2009年1月26日月曜日

職場の様子

記2009年1月22日(木)
 同僚が変わると、働き方も変わってくる。
今までは狭い部屋だったので誰が何をしているのか一目瞭然だったが、今は広くなってしまったので、会話をするにもわざわざその人の席まで行かなくてはならない。
 日本の事務所のように全員が見渡せる配置というのではなく、いたるところが棚で仕切られている。
 その上、私の席の目の前が来客用席になってしまい、来客がかわるがわる(ちょっと暇だから遊びに来た!という人がほとんど。)声をかけてくれるものだから、仕事にはならない。
(というほどの仕事はないが・・・)
 事務所では会話の練習とあきらめ、書類作成などの事務仕事は家ですることにした。
どうしても書類を事務所で作成しなければならずにPCを使っていると、日本語のPCだと言って、物珍しいようで人が寄ってきてPCをのぞいたり勝手に触ったりして、まったく仕事にはならないからだ。
 不特定多数の人の出入りが多くて困っている。
特に同じ人が何度も同じ質問を繰り返し聞いてくるから!!!
 
ふぅ。

毎日雨!


 本格的な雨季だ。
からっと晴れたかと思うと、数時間後にかなりの量の雨。
毎日必ずといっていいほど降っている。
日本の梅雨の時期に似ているけど、ちょっと違うか?
毎日部屋のカビ掃除に追われている。
家を長期不在にしたから、カビが発生したのではないようだ。
数時間の日差しを利用して、洗濯物を干す。
もうすぐ乾くか!と言うときに、大粒の雨。
翌朝もう一度干すことに・・・
この繰り返しにも、もう慣れた。

 毎日のように夕立になり、夕方の散歩はもうずい分おあずけだ。
すっかり部屋での生活になってしまっている。

 でも、村はもっと大変。
洪水をものともせずに普通に生活をしている。
高床式の家のよさを実感!

人事異動

    記2009年1月19日(月)
 先週の木曜に、突然人事異動があった。
日本でいう年度末の人事異動にあたるようだが、なぜこの時期なのかは分からない。
 何も知らない私は、前日にホームスティ先のBapak(お父さん)に明日人事異動があるから、同僚も変わるんだよ!と言われてビックリ。
当日いつも通り出勤したが、人事異動の発表を聞きにいっているとかでほとんどの人が出勤していなかった。
 私の部署は2つの部署が統合され、大きくなった。
今後は学校外だけではなく、フォーマルの学校教育課も含み、運営していくようだ。

 とはいえ、いつも通り仕事をしていると・・・
突然この部屋では狭いということになり、急に引越しが始まった・・・
隣の部屋の壁をぶち抜き、広くするということだ。
世間話の延長のように話が決まり、すぐに実行するのは意外だった。
事前に部屋割りの計画がないと言うことにも驚いたが。

 今までの一番奥まった部屋でひっそりと少人数での仕事・・・から
一転して倍の広さの部屋になり、同僚も倍の人数に増えている。
 その上、来客も多くかなり賑やかだ・・・
常に部屋に10人以上の人がいるという状態。
 
私の仕事を助けてくれていた人も異動になっちゃったし。 
これからどうなっちゃうんだろう・・・

2009年1月17日土曜日

PAKET Cの授業



   記2009年1月14日(水)
 先週に引き続き、村へ。 (写真は村の風景)
午前中の事務所勤務を終え、昼食をとってから村行きのペテペテに乗る・・・
はずだったのだが、15分以上待ってもペテペテが来ない!
 道端にずっと立っていたところを、上司が見つけてくれて、
何とか時間に間に合った。

 先週よりも多くの生徒が来てくれていて、にぎやかに授業が進む。
子どもたちの反応が良くて、こんなに自分もおもしろく授業をすすめられたのは
久しぶりだった。

今日は先週の続きの挨拶と、歌の練習。
吸収が良く、先週の授業で教えたことはほぼ全員が覚えていた。
その上、知りたい!という欲求が強く、いろいろと新しい単語を質問される。
授業をしていてとても張り合いがある。
お互いが楽しんで授業できるという理想の授業が成り立った感じ。
 今までにない感覚を味わうことができた。
授業は生徒と共に作り上げていくものだということの意味がよく分かった気がする。

