2009年8月23日日曜日

EXPO TAKALAR 2009






   
2009年8月5日(水)

 
8月1日から1週間行われているこの行事は、
県の中心部にある一番大きな広場を利用して行われている。
県の役所や各郡の役所がブースを持ち、活動の紹介や地元特産品の販売など、
とても賑やかに行われている。
昼間暑い現地では、夜の催しはにぎやか。
夜7時頃から行われ、11時頃まで続くそう。

 教育局のブースもあり、たべものから服まで、
いろいろなものを販売している。
このブースに生徒の作った携帯ストラップを置いてもらっている。

私も毎晩参加している。
夜7時以降、家から出たことがなかったので
こういう時間はとてもおもしろい!
夜遅くまで、街はにぎやかだ。

妹のインドネシア訪問



   2009年8月4日(火)

 肉親初のスラウェシ上陸。
妹がついに任地にやってきた!
海外旅行さえこれで2度目と言う彼女が、
言葉も全く通じないインドネシアに来たのだった。
スーツケースの中には、日本からのおみやげがたくさん入っていた。
注文したものも多くあったが、
こうしてはるばる運んでくれたのは本当に嬉しいものだ。
1年以上ぶりの再会だったが、お互い相変わらずだった。

 私の任地には2日間しかいなかったが、
幼稚園教諭である彼女は、
私のいつも通っている村の幼稚園で、
言葉は全く通じないのに、楽しそうに子どもたちと遊んでいた。

 任地の私の友人たちは、
遠く日本から来た妹を珍しそうに見ながら、
妹の訪問をとても喜んでくれた。
短い時間だったけれど、
心温まる現地の人たちと触れ合いながら、
持ちきれないほどのおみやげー
タカラール名物のお菓子や、
私の生徒が私の家族のためにとその場で作ってくれたお菓子を
持ち帰ってくれた。
短い時間だったが、私を囲んでいる人たちに会って、
私の居心地の良さを体感してくれたのではないかと思う。

はるばるやってきてくれた妹に感謝!

バリで販売

 2009年7月27日(月)

この数日の新作品・アイディアを全て持参し、バリ島へ。
当初は妹を迎えに行く予定だけだったが、
バリの小物屋さんをめぐり、商品を置いてもらえないか交渉してみることにした。

結果は・・・
日本人経営者の店をあたってみようとまわってみたが、
経営者はおおむね店には居なくて、会うことができなかった。

その中で、1軒だけ試しに置いてくれることになった。

売れますように!

2009年8月15日土曜日

こどもの日


   2009年7月23日(木)

朝事務所に行くと、なにやら騒がしく幼児がいっぱい。
聞くと今日は「国民のこどもの日」 
事務所の中庭いっぱいに子どもたちがあふれる。

日本でいうところの、『ぬり絵大会』が開かれた。
各郡の幼稚園の代表幼児が集合。
先生や両親の付き添いのもと、にぎやかにすすめられる。

タカラール県のラジオ局も生放送に来て、課長へインタビュー。
ついでに私とKO*CAの2人も出演。
でも、突然ふられた質問へのコメントは、言葉が出ず・・・

いつもは静かな事務所が、子どもたちの声に包まれる。
こういう1日もいい。

お母さんも一緒に

   2009年7月22日(水)

生徒の家に通ってアクセサリー作りをするようになってから、
少しずつ作業をしてくれる人が増えてきた。
家族が手伝うようになったのだ。
お姉さんや妹たちが一緒に作っている。

ところが、お母さんはいつも見ているだけだった。
どんなに誘っても、
「私はできないから・・・」
と、やろうとはしてくれなかった。

そのお母さんが、なんとついに!
私たちが作業していると部屋の隅でやっているではないか!
ちょっと恥ずかしそうに、たまに編み方が間違っていないかどうか
娘に確認している。

お母さんまでもが仕事をしようという気持ちになってくれたのは、
とても画期的なことだ。
これから続くかどうかは分からないが、
それでもやろうとした気持ちが、嬉しかった。

日本人に向け販売



   2009年7月18日(土)

