかというほどのお土産を私にくれた。明日の販売分全部じゃないかと思うと、すごく申し訳ない感じ。
でも、持って行きなさいと何度も言われたので、ありがたくいただいた。
もっとおばあちゃんと話がしたいなと思った。
いろいろ話を聞いてみたい。
でも、そこにまた言葉の壁が・・・
マカッサル語のまだ出来ない私は、おばあちゃんの話していること何一つ、通訳なしでは聞き取れなかったのだ。あー話したい!
と心から思った。
少しずつ、マカッサル語も勉強していこうと思う。

 今日の巡回は、今までのように視察しに日本人が来る!というような事前準備のあったものではなかったので、どの巡回先も通常の活動をしていた。
だからこそ、私も飾らない普段の生活や村人たちと出会えることになった。
巡回自体がより楽しみになったことも、今日の成果だ。
 あとは、どうやって村まで行くか?という交通手段の確保の問題だな、と感じている。
なんとかして巡回を定期化したいものだ。

隣の県へ再び!


記11月5日(水)
 JICAオフィスの方々が視察にいくということで、私も同行させてもらうことに。
2週間前に行った県だ。
同期隊員の理数科教師と、先輩隊員の活動場所を見てくる。
 中学校の構内に入ったのは初めて。自分の県の学校は残念ながらまだ入ったことがない。
授業は理科のリトマス試験紙を使って、身近な物がアルカリ性か酸性か調べる授業。
理科室での授業だった。
席の並び方が面白い。男女別に座っている。
イスラムの国だからだと思う。話には聞いていたが、本当だった。
授業中だというのに、なぜか廊下には沢山の子どもたち。(写真)
日本人の来訪を喜び、ものめずらしそうにのぞいている。
授業中の子どもたちも、どことなくそわそわしたり、話しかけてきたりして。
まるで日本の研究授業のようだ。
子どもたちは天真爛漫で、明るかった。
同期隊員の質問に、声をそろえて大きな声で答えていた。
久しぶりの教室に自分の胸が躍っているのがはっきりと分かった。

今日は、元勤務校の合唱コンクールだと聞いている。
こんな日に、やっとインドネシアの中学校に足を運べたのも、何かの運命に違いない。
合唱コンクール、今思い出しても胸の高鳴る一日だったな。
子どもたちの力が最も集結されるからだろうか?
担任として、とても嬉しい日だったことを思い出し、感慨深くなってしまった。

結婚披露宴




    記11月4日(火)
 朝から巡礼の見送りを見学、仕事から帰ってすぐに着替えて結婚式に出席。
Pesta Berkawinan(結婚披露宴?)という。
昨晩に引き続き、同じ家で結婚式が行われる。
今日は新郎も揃い、みんながお祝いの言葉を言う。
私も挨拶をしなくてはいけなかったが、なんという言葉がふさわしいのか事前学習をしていなかったので、困った。
 今日もご馳走だ。3日続くと、もう見ているだけでおなかがいっぱいになる。
一生懸命ご飯を食べると、それ以上のKUE(お菓子)が登場。
ものめずらしい私に声をかけようとしてか、食べろ食べろと何人もの人がいうので、それに答えるたびに食べる量もどんどん増えていってしまい、苦しくなってしまった。
 結婚披露宴は昼食をはさんで昼に行われるのが一般的。
披露宴には一度に300~400人(もちろんそれ以上もある)が招待されている。
簡単に新郎新婦に挨拶を済ませた人は、食事をとりすぐ帰る人も多い。
野外ステージのようなものが設置され、カラオケも始まる。
誰の結婚式か分からないのに連れて行かれ、お昼を食べたことはよくあるが、今回のように身内のは初めてだったので、結婚披露宴の一部始終が見られた感じ。
 挨拶に疲れただろうなぁ・・・という新郎新婦をよそに、みんなで盛り上がっている。
まだまだPESTAは続くようだったが、今日もイブと先に早帰り。
来る時には雨だった空が、いつの間にかさわやかな空に変わっていた。
ベチャに乗って、風に吹かれながら帰ってくる。
ベチャに乗ると、なぜか町に暮らしている実感が湧いてくる。
 
 この数日は、いろいろなインドネシア文化に触れることができ、毎日忙しいが、驚きの連続でもあった。
人が生きるところには歴史があり文化があると何かの本で読んだが、ここで生活することによって、その一つ一つを味わっている。
こうやって、ここで生活できる2年間を大切にしたいなと、しみじみ思った。