授業をしていて思ったことは、学校を中退したといっても能力的には高い生徒が多いことだ。
どうして中退してしまったのか?
という理由をいつかは聞きたいと思っている。
でも、こうしてPAKETの授業に出てくるだけでも、学習意欲はあるということだ。
多くは子どもを連れてきていたり、
眠っている子どもを抱きかかえながらノートをとっている生徒もいる。
その姿を見ていると、応援したくなる気持ちが湧いてくる。


この後は、体育の授業に参加。
ポチョポチョというダンス?を教わる。
ステップを覚えるのが苦手なので、生徒たちに教わりながら何とか踊る・・・
が、最後までできず。
体育の教員には「練習あるのみ!」
と言われ、家でも練習しようと決心。
 久しぶりに体を動かして、おもしろかった!

PKBMは、いろいろな状況を背負った人たちが、
それでも学びに来る学校。
ここで得られるものが、後の子どもたちの生活につながるように、
出席してよかったと思えるような授業を今後も続けて行きたいと強く感じている。

教育の話で盛り上がる?

     記2009年1月9日(金)

 上司はもと中・高の体育教師。
15年教員を行い、教育局の体育課へ2年勤め、学校外教育課課長となった。
まだ40代前半で、教育局内では初の最年少課長だそうだ。
 今日は部屋に上司と二人きりになってしまったため、何か良い話題はないかと
考え、教員時代の話を聞いてみた。
 かなり熱血教員だったらしく、教員時代についてとても嬉しそうに語っていた。
そこへ60歳近い同僚も話しに加わってきて、今の教育について話が盛り上がる。

 インドネシアでも、体罰はしてはいけないそうだ。
20年前はまだ厳しくなく、教員だった頃は、定規を持っていたそう。(日本と同じか?)
年配の同僚の話では、子どもの頃宿題をしてこないと、廊下に片足立ちして立たされたそうだ。
足をさげると友達が先生に言いつけて、さらに長時間立たされるとか・・・
どこかで聞いた話と同じだ。
日本の昔と同じ。
 昔は親が先生を尊敬していたから、子どもも先生を尊敬したし、怖がっていた。
だから、先生の姿が見えると、どうにかして先生に見つからないように逃げた。
なんて話をしていた。
日本も同じだーというと、さらに盛り上がり。
インドネシアでも、今は子どもに何かあるとすぐ親が学校に来るらしい。
だから、今の教員は大変なのだ・・・
と話していた。

 国は違っても、こんなところに共通点があるとは。
人間とは、面白いものだ。
意外な話の盛り上がりに、今日初めて上司と長時間のおしゃべりが達成されたことに気づいた。

おもしろい勘違い

     記2009年1月7日(水)
 昨日の巡回のときに、
「明日も会議があるよ!」
と聞いたので、
「明日も一緒に参加したい!」
と意思表示したまではよかったが、肝心の場所と時間が聞き取れずに苦労。
とにかく朝9時にある郡の役所に行けばいいのだと思っていたのだが、
不安だったので、朝もう一度連れて行ってくれるはずの人に電話で確認・・・
確認の電話のはずなのだが、その電話でも話の意味が分からずに、ギブアップ。
近くに居た同僚にケータイを預けてどこで待てばいいのかを聞いてもらう。
 結局この事務所で待てばいいという事が分かったので、のんきに待っていると、
別の担当者から電話。
「郡の役所で8時から待っているのよ!」
えー!会議が始まってしまう!
あわてた私は急いでペテペテに乗り役所へ向かう。

 役所に到着すると、そのままワルン(屋台)へ。
マカッサル名物のCoto(チョトー内臓煮込みスープ)の店でごはん。
会議はいいの?と思ってよくよく話を聞いてみると・・・
「会議が県の教育局であるから、その前に郡の役所の近くにあるおいしいチョトの店でご飯を食べよう。ごちそうしてあげる。」
と言うようなことを、昨日言ってくれていたらしい。
何で分からなかったんだろう・・・私。
会議がこの郡で行われるのかと思っていた・・・
 今朝電話で確認した担当者は、もちろんチョトを一緒に食べるわけではないから、教育局で待つようにという指示をしてくれたのだ。あらら。
 二人とも別の郡の担当者だが、仲が良いので私から電話があったこと、
私が郡の役所へ向かっていること、無事到着したことなど
全て連絡しあってくれていたので、よかった。
あぶない、あぶない。

 結局、ここで早い昼食を済ませ、そのまま郡の役所の人たちに新年の挨拶をし、
またペテペテで事務所まで戻ったのだった。
 教育局の同僚には「慌てて出て行ったので心配していたのよ」
と言われながらも笑われ、私の大きな勘違いを話すとまわりにいたみんなも大笑い!