 その後も変わらず生徒がアクセサリー作りをすすめている。
製品はできてきたが、売り先がまだない。
今日もある人に相談。
「旅行客である日本人にも売ってみたら?」
と提案を受ける。
さしあたり見本にと、いくつか購入してくれた。

今後は売り先開拓が、大きな仕事となってきそうだ。
写真は、家でアクセサリー作りをする生徒。
熱心に作成に取り組んでいる。

2009年8月13日木曜日

ペテペテの中で

  2009年7月18日(土)

ペテペテ(公共乗り合いバス)の中は、私にとって貴重な情報源。
今日も村からの帰りに、一人の女性に出会った。
ペテペテに乗ると、たいていの人が私の国籍、仕事などを聞いてくる。
まずはそこから、世間話が始まる。

ペテペテでマカッサルまで行く道中の話の中で、
彼女には中学生になる子どもが居るが、
お金がなく普通学校に通わせきれなかったという話になった。
どうして、中途退学したのか?と聞いてみると、
お金がないからだと言う。
すでに教育の無料化は始まっていて、この島でも遅ればせながら
制度が実施されている。
条件はあるが、その条件に該当する者できちんと申請さえすれば、
補助金が下りるようなシステムもあるのだが、
残念ながらそのことはあまり知られていない。
無論、ノンフォーマル学校(PAKET)の存在も知らず、
私の説明を珍しそうに聞いていた。

私の通っている村でもそうだったが、
情報があまりにも伝わっていない。

ノンフォーマル教育制度というものはありながらも、
一番必要である村人の多くは知らないままで居るのだ。
一般人にきちんと伝えることが必要であると強く感じている。

結婚式にはこんな服で参加



   


2009年7月16日(木)

親戚の結婚式へ。
今日は任地での結婚式用の服を着て、初めての参加。
親戚のあいさつ席に一緒に並び、来客にあいさつ。
いつも通っている村での結婚式だったので、
生徒たちも大勢参加し、にぎわう。

ちょっと照れくさかったけど、生徒たちに
「似合っているよ!」
と褒められ、嬉しかった!

1年目の振り返り

   2009年7月16日(木)
 任地での生活が1年経過したということで、
JICAの協力隊コーディネーターが上司と経過確認をしにやってきた。
自分の今までの活動を振り返る良い機会に恵まれた。
県の教育長は未だに私が日本から来たのか、韓国から来たのか分かっていない。
(そのくらい私には関心がなく、この1年話したこともほとんどない)
でも、この訪問のおかげで自分の活動をやっと説明できるチャンスに恵まれた。
毎月拙いインドネシア語で報告書を作成し提出しているが、
私の上司(課長)でさえきちんと目を通してはくれない。
それでも自分の活動の軌跡として、
文字にしながら自分自身も1ヶ月を振り返っている。
その報告書作成もすでに6回目となった。

 急に県の教育長がコーディネーターの訪問前に、
私に活動報告をするようにと言ってきた。
だから、準備を整え話し合うのを待っていたが、やはりその時間は作ってもらえず・・

 コーディネーターの訪問により、県の教育長初め配属先との話し合いの中で、
新たに活動内容として追加されたものがある。
① フォーマル学校での中学・高校での日本語授業及び日本文化紹介
② 教育局や学校教員に対して、日本の教育システムの紹介

①は、タカラール県の学校をインターナショナル校目指して、授業展開をしたいというもの
 ノンフォーマルPAKETCで日本語授業を行っているのを知った教育長が、
ノンフォーマルではなくフォーマルで授業を教えるようにとのこと。
②は、教育長たっての希望だが、実は以前配属課内で何度か行おうと企画していたもの。
  企画はしたものの、課内の人たちにあまり関心を寄せてもらえず、
プレゼンが開けずに歯がゆい思いをしたものだった。
今回は、教育長じきじきのお達しだから、きっと同僚も参加してくれるに違いない!