メッカ大巡礼


             記11月4日(火)
 朝7時前から大通りが騒がしい。
家のイブもすでにマンディーを済ませ、一緒に朝食をとると、私に家の鍵を預けて出かけてしまった。
どこにいくのか説明を聞いたが、新出単語で分からず。
私はそのままkantorへ。
職場は心なしか静かで、やっぱり今日はなにかイベントがあるらしい・・・
まだPLS課は誰も出勤していないので、他の課の人に大通りで一体何があるのかと尋ねてみた。
今日は、年に1度、メッカでの大巡礼を行いに行く人たちの出発の日だということだった。
メッカでの巡礼を行った人は、HAJI(ハジ)という称号を与えられる。
名前の前にHAJIがついている人は、もうメッカに行ったということのようだ。
このHAJIの称号を持っている人は、周りの人に尊敬され、一目おかれている。
宗教に疎いので正しいかどうか分からないが、現地の人に聞いた話では敬虔な信者をあらわすようだ。
ただし、この巡礼参加には、国家公務員係長級の給料1.5年分がかかる。
家のBapakの給料では、2年分以上と言っていた。
でも、メッカ巡礼の為には皆懸命にお金を準備するらしく、参加者はあとをたたない。
県で集まって大勢で参加するらしいが、現在は登録待ちでなかなか行けないそうだ。
 私の上司夫婦はまだ40代だが、すでに参加している。
かなりのお金持ちなので、若いうちに参加したようだ。
私の家のイブは昨年、仕事を退職したのでそれから行ったとの事。
このメッカ巡礼は40日ほどかかるらしい。

この様子を見てみたいというと、同僚が連れて行ってくれた。
県庁に6台の大型バスが並ぶ。
その前に数え切れないほどの人波。家族や親戚が集まり、涙ながらに別れを惜しんでいる。
子どもはもちろん、大人も男の人も、人目をはばからず大声をあげ涙を流している。
その様子はとても重々しく、家族中にとって大きな出来事を思わせた。
1ヶ月の別れは、こんなにも悲しさを感じさせるものなのかと、日本との違いを感じる。
お父さんの1ヶ月の出張に、こんな風に涙ながらに見送りをするのかなぁ?
私たちがインドネシアに出てきたときも、こんなにも大泣きする姿はなかった。
(涙をみせなかっただけかもしれないが)
私の感覚ではたった1ヶ月と思うけれど、この国の人たちにとっては、家族と別れて1ヶ月も過ごすなんて、涙なくしては別れられないのだ。

 今回の別れの場面を見ていて、すごく納得がいった。
私がここに来たとき、2年も家族と離れて寂しくないのか?なんでそんな思いをしてまで来たのだ?親には毎日連絡しているのか?などなど会う人ごとに尋ねられた。
もちろん、今でも時々尋ねられるが。
インドネシアに来てからまだ一度も家族に電話をしていないと正直に話すと、なんで連絡しないんだ!と結構真剣に怒られた。
今日の様子を見ていて、すごく合点がいった。
メッカが簡単に連絡の取れる場所でないということもあるが、この島の人たちにとっては旅行さえもあまり行くことがなく、家族とはいつも身近にいるもので、常に行動を共にするものなのだ。
 
バスが出発すると、人波が押しかけるように後を追っていく。
まるでお祭りの人ごみのようで、後ろから横から押されて歩いていく。
沢山の警察官が警備をしており、すりに注意をしてくださいと呼びかけている。
大通りは大渋滞で一般の車は動かない。道路はすでに見送りの人の車やバイクが停められており、動ける余地はない。
見送りの車1台に10人くらいの人が乗って、バスの後ろをついていく。空港まで見送りに行くとの事だった。
すごい行列で、これが空港まで続くのかと思うと、きっと大渋滞を巻き起こすのだろうという感じ。
この見送りのために、一体何人の人が動いているのだろう。
仕事どころではないようだ。
きっとどの職場でも欠勤者続出に違いない。
道路も大混雑で、通常の仕事はできないようだし。
 こういう行事のあるたびごとに、いちいち驚いてしまう。
ここまで大衆を惹きつける?イベントって、すごい。
参加者の関係者以外も、ひとめみにいこうと道路に集まっているのだから・・・
 運よく?私は県庁の敷地内にあった停車中のバスのそばでこの光景を写真に収めることができたのだが、帰ってきてからイブに話すと、何で中に入れたの?普通は入れないのよ!と言っていた。
友人のおかげか?
貴重な場面に出くわすことができたようだ。
今日のこの出来事は、すごく国民性を感じさせたものだった。