結局会議は教育局で行われたのだった・・・
Aduh!
もともとのあわてんぼうに加わって、言葉の勘違いも加わって、
ずいぶん面白い時間を過ごしてしまった!
 でも予期せず、郡の役所に挨拶に行けたから、まぁ、いいか!

そうそう、今日はお父さんの誕生日だ!
おめでとう!そして感謝です!

教壇に立つ

  記2009年1月6日(火)
 事務所にいると、州の学校外教育課の担当者が視察に来た。
2つの郡のPKBMを視察するということで、私もついていくことに。
2つともすでに何度か行ったことのある場所だったし、郡の担当者とも仲よくさせてもらっているので、新年の挨拶代わりに話をする。

 視察が終えると、今日これからちょうどPAKETC(高校と同等)の授業があるということで、そこに参加させてもらうことに・・・
この地域のPAKETの生徒にはまだ会った事がなかったので、今日はついているなぁ・・・
と思いながら、生徒が来るのを待つ。
 本来は数学の時間だったが、日本語を習いたいと言うことになり、急遽日本語の授業を行うことに。
 数ヶ月ぶりに教壇に立つ。
日本語を教室形式で人に教えることは初めてだったが、思いのほか生徒が楽しそうに授業を受けてくれ、私自身も楽しく過ごすことができた。
定期的に授業を行ってほしいという提案を受け、もちろん!と引き受ける。
私としては、渡りに舟。
どうやって、PAKETの子どもたちと知り合うか、また関係を持つかという事を考えていたところだったので、教員として関われるのは願ってもないチャンスだ。
その上、ほかのTUTOR(ノンフォーマルの教員)も一緒に授業を受けたいといってくれたので、授業のすすめ方についても、見本をみせることができる。
 
 このPAKETの巡回をどうやって行うかという事が今後の課題だったのだが、こんな風に突然チャンスがやってくるなんて、本当についている!
今後は毎週このPKBMに通い、定期的にPAKETの子どもたちとも交流が持てるようになりそうだ。

 久しぶりに授業を行ったことと、また少し活動が進歩したことでとても励みになる一日だった。
やはり子どもたちに直接関われる仕事はいい。
自分にエネルギーが湧いてくるのが分かる。
ちょうど赴任して6ヶ月目。
いい節目を迎えることができそう。

仕事始め

  記2009年1月5日(月)
 10日ぶりの出勤。
いつも通り1番に事務所へ。
しばらく一人でいたのだが、うちの課の人が誰も出勤してこない?
何かあったのだろうかと心配になりながらも、一人で待つ。
仕事始めなのに・・・
10時頃になり、同僚が一人出勤。
特に理由はないらしい。普通どおりの出勤だと言っていた。
本当は、1月2日が初出勤日だったようだ。
だが、うちの課だけは2日は全員休暇?ということにして、やはり今日から仕事始めらしい。
なのに、誰も来ないなんて・・
結局私と同僚の2人でおしゃべりをして終わった一日。

日本の初出勤日とは気合が違う?

部屋のその後




    記2009年1月4日(日)
 かび臭い部屋の窓を開け放ち、一日中部屋の大掃除。
お気に入りのバッグや、洋服をいくつかだめにしてしまった。
カビの威力はすごいものだ。
スラウェシは連日の雨だったらしく、部屋中湿気だらけだ。
Aduh!
 せっかく家から送ってもらって大事にとっておいたせんべいの中にもなぜかありんこが・・・
食料はそもそもの包装にジップロックを重ねてしまっておいたのだが、すべてを食い破っている。
ここのありんこは、日本のより強そうだ。

 これらを全部退治して、やっといつも通りの部屋に。
旅の余韻を残しながら、少しずつ任地生活に戻っていく・・・

部屋の中は、さあ大変!