 今までは個人的にフォーマル学校をまわっていただけであったが、
これで堂々と巡回できるようになる。
入り口はなんでもいい。
現地の生徒と関われるきっかけさえあれば、自分の伝えたいことを伝える場ができる。
まだまだ中退者の多いこの地域で、正確な情報を伝えることの大事さを痛感している。
まだ学校に通っている間に、授業でPAKETの存在を伝えることは、
中退後もまだ学ぶ方法があるということを知ってもらえる良い機会となる。

午前中の退屈な事務所勤務も、学校訪問が加わり少し楽しくなりそうだ!

国の担当者訪問

    2009年7月15日(水)
 いつもの通りPKBMに寄りがてら、イブミナの家で昼食をとっていると、
もうすぐ国の教育局学校外教育課担当者が訪問に来るから、
ここにいるように、と同僚に言われる。
本当は最近毎日通っている生徒の家で、アクセサリー作りをする予定だったのだが
急遽そのお偉いさんとやらを待つことに・・・
 ジャカルタから来た彼らは、どうみてもお偉いさんという感じの雰囲気をただよわせ、
ちょっとPKBMに寄っただけで、訪問終わりということにしてしまった。
この訪問のために、現地ではいくつかの訪問先を用意し、
メンバーを集めて準備していたというのに。
その上、私の活動を見て、いろいろと質問をしてきたのだが
その内容一つに対しても、まずは担当であるあなたたちが考えるべきことではないのか?
というような質問ばかりされて、
久しぶりにイライラしてしまった。
 村での活動を見に来たはずなのに、きちんと現実を見ないで適当に済ませ、
きちんと向き合わなければならない問題をおざなりにしている。
私に対する質問は、そのままそっくりあなたに返したい質問です、と
私もつい言ってしまった。
 村の小さな問題かもしれないけれど、これが現実で、
それをどう改善していけばいいのか誰も分からないからこの状況なのだ。
そのことを、外国人の私に聞く前に、自分たちでなんとかしようという気持ちはないのだろうか?
タカラールの人に対してムカッと来ることのなかった私だが、
このお偉いさん方には本当に腹が立った。

現実に向き合ってもらえなければ、いつになっても現実は改善されないのだ。

ある生徒のその後

   2009年7月13日(月)
 私の生徒たちは受験が終わって、ひと段落。
久しぶりにみんなの顔を見に村へ行く。
生徒の一人が、とても熱心にアクセサリー作りを行っている。
今日は材料を持参し、引き続き家で作ってみないかと話を持ちかけてみた。

「作るのが大好き」
という彼女は材料を見るとその場で作り始めた。
彼女の作業の仕方は、一つ一つがとても丁寧だ。
クラスで教えていたときから感じていたこと。
彼女なら、品質の良い作品を作ってくれる。
彼女の家で作っていると、姉妹たちが集まってきた。
彼女は6人姉妹なのだが、みんな小学校までしか出ていない。
彼女はPAKETCまで学んだので、高校と同等の卒業資格を持つが、
姉も妹たちも、PAKETの授業に行くのは気が進まないということで、
みんな学校には行っていないのだ。
だから、時間はたくさんある。
午前中は家の手伝いをし、午後はのんびりしているそう。

他の姉妹にアクセサリー作りを一緒にやろうと誘ってみたけれど、
「難しそうだから!」
とやる前から恥ずかしがって、結局今日は彼女の作業をみんなが見ていた感じ。

でも、彼女のやる気が嬉しい!
何より、楽しんで働いてくれる姿が嬉しいのだ!

先輩隊員に感謝!

   2009年6月28日(日)
 作ったアクセサリーを何とか販売できないかと、あれこれ考えている。
まだまだ品質に改善の余地はあるが、
少しずつかわいくてよい作品ができ始めている。
試作品を先輩隊員に見てもらったら、
帰国のみやげに買ってあげると、予約注文をいただいた。
 こんな風に活動が展開するとは予想していなかったが、
このきっかけを大事にしたい。
当初は現地での販売のみを考えていたが、
日本人向けにも考えてみるつもり。
ここに居る間に、販売ルートを確立するまでできたら最高だ。