 夜に若い方のイブ(ATと呼ぶ)にこの写真たちを見せたら、「みんな泣いているねぇ」と言っていた。
日本ではあまりないなぁ・・・
と話すと、「あなたが日本に帰るときは私はもちろん、家中の人が泣くよ」
と言ってくれた。
イブも、「日本は遠いし、航空費も高い。だから、一度帰ったらもう二度と会えないかもしれないからね。」とちょっとしみじみ言われたときには、あらためて私は外国人であることを実感したのだった。
私たち日本人にとって海外旅行は普通にできることの一つだが、この国の人たちにとっては、夢のようなというと大げさだが、普通にはできないことなのだなぁと感じた。
だからこそ、外国人である私が何年もここに住むということは、現地の人の驚きの対象になるのだろう。
 まだまだ来たばかりと思っていた私だが、ちょっとだけ帰国の時の自分を想像してみた。
どんな気持ちで日本に帰るのだろうか・・・・
その日が楽しみだ。

結婚式前夜


  
                記11月3日(月)
家に帰ると、今晩はACARAがあるという。
なかなか行事を事前に察知することができず、いつも突然の行事参加で慣れないのだが・・・
夜も7時過ぎに出かけ、Bapakの実家へ。
 行ってみると、姪っ子の結婚式前夜ということだった。
この行事はMalam Korong Tigiという。(うまく日本語に訳せない・・・)
この地方の結婚式では、結婚式前夜は、各家庭(新郎・新婦の家)で親族が招かれ、儀式が行われる。
部屋はすでに結婚式用に飾られてあり、きれいな敷物の上に新婦が座っている。
まだ18歳で、高校を卒業したばかりという彼女はとてもかわいかった。
タカラールの結婚衣装を着ており、化粧もばっちり。
集まる人々の服装も、結婚式とはまた違った衣装を着ている。
家族・親戚が一人ずつ新婦の前に寄り、新婦の手のひらに粉のようなものを載せ、何か口ずさみながら別れを惜しんでいる。
一対一での別れのようだ。男の人から順に、関係の深そうな人からその儀式は行われた。
女の人の番では、目に涙を浮かべている人も多かった。
肉親関係の強い土地だから、両親以外でもこの子をかわいがった人が沢山いたのだろう。
沢山の人が泣いていた。
儀式が終わると、年配の男の人たちが輪になって歌を歌い始めた。厳密には歌なのか、文章を読み上げているのか分からなかったが、きっと新婦が無事に嫁ぐようにというはなむけの歌のようだった。
ここまでが終わると、みんなでご馳走を食べる。
昨日に引き続き2日連続でごちそうをいただいた。
今日もヤギの肉。めでたいときにはヤギの肉が出るのか?

Bapakの家のほうには今まであまり顔を出していなかったので、顔なじみの人が少なかった。
その分初めて赴任してきた時のような注目の的になる。
2年も赴任だということに驚かれ、独身だということでさらに。
これから結婚しても子どもは2人までしか産めないとか、早く結婚したほうがいいとか、何ならタカラールで探したらとか、やっぱり最初の話題はこれだ。
いつも通り一通りの話をすると、今度は子どもたちが集まってきた。
子どもたちに囲まれるのは、嬉しいものだ。
10人くらいの子どもたちと一緒に、カードゲームを行う。
ちょうど楽しくなってきた頃だったが、すでに時間は遅くなっていたので帰ることに。
特別な行事だからか?子どもたちは夜更けまで遊んでいいようだ。

ACARAを終えて帰ってきたのは9時半過ぎ。
宴は夜遅くまで続くようだったが、私とイブは翌日の仕事もあるので先に失礼してきた。
家の若夫婦と子どもたちは、泊まりで宴に参加。
だから家にはイブと二人きり。
イブはとても穏やかで優しい人なので、一緒にいてすごく楽だ。
二人でのんびりして、静かな夜を過ごした。