  記2009年1月3日(土)
 感動の再会のあと、部屋に入るとなにか臭う・・・
見渡すと、黒の洋服ダンスに見慣れぬ緑色の粉が・・・
もしやと思って、近づいてよく見てみると・・・
なんと、カビが発生していたのだ!
そして、何気なく壁を見ると、黒い筋が・・・
なんと、ありんこ軍団の登場だ。
その上、カマールマンディー(風呂場兼トイレ)には虫が集まっていて、特に浴槽の中で虫が水死体になっていたのには、びっくり。

 一気に旅行ムードから、現実に戻った気分。
この戦いには負けられない。
けど、今日は眠さに負けてしまった・・・
かなりかび臭い部屋だったが、久々の自分の部屋でぐっすりとねむった。

任地生活再び!

  記2009年1月3日(土)
 同期との楽しい時間に別れを告げ、10日ぶりにタカラールへ。
家のドアを開けた瞬間イブに抱きしめられ、第二の我が家に帰ってきた実感が湧く。
「10日もいなかったなんて、長すぎてさみしかったよ。」
と満面の笑みを浮かべて話してくれるイブの姿を見ていると、ああこの家で暮らせてよかったな。
としみじみ思ってしまう。
 久しぶりの家は、やはりほっとするものだ。
 
 部屋でのんびりしていると外出していた若夫婦も帰ってきて、3歳のネイラが飛びつくように駆け寄ってきた。
 こんなに盛大に歓迎されると、嬉しさはいうまでもない。
たった10日が、とても長い時間に思えた。
「もう、長い旅行はしないでね」
と言われたのには、ちょっとドキッとしたけど。
でも、そんなふうに言ってもらえるのは、家族の一員に近づいてきた証拠なのかもしれない。

Bogor(ボゴール)への旅でリフレッシュしたきた分、これからまた任地生活しっかりやるぞーという感じ。
いい新年だったな。

日本からの小さなお客様

 記2009年1月2日(金)
同期隊員の元生徒である高校生と保護者の方と会う。
同期隊員は現職参加で、ここインドネシアに居るのだ。
かわいい生徒を日本に残し、旅に出たそう。(隊員として派遣中)
 そのかわいい生徒が、なんと会いに来てくれたのだ。
年末からインドネシアをぐるっと回って、ジャカルタに戻ってきたと言うので少しの間会うことができた。
 高校生のまぶしい笑顔に、こちらの顔も思わずほころぶ。
隊員活動のリサーチを兼ねて来たということでインタビューされたのだが、こちらもドキドキ。
質問に答えるたびに、その質問に向き合うことになり、おもいつくままに話したが本当のところどうなんだろうと、後でまた考えたりしてしまった。

 同じ教員として、彼をうらやましく思ったのはいうまでもない。
今この瞬間にも、この子たちに影響を与えている。
たくさんの子どもたちと出会ってきたが、自分にはこんな風にいい影響を与えることができたのだろうか?

今はまだ分からない。
私が帰国したら、また会おうねと約束した卒業生たちがどんな高校生活を送っているのか?
みんなに負けないように私もここでいい活動をしていきます。また会う日を楽しみにして。

ボゴールの家族

 先生の家族には本当にお世話になった。
突然お邪魔したにも関わらず、温かい笑顔で迎え入れてくれた。
朝晩に話をしたりすることはもちろんだが、
毎日誰かしらが私たちの相手をしてくれ、あちこちに連れて行ってくれた。
インドネシア人の家庭に触れた10日間だった。
先生の兄弟は10人いて、いとこを含め出会った人数は数え切れない。
その上インドネシア人の名前はなかなか覚えることができず、
お世話になったにもかかわらず名前を覚えていない人も多い・・・。

自分の気持ちを伝える手段はインドネシア語しかなくて、
覚えている言葉の中から必死にふさわしい言葉を探すのだが、まだまだ・・・
この嬉しい気持ちをどう伝えたらいいのだろう。
みなさんのおかげで、楽しい旅になったと・・・

言葉足らずの私は、Terima Kasih(テリマカシー:ありがとうの意味)を繰り返すばかりだった。
嬉しい出会いに、また心が温かくなった。
こうした出会いを重ねていくことが、私のインドネシア生活なのかもしれない。

新年!