 まずはいい商品を作って、
村の人が収入を得ることができるように
自主的な運営ができるように
アドバイスしていくつもりだ。

少しずつ、私の活動が進んでいく手ごたえを感じている。

2009年8月12日水曜日

結婚シーズン到来





   2009年6月27日(土)
 乾季になって、結婚式が県のあちこちで見られるようになった。
村への移動でペテペテ(公共乗り合いバス)に乗っていると、

通りのどこかでパーティーが開かれているのにほぼ毎日のように遭遇する。
大通りを占拠して、通れないこともしばしば。
結婚式は最優先されるようで、一般道にまたがって結婚式が開かれる場合は、
運転手はみな迂回をしている。
家の庭を使って、200席ほどのいすが置いてある。
きれいに飾り付けられていて、そこを通った人たちが
『今日は結婚式なんだね!』
とペテペテの中で噂話になるほど。
「公共の場所をこんな風に使って!」
などと文句を言う人は、誰も居ない。

この地域での結婚式は、3日にわたって行われる。
初日・・・結婚式前夜は、『パッチン』と呼ばれ、新郎新婦それぞれの家で、

     両親や親戚とのお別れの式。

     両親や親戚の涙に見ているこちらも胸が熱くなる。
2日目・・・結婚式当日。日本でいうところの披露宴のようなもの。

     新婦の家で行われる。お昼頃から、夜中の12時頃まで延々と行われる。
     その日は舞台が設置され、エレクトーンの伴奏と共にカラオケ大会が始まる。
     村では、見物客でにぎわっている。
     露店バイクのおじさんたちも、しっかりとここで物売りを始める。
3日目・・・新婦を新郎の家まで送り、新郎の家で2日目と同様のパーティー。

この3日間は、とても盛大に行われる。

 写真は私の通っている村での結婚式。
花嫁はPKBM(学習センター)のすぐ隣の家の人で、とても仲がいい。
是非にと招待を受け、参加することになった。
とてもきれいで、いつもの彼女とは見違えるほど。

今日の宿泊先であるイブミナ(6・27パサールでの買い物の人)の家は3件くらい隣にある。
イブミナは朝から手伝いに行ったきり。
私も午後からは料理の手伝いをしに行く。
近所の主婦たちが集まり、ワイワイ賑やかに話をしながら
野菜の皮をむいたり、切ったりしている。
こういう時間に一緒に居られるのが、とても好きだ。
いわゆる世間話だが、話題は多岐にわたっている。
彼女たちは、現地語のマカッサル語を使うので、
まだ勉強中の私は話題についていけないことも多いが、
ちょっとだけ内容が分かったりすると面白い。
途中で主婦の一人が私のために話の内容をインドネシア語で訳してくれたりもする。
ありがたい。
時々、私のことも聞かれたりして、
日本の様子や日本の家族のこと、日本の四季などについて話をする。

結婚式は、それをとりまく人々にとっても賑やかで楽しい儀式。
親戚・近所総出で準備をする様子は、私の田舎にちょっと似ていた。
今回は、準備から3日間ずっと間近に見ることができたので、
タカラールの文化を知るよい機会になった。

やっぱり、村での生活はおもしろい!!

2009年8月9日日曜日

パサール(市場)での買い物





      2009年6月27日(土)
現地の人の買い物に同行。
私の家のイブは、私が仕事に行っている間にパサールに行くため、
家の人の買い物に付き合ったことはなかったので、
イブミナ(村に行くとお世話になっているおばあさん)の買い物に付き合って、
はじめて現地人の買い物の仕方を知る。
 店でごった返しているパサールの中をかき分け、
手際よく買うべき品物を品定めし、購入している。
このパサールには何度か足を運んでいるが、
毎回見学といった感じで、大量に買い物をしたことはなかった。
だから、こんなふうに現地の人がいろいろと買い物するのを
初めて見たのだ。
大混雑の中を、するすると人だかりをすりぬけて
目的地に移動する。
購入の際には、値切り・おまけを必ずもらう。
主婦は、国を問わず力強いものだ。

 パサールに行くと、その地域の暮らしがよく分かる。
日々の暮らしというものの、奥深さを感じる。
活気があり、『人は生きている』というのを、感じられる場所だと思う。
パサールでの買い物に、パワーをもらったといったら、言いすぎだろうか?