日本からの便り


やっと届きました!
1ヶ月以上を経て、届いた手紙たち。
1つはKさんが、バリから送ってくれた小包。
1つは団長が、東京から送ってくれた手紙。
どちらも9月末に発送してくれたもの。
ここから日本に普通郵便で送っても、15日くらいで絵葉書は届いたようだから、その位かと思っていたのに、いつまでたっても届かないので心配していたのだ。
普通バリからは4・5日で届くそうだ。
なぜか1ヶ月以上かかった。
それも、郵便局に何度も問い合わせたのだが、ないと言われ続けていた。
あきらめかけたとき、家に他の郵便が届いたので、ホームスティ先のイブが配達員に確認してくれたところ、別の家に届けたとの事。
 イブがすぐに教えてくれたので、早速その家に行って小包が届いていないかを聞いてみることに。
聞くと、これ?と差し出されたものは、すでに封は切られていて、梱包は解かれ中身も出されたものだった・・
・自分宛のものではないと分かっていて、封を切ってしまうなんて!おそるべし!
小包の中身は日本の本が数冊入っていたので、使えないと思ったのかそのまま放置していたようだ。私が住んでいるのを知ってはいる近所の家だったが、直接話したことのない人だったので、届けてくれなかったのだろうか?
 そして、東京からの手紙もなぜか翌日に無事到着。
日にちはかかりすぎているが、無事に着いたのだからまあよかった。
きっと、配達員にイブが話してくれたからだろう。
私が何度も郵便局に行って話したけれど、見つかる気配なしだったのに。
やはり地元民の力は強いのか?
いずれにしても、首をながーくして待っていた郵便が無事に着いて、ほっと一安心。
嬉しい便りだった。

ここまでの郵便物の確実な到着方法としては手紙など。
1. JICAJAKARTA事務所宛に送ってもらう
この場合、JAKARTA事務所から転送されてこちらに送られてくる。日数はかかるが確実
2. 直接タカr-ルの自宅に送ってもらう。
   今回のようなことも予想されるが、なんとか到着するようだ。

小包
1.EMSで送ってもらうなら、タカラールの自宅宛で大丈夫。KOICAの子の荷物も届いていたので!この場合はメールでEMSの番号を送ってもらうとさらに安心!

郵便事情は、確かに良くはない。先輩隊員に聞いても、手紙は届かないことも多いとか。
だからこそ、運よく届いた手紙は嬉しいものだ!
手紙一通に心躍るのも、嬉しい感覚だった。

子どもの誕生祝

   記11月2日(日)
男の子の誕生には、ヤギ2匹、女の子の誕生にはヤギ1匹を絞め、近所のみんなにふるまう。
女の子が生まれたら、両耳にピアスを開ける。

今日は赤ちゃんに名前を与える日で、親戚を呼んでお祝い。
上司の親戚の子のお祝いに招かれた。
まだ生まれて20日とのこと。男の子だ。
ここでは子どもが生まれてから入院というのはしないので、病院で出産後は1泊して家に帰ってくるようだ。
赤ちゃんは本当に小さい。(未熟児2000Gちょっとで未熟児に近いようだが、ここでは普通らしい)

 料理はヤギ肉と牛肉が中心。
肉は普通PESTA(パーティー)やACARA(お祝い事?)しか食べないので、みんなおいしそうにおなかいっぱい食べている。
残念ながら私は両方とも苦手なので、食べる様子だけみせたがあまり食べなかった。
普段は質素な食事も、こういう催しの時には豪華になる。
だから、みんな行事を楽しみにしているのだ。

家の庭には大きなスピーカーとカラオケセットが用意され、賑やか。
カラオケでは、日本の歌を歌えと迫られる。
この国の人は、みんなカラオケ好きだ。
私はあまり好きではないのでうまくかわしたが、いつまでかわせるかは自信がない。
それくらい、ACARAやPESTAとカラオケはセットなのだ。
 近所中に響く大音響でカラオケが延々と続く。
めでたいことなので、みんなが一様に喜んでいる。
賑やかで楽しい時間だ。