    記2009年1月1日(木)
 年末から、隊員の出入りがあり一人二人と増えながら
元旦の夜の宴はにぎやかに行われた。
先生の友人を始め、沢山の人が訪れて眠るのがもったいないような夜。
たくさん食べ、たくさん飲み、たくさん話した。
今までのこと、今のこと、これからのこと。
まだまだ手探りな隊員活動だけれど、
明るく前向きに活動していけるといい。

今年も自分らしく、自分に素直に日々生活できるといいな。

初日の出



    記2009年1月1日(木)
 昨晩は明け方近くまで起きていたので、今朝は飛び起きるようにして走った!
日本の日の出は6時半頃だったので、いつも5時過ぎに我が家に集合して、

妹たちや甥っ子や姪っ子と一緒に日の出を拝みに行ったものだったが。
 日本の日の出は、朝がとても冷え込んでいたので、スキー場に行くように完全防備をして手袋・マフラー・耳あてなどもしながら、
真っ白い息をはきはき登ったものだった。
 
ここでは、新年もやはり半袖だ。
 宿泊先に3階建ての建物があり、そこからの眺めがとてもいい。
山に登るのは断念していたので、ここで日の出を拝もうと下見もすでに済ませていた。
屋上に寝転びながら、日の出を待つ。
あいにく曇り空?で、雲の中から少しだけ太陽が出てきていた感じ・・・
でも日差しはすでに暑く、屋上に吹く涼しい風が心地よかった。
 
 姪っ子たちは、この日の出を見ながら、今年も新年の目標を叫んでいるのかなぁ?

と思うととても懐かしい感じがして、私もここから叫んでみた。(内容は秘密)
今年も素敵な一年が過ごせそうな予感!

 日本のみなさん、今年もお互いいい一年を過ごしましょう!!
 

インドネシアで迎えた新年!

      記2008年12月31日(水)
 2008年最後ということで、庭でバーベキューをしながらカウントダウン。
親戚の男の子たちもやってきて、ギターを弾きにぎやか。
インドネシアで新年を迎えるなんて、想像もしなかったな。
コタツに入って、除夜の鐘を聞いて・・・といういつもの新年とは違ったけれど、
こんな風に偶然に集まった人たちと新年を迎えられてこれもまた、おもしろかった。
12時のカウントダウンを待って、あちこちから花火が上がり、賑やかに新年が明ける。
それぞれ新年の挨拶をしたあとは3階建ての屋上に行き、歌の時間。

ギターに合わせて、歌を歌ったり。
寝転んで空を見上げると、瞬くばかりの星たち。
ギターの音色と合わせて寝転んでいると、キャンプ場に居る自分と重なったりして。
キャンプ場で過ごしているような錯覚を起こしながら、睡魔と闘いながらこの時間を惜しむ私が居た。
キャンプ場のみんなを思い出した。

お誕生日





    
12月30日(火)
先生のお母さんの誕生日ということで、一緒にお祝いに参加させてもらう。
写真はお誕生日やお祝いに作ると言うnasi kuning(黄色いご飯)
話には聞いていたが、本物を見るのは初めてだった。
この一番とがった部分をカットしながら、お母さんの健康と長寿を願う。
私たちもご相伴にあずかり、とてもありがたい感じがした。

家族みんなに祝われ、年を重ねることができることは、素敵なことだなぁ・・・と感じた。
家族の暖かさを感じた時間だった。

ボゴールの自然その④





田舎 kampoeng Wisata Cinangneng
観光農場になっている田舎にいく。
田舎の生活が垣間見られるというところだった。
自分の任地とどちらが田舎かを確かめようと、早速行ってみることに。
いい田舎具合にのんびり。
任地といい勝負!
観光農場とはいえ、一つの村になっていて、村人が普通に生活をしている。
ちょうど集落をぐるっとまわらせてもらった感じ。
ちょうど稲刈りが終わり、稲を干していたところだった。
 任地より水か豊かなせいか、畑の土も良く肥えていて、
野菜の種類がとても多かった。
日本のように、整然と畑に多くの作物が植わっていて、任地のトウモロコシ畑とは
だいぶ違う。
確かに野菜の豊富な地域というのが、分かる。

