2008年8月30日土曜日

日本からの荷物にドキドキ!

日本からの荷物が届いた!       記 8月26日

 首を長くして待っていた日本からの荷物が無事届いた。
正確にはマカッサルの事務所に届いたものを、今日受け取ったのだが。
(次回からはタカラールの自宅宛に送ってもらおう!挑戦!)
日本を出るときに、住まいが決まったら送ってもらおうと思っていたものだ。
でも実際にこっちで暮らしてみると必要のないものも多かったので、妹に整理してもらい、パッキングし直して送ってもらった。
 日本食から離れてちょうど2ヶ月。
この暮らしに慣れることが先で、特に不自由していないと思っていたけれど、生まれ育った味は、やはり懐かしく、恋しくなるものだ。
早速乾燥梅干とインスタント味噌汁を飲む。

うまいーーーーーーーーー!
日本食に感激!
日本では文句ばかり言っていたインスタント味噌汁がこんなにおいしく感じるなんて思わなかった!
嬉しくて家族にうめぼしをあげてみたが、不評だった。
すっぱすぎるって!

おせんべいは大好評。ゴマせんべいおいしかった!

それから嬉しかったものは、タオルケット。
インドネシア人はあまり上掛けなど使わないようで、ない?
ジョグジャでは何もかけずに寝ていたが、タカラールの家にもなくてさすがに2年間となると・・・・と考えたあげく送ってもらうことにしたのだ。
上掛けをかけるほど、寒いわけではないんだけど。
何もかけずに寝ると風邪をひくような気がするのは、日本人だからかなぁ?

荷物を開けるときの楽しみと言ったら・・・
こんなに嬉しいものだとは思わなかった!
外国にいるんだと実感。
その他にも日本を思わせるものがいろいろ入っていた。
餞別にいただいた品物もやっと到着。
ここで大事に使わせてもらおうと思う。
荷物の中を見るたびに心躍る一日。
ありがとう!みなさん!
送ってくれた妹達にも感謝!

2008年8月29日金曜日

indonesiaのおばあちゃんの力

                    記 8月20日(水)
昨日は一日中頭痛がひどくて、困った。
こんな症状は日本にいた時にはなかったので、自分でもびっくり。
ちょっと脱水症状気味で、そこから頭痛が来るのだと勝手に判断。
前日はとても暑かったのに炎天下の中を歩き回ったりしたので、きっとそれが原因だろう。
インドネシア人はこういう理由もあってか、歩かないのだ。
朝から頭がずきずきしていて、仕事が終えてからはほとんど寝ていたが、それでも治らず。
自分なりに熱があるのかとか、水分をとるとかいろいろやってみたけれど、どうにも調子が戻らない。
食欲もなく、やばし!と思った所、夜にIBUの見舞いに来たというおばあちゃんが見てくれると言うので見てもらった。
体のマッサージと、時折おまじないのようなものを口ずさみながら顔に息をふきかけられた。おばあちゃんはもう80歳過ぎというのに、マッサージの力はものすごく強い。
つぼ押しなのだろうか?初めは痛く感じたが、しばらくやってもらうと今までの頭痛がどこかに消えてしまった!!!気分スッキリ。
そのまま調子の良いうちに寝てしまおうということで、ゆっくり眠ったら、翌日はすっかり良くなった!私の体の中で何が起こったのかはわからないが、とにかくよく効いたのだった。おばあちゃん!ありがとう!!
ホームスティ先のIBUを始め、みんなが心配をしてくれたのはありがたかった。
初めての本格的な病気は心細かった(前回の食あたりのときは、同期の仲のいい子が一緒だったのでそんなに心細くはなかったから、今回が初めて一人で病気をした)けれど、家の人が親切に気にかけてくれて助かった!
ここでは毎日のように沢山の親戚や知り合いの人たちが家に訪れ、そのたびに日本人と言うことでいろいろ話をされたり聞かれたりしていた。正直、話の内容が多少面倒くさいこともあり、来客の時は部屋にこもってしまう事も多かったが、今回は人の力のありがたさを実感!

日本はお盆も終わり、夏休みももう少しで終わりですね!
生徒の皆さん、そろそろ宿題にとりかかりましょう!
特に元3-2のみんな!!
宿題は終わらせてから遊びましょうね!

2008年8月18日月曜日

独立記念日




NATIONAL DAY   記8月17日(日)
朝7時に公務員は、県庁に集合。
独立記念の式典が開かれた。
写真は、10時から始まった一般公開用。
県庁の前にある大広場で行われた。
どこから来たのかと思うくらい人が集まっていて、広場の周りには人だかり。
私はどこに並べばよいのかまごまごしているうちに、始まってしまった。
国旗が揚がると、一斉に歓声が沸いた。
このエネルギーはすごい。

 この熱気と暑い日差しに包まれて、のぼせ気味にふらふらと家に帰ってきた。
少し部屋で休んでいると、家の中が突然ざわめいたので部屋を出たら・・・
この家のIBU(お母さん)が、バイクの後ろに乗っていて、何かの拍子で落ちて、病院に運ばれたそう。
あわてて病院へ。
後頭部から落ちたらしく、かなりの出血だった。
日本のように手術と言う感じではなくて、治療中の姿もみんなが見られる状態。
4針と、5針。2箇所を縫った。
意識はしっかりしていたので良かったが、治療にも時間がかかり出血も多くその血をみて自分の血の気が引いていくのが分かった。
医療方法が日本と違いすぎるし、治療時間も長すぎる。
病院のお世話にはならないぞと誓う。
 