新築の家


    記11月1日(土)
 同僚の韓国人が一人暮らしをするため、仕事もそこそこに引越し準備を毎日のように手伝っている。
私の上司の新築の家を借りることになっているので、買い物には毎回上司夫婦が連れて行ってくれている。
週末は一人暮らしの為のグッズを買いにマカッサルに行き(これで3度目)、いろいろなものを買ってきた。
ベッド・エアコン・洗濯機・TV・・インターネット回線など何から何まで全てを揃えたいという彼女の希望は、母国同様の暮らしを望んでおり、ビックリ!
この国の国家公務員の2年分以上の給料を使って、生活用品を買い揃えた。
店の人も驚く買い物ぶりだ。
同じ外国人としてはちょっと戸惑ってしまう。
上司が貸す予定の家は、分譲住宅を買ったばかりだったようだったが、彼女が借りたいということで急いで門のブロックを積み上げたり、電気を引いたりしている。
買ったばかりの家は、家だけは立っているが、その区画を囲う壁や庭周辺などは入居間際に工事するらしく、まだやっていない家が多い。
わりと値段もはるようで、国家公務員の上司の給料で2年分くらいの金額がかかるそうだ。
上司はお金持ちらしく、難なく準備を進めているが2年貸しても元はとれないくらいで、本当に気前が良い人だからこそ貸してくれるという感じだ。
あと数日で入居の予定だが、職人のペースは相変わらずで完成までにあと1ヶ月はかかるのではないかという感じ。1週間前に見に来たときと、さほど仕事は進んでいないように見える。
本当に住めるのだろうか?彼女との最近の話題はこれである。

赴任後3ヶ月無事終了!

  記11月1日(土)
 タカラール県に赴任して今日でちょうど3ヶ月、インドネシアに来て約4ヶ月が経つ。
この1ヶ月はけっこうあっという間だった。
生活にもすっかり慣れ、人にも慣れ、快適なホームスティ生活を過ごしている。
仕事面に関してはまだまだといったところだが。
でも現地の人とは楽しんで生活ができているので、その点では良かった!
少しずつ交友関係を広めていきたいなというのが、これからの目標の一つだ。
季節の変わり目で、2回目の風邪をひいたがそれ以外は健康に暮らしている。
病気になったらアウトだと思い、日本に居た時よりより慎重に暮らしている。
日本はもう秋も深まった頃だろう。
インドネシアは相変わらず暑い!

2008年11月1日土曜日

仕事の仕方

海外で仕事を行うにあたって、日本との仕事の仕方の違いに戸惑うことが多いと訓練所でレクチャーされてきた。
 ちょうど赴任後3ヶ月になるが、今ではすっかりこの生活に慣れすぎてしまった。私の場合、以前中国人と仕事をしていたことも幸いして、外国人の仕事のやり方には慣れているから、初めてで驚いたり戸惑うということよりも、やっぱりここも同じだな。と感じることのほうが多く、卒なく対応しているといった感じ。
こう考えると、日本のほうがよほど特殊な、勤勉な働き方をしているように感じてしまう。とはいえ、私は日本人だから、日本人としての仕事のスタイルを変えるつもりはないが。
 中国人と仕事をしていた時と同様、時間や約束に対しての概念は日本と異なっている。日本人が生真面目すぎるのかもしれないと、感じてしまうほど。
よくいえばおおらか、悪く言えばおおざっぱなのだ。何事も。
だから、これらにいちいち違和感を感じない私は、以前出会った中国人のおかげだと感じている。
中国人もインドネシア人も、個人個人はとても暖かい。友人に対しては、とことん面倒を見てくれるし、困っているとすぐに助けてくれる。
だから、今の生活でもほとんど困ることがなく、いつも誰かが助けてくれる状況で楽しく毎日を過ごすことができている。
 その反面、仕事の仕方としてはのんびりムード。
だから、こちらが焦るような場面でははがゆくも思うのだろう。
まだ私はそういう場面に出くわしていないが、いずれはそういう時もあると思う。
だから、余計な亀裂を生まないためにも、こちら側が周到に用意して提示する必要もあるのだと思う。
 
 今は完全に現地のペースに合わせている。
でも少しずつ、日本人としての仕事の仕方を魅せていくつもりだ。
2年後には、日本人と仕事をしたらこんな風に変わったんだよね!と同僚に感じてもらえるように、少しずつ種をまくつもりだ。
あせらずいそがず、じっくり活動をしていこう。

子どもたちと共に!