田園の中を歩いていると、村の子どもたちの視線が・・・
ついてきた子どもたちがかわいくて、旅をより楽しくしてくれた。

ボゴールの自然その③





 
KEBUN RAYA BOGOR(ボゴール植物園)
 広くて、のんびりできそう。静かで、まるで森の中のようだ。
とても広くて1日ではまわりきれないということで、今日は一部だけ。

珍しい植物が沢山あった。
特にいろいろな種類の竹が生育していた。
日本には、黒い竹と黄色い竹ってあるのだっけ?
と思いながら、歩く。
黒竹は、すでに炭で焼いたみたいに黒光りしていて、とてもきれいだった。
大きな竹と、たけのこにびっくり!
ここには写真を掲載しきれないのが残念だ。
あっという間に時間が経ってしまった。
今度はお弁当を持ってきて、一日中のんびりしようっと。

デートにも最適。(多分)
おすすめ。

ボゴールの自然その②





1箇所目は果物と植物園。(正式名称は忘れてしまった)
ここは遊園地のような感じの所で、大勢の観光客でにぎわっていた。
年始前の休日だったためだいぶ混雑していた。
子どもたちが沢山居て、日本のようにアトラクションも満載。
収穫体験などもできるようで、かなり遊べそう・・・
私たちも公園内をぐるっと歩いて回った。
その広さに驚き!


それから、コウモリに出会う。
ボゴールではその後も何度かこうもりに遭遇。
とても顔がかわいいので、気に入ってしまった。
ドラキュラの怖いイメージがあるが、本物のコウモリは親しみのある顔をしていた。

帰りは大好きな果物をあれこれ買う。
フルーツ天国!

ボゴールの自然その①



 緑満載のここボゴール。
街の景色も自然たっぷりで、任地にはないような花や緑がたくさんあり、

庭を歩いているとカラフルな色彩に目移りしてばかり。
 写真は裏庭に流れる川の様子。
水浴びをしたいところだが、ゴミが多く水浴びと言う感じではないのが残念。

 先生の家はものすごく広くて、自然がたっぷり。
大好きな果物の木が沢山あり、目を奪われる。
写真はマンゴスチンの木。
背が高く、ざくろ狩りで鍛えた木登りも及ばず。
柿をとるように、竹の棒を使ってたたきおとす。
現地の人は、この木に登ってとるらしいが、無理だった。

久しぶりに収穫欲が湧いてきて、蚊に刺されながらも果物をゲット。
ここでもやっぱり果物狩りに精を出している。
 

2009年1月10日土曜日

BOGORへの旅



 なぜBogorに行ったのかというと、日本での訓練中にお世話になった語学の先生が

里帰りしていたからだ。
訓練中には、2年後(帰国)まで会えないと思いながら別れたものだったが、

インドネシアに来ると聞いてぜひ会いたいと思い、会いに出かけた。
 当初の予定は、ボゴールからジャワ島の国立公園をいくつか回る旅をする予定だったが、

先生の顔を見たらとても嬉しくなってしまって、結局ここで新年を迎えるということになった。
 
 同期隊員より一足先に先生に会ってすっかりボゴール生活を満喫した私は、

とってもご機嫌だったようだ。(同期隊員談)

翌日には同期隊員2人と、日本からのお客様を空港で迎えて、

先生とだんな様含め6人で、ボゴールでの旅が始まった!!

 久々に同期(インドネシアの端と端にお互いの任地があり、なかなか会えない人)と話をしたり、

先生に近況報告をしたり訓練所での生活を思い出したり、と内容盛り沢山だった。

任地ともまた違ったゆるやかな時間の流れの中、毎晩懲りずに本当に飽きるまで話をし、

寝るのも惜しんで過ごした。
本当に楽しかったなぁ!

写真は先生のお宅。敷地がものすごく広く、離れの部屋に宿泊。

2009年1月9日金曜日

BOGOR行きの列車



    記2008年12月27日(土)
 ジャカルタからボゴールまでは、汽車を利用。
そこで、懐かしい光景が・・・
なんと、車両が日本のものだったのだ。
どうやら日本で使用しなくなったものがここで使われているそう。
乗車すると、まるで日本にいるみたいでのんびりと本を読んでしまった。
日本に居るような錯覚を起こしてしまい、一人で笑ってしまった・・・
汽車の旅は約1時間。
日本のように満員電車ではなかったので、ゆったりのんびりと過ごして、あっという間に到着!