家に戻ったイブミナは、いつもの優しいおばあさんに戻っていた。
パサールには、『生きる力』があふれている。

最近の活動



4月から、生徒たちに教え始めたアクセサリー作り。
写真は現在通っている村の生徒たちだ。
そもそもは、授業に教員が来ないという問題があり、
教員の来ない授業時間を無駄にしないために、
補教授業としていろいろ教え始めた。
その中で生徒たちが興味を持ってくれたのがこのアクセサリー作りだった。

編み方の練習から始まったのだが、

毎日通ってくる生徒はどんどんうまくなっていった。
うまくできた生徒は自分で持ち帰り、
近所の人に売り始めて2ヶ月になる。
まだまだ試作の段階ではあるが、
作ったものが売れるのは嬉しいようで、
生徒の何人かはかなり気合を入れて毎日作成している。

この生徒たちは先日の試験を受け、PAKET Cは卒業見込みだ。
でも生徒全員が、学校を卒業しても仕事がないという。
このままぶらぶらと、日々過ごしていくのだろうか?
『仕事はどうするの?』
と聞いても
『仕事はないから、家に居る』
というのが、生徒の声。

それでも生活ができてしまうのだから、
どうなっているんだろうなァ・・・
と、外国人の私は考えてしまうのだった。

仕事をする楽しさを何とかして伝えたいものだ。

作品の成果



    2009年6月27日(土)
いつもお世話になっている村のイブミナの家に宿泊。
お手伝いで、村からパサールへ一緒に行く。
そんなペテペテの中。

向かいに座った男の子の左腕に注目!
なんと、私の生徒たちが作ったアクセサリーをしている!!

4月から授業で村の生徒が作り始め、
できた作品を売り始めたのだが、実際に生徒以外が身に着けているのを
みるのはこれが初めてだ。
思わず子どもに声をかけ、誰から買ったのかを聞いてみる。
一生懸命毎日新作品を作っていたある女の子から買ったようだった。

気に入ってくれているようで、毎日身につけているとの事。

こうして実際に売れて、身につけている人を見るのはこんなにも
嬉しいものなんだなぁ・・・!

生徒たちに見せたいと思い、写真をとらせてもらう。
生徒たちはきっともっともっと、喜ぶに違いない!

ujian national試験当日



       2009年6月25日(木)
23日(火)~26日(金)の4日間にわたって行われる試験。
ノンフォーマルの生徒約450人。フォーマルの生徒約120人。
県内で、総勢600人の生徒が受験をしている。
今日で3日目が無事終了した。
試験は午後1時から5時まで2教科ずつ行われる。
とはいえ、日本のように時間きっちりに始まるわけではない。
試験官・受験者ともに、遅れてくることもしばしば。
そのうえ、この国ならではの難しい現実がある。

日本人として、不正行為を見逃すこともできないし、
その手助けをすることは許しがたいわけだが、
この国の現状はそうなんだと言われると、
おかしいと思うし悔しいけれど何もできない。
そのたびに、日本ではこのことは許されないことだ。
と日本の常識を話し、
また、この国の文化も理解しているから、仕方がないことだとは思っている。
というようなあいまいな返答をしている。
でも、その不正の行われている空間に居るだけでも、罪悪感がかなりある。

何のための試験なのか?
慣例として行っているだけなのか?
本当に必要があり、行っていることなのかという疑問がある。

自宅に帰ってから、同僚であり、ホストファミリーであるSakriに少し話してみる。
この試験自体に、賛否両論あるという。
任地のような田舎では、都会のような教育レベルにはまだ達していなく、
それなのに全国共通で行われるこの試験は、
やる前から不利なのだと。
だから、教員が助けてあげなくてはかわいそうだ。
という主張だ。

教育の複雑さは、国自体を複雑にするのかもしれない・・・
何のための試験なのかを問う国民は、どこかにいるのだろうか?