記10月29日(水)
昼休みの帰り道、学校帰りの中学生にあった。
ここでは中学生もお昼には学校が終わる。
今まで気づかなかったが、家の向かい(教育局の隣)に何かの施設がありどうやらそこが中学生の自転車置き場?になっているようだ。
というのは、私の家は大通りから歩いて3分というところなのだが、中学生はその施設までは自転車で来て、そこに自転車を停め大通りからペテペテに乗って通学しているらしい。
ここから家までは自転車で20分以上かかるところも多く、家の前の空き地でちょっと涼み休憩してから帰っているそうで、涼んでいるところに私が通ったという感じ。
 前から私のことは知っていたようで、声をかけられたので少し話をしてみた。
外国人だとは思っていたようだが、韓国人だと思っていたようだ。
タカラールでは、韓国人の方がなじみがある。
日本人は先日帰国した隊員と、私だけだからだ。
日本人だというと、おー!となぜか歓声があがった。
夕方には広場でサッカーをやっているという。
夕方遊びに行くから入れて!と話して別れた。

 夕方広場に行ってみたのだが、昼に会った子には出会えなかった。
いくつかのグループがサッカーをしていたので、今度入れてもらおうと思っている。
帰りに同僚の家によって、小学生を紹介してもらった。
今度マカッサル語を教えてもらうことになった。
 その帰り道、またまた子どもたちに出会う。
女の子3人組だ。
柔道着を着ていたので、声をかけたところ中学校で講座が開かれているそう。
日本のように部活動はないので、塾のような形で夕方いくつかの講座が開かれている。
その一つに柔道があるらしいのだ。
私が日本人だといったら、日本語を教えてもらいたい!と目を輝かせて言うので、つい嬉しくなってしまった。
今度の練習日には、行く前に私を迎えに来てくれるそう。
やっと、子どもたちに出会えた!!

今日はたくさんの子どもたちに会えて、大収穫!
夕方の散歩も楽しみになった!

UPACARA SUMPAH PEMUDA


記10月28日(火)
 青年の誓いの日とでも訳すのだろうか?
今日はその式典が県庁であった。
朝7時に集合。
各国家公務員及び選ばれた各小・中・高校が1校ずつ参加していた。
ここで興味深かったことは、インドネシアの民族衣装を見られたことだ。
各中学校・高校から選ばれた代表男女各1名がさまざまな衣装をまとっていた。
多彩できらびやかなものばかりで、見ていておもしろかった。
同僚がどの民族の衣装なのか説明してくれたのだが、沢山ありすぎて覚えきらなかった。
だが、同僚の計らいで全ての写真を撮ることが出来た。
同じインドネシアとはいえ、服装も全く違い特徴のあるもので面白かった。
説明を聞くに、独立記念日と共に、毎年この日は青年たちが独立を祝い、インドネシア人としての自分たちを誇る日だそうだ。
毎年やるというから、来年も楽しみな式典だ。
 この式典の最後には、校庭いっぱいに小学生が並び日本のラジオ体操のインドネシア版?のようなものをやっていた。けっこう長い体操だったが、子どもたちも良く覚えていて良く動いていた。
説明によると、健康になるために国で推進している体操だということ。今まで見たことはなかったが、各学校でよくこの体操をしているらしい。
 いろいろと式典があり、面白い文化だ。

スラウェシでソフトボール!

記10月26日(日)
 JICAの隊員や専門家、日本人会の人たちと、ソフトボールをすることになった。
去年のシーズンオフ以来、訓練生活に入ってしまったこともありやる機会がなかったのだが、やっと機会に恵まれた。
 
 インドネシアはとても暑いので、朝8時頃から始まり、午前中のみの活動。
練習もそこそこに、早速試合を行う。
インドネシアに来て、初めての運動らしい運動だ。
こんなに体を動かしたのは久しぶり。いい汗をかいた。
久しぶりに投げた。今まで使っていない筋肉が総動員されたような感じ。
日を置かずに筋肉痛で動けなくなりそう・・・
楽しくやろうという主旨の試合だったのに、やっぱり勝気な性格が先にたち、いつの間にか真剣になってしまった・・・!
楽しかった!やっぱり運動はいいな。
今度の練習のために、少し自主トレしようかな?と一瞬思ったりして。(思うだけ)


インドネシア人にソフトボールを広められたらいいなと思い、自分のグローブを持参したまでは良かったが、この島では野球・ソフトボールともにやる習慣はないようだ。
隣の体育課の同僚に聞くに、野球はグローブやバット、いろいろと道具が必要なので出来ないとの事。特にグローブは高いのでみんなやらないとの事だった。
でも、帰国するまでには何かやってみたいと思っている。

次回の練習が楽しみだ!