この家では数年前に事故でお父さんを亡くしている。
インドネシアでは交通事故は日常茶飯事ということだ。
私が住んでいる家で、毎日一番相手をしてくれている元気なIBU(お母さん)
本当に驚いた。
家族に慰めの言葉をなんと言っていいのかも分からず・・・
自分の語学力のなさを心からもどかしく感じた。
今日は衝撃的な一日だった。

無事に治療は終わり、入院することなく夕方に帰宅。
自宅療養らしい。
親戚中の人がお見舞いに集まって、遅くまで家はすごいことに。
Indonesiaの親戚づきあいはすごい!

交通事故に巻き込まれないように、注意しながら暮らします。

そら


   記8月14日(木)
夕方には、庭に出て夕涼み。
毎日空を眺めている。
元3-2のみんなも、この空見てるかな?

私の交通手段その①


交通手段はベチャ
インドネシア人は、とにかく歩かないようだ。100M先の道でも、写真のような乗り物(ベチャ―人力車)に乗って移動する。
暑いので、確かに歩くと疲れる。
日本人の感覚ではこれぐらい歩いちゃおう!と思う距離も、ベチャ。
いたるところにベチャがある。
だから、ちょっと郵便局まで(10分位)歩いていこう!
なんて話をしようものなら、すぐさま ベチャを使いなさい!と言われる。
本当に歩かない。
でも、私はよく散歩をしている。
日本人は散歩が本当にすきねぇ・・・といつも不思議がられているけれど。

行進




    記8月12日(火)
今週の日曜(17日)はNational Day!(独立記念日)
今日はそれに先駆けて、TAKALAR(タカラール)県の全ての小・中・高校生が集合。
県庁と県知事の住居を中心に、広場を一周行進してまわる行事?
語学力がまだまだでうまく聞き取れず、この行事の本来の意味は分からず。
でも、多くの観客の中、制服を着たり、特別な衣装をまとった子どもたちが暑い中を行進。各学校ごとに工夫を凝らし、知事の前でちょっとしたパフォーマンスをする。
行進ひとつを見ても、わき目もふらず一心に歩く姿には圧倒された。

広場はとてもにぎやかで、まるでお祭りのよう。
17日はもっと大賑わいと聞いて、どうなっちゃうんだろう!と今から楽しみ。
17日までは、仕事どころではないらしく、それぞれこの日に向けて歌の練習をしたり、出し物の練習をしたり、大忙し。
こんな風に国全体が盛り上がる行事って、すごい。

2008年8月10日日曜日

時計

  記8月9日(土)
現在使用している時計は3つ。
腕時計・・・これは、今住んでいるスラウェシの時間
携帯電話・・・インドネシアジャカルタの時間
目覚まし時計・・・栃木IYEOのさっちゃんとなおちゃんからもらったもの。
       電波時計だから、日本時間。
今は 腕時計:午後1時
   携帯:ちょうど12時
   目覚まし:午後2時
 なんだか不思議。
同じインドネシア国内でも時差が1時間。
ジャカルタと日本の時差は2時間。
でも、スラウェシにきたら、日本との時差は1時間に縮んだ。
ジャカルタにいたときに、夜メールしたみなさんに!ごめんなさい。
きっと着信は夜中だったでしょう!
ありゃりゃ!

フィールドトリップ その後


フィールドトリップ2日目     記8月5日(日)

すっかり書くのを忘れていたフィールドトリップのその後・・・
2日目 チルボン→バンドゥン
引き続きよしこさんとチルボンで過ごして、夕方乗り合いの車で同期隊員と合流しバンドゥンへ。これが一番安全と聞いていたんだけど、5時間以上もかかるし、夜の7時過ぎに怪しげなドライブインに立ち寄られ休憩になり・・・。
ちょっと冷や汗が出たけれど、別に心配するようなこともなく無事ホテルへ。
夜10時近くに到着。(遅すぎて危険。次回からは気をつけよう!)

3日目 バンドゥン→カンプンナガ→チパナス
カンプンナガという秘境へ。
昔ながらの暮らしと、集落。本当に面白かった。
写真も沢山撮ってきたので、後で日本のみんなに見せたい。
200人位の集落で、山の自然の中にある。
ここにはうまく書けないけれど、素朴な人たちの暮らしがあった。
まだ本格的には観光地化されている様子もなく、案内人の家も見せてもらったが、ゆったりした暮らしだった。
本当の豊かさはお金で買えないって、こういうこと?と感じさせられるような暮らしぶり。行ってよかった!
この後、チパナス宿泊。ここは温泉街で、なんと、1ヶ月ぶりに湯船につかった!
日本人でよかった!と、思った瞬間!
湯船につかれるって、幸せ!
チパナスではこの温泉に入るのが目的だったので、目的を達成できて嬉しく、その上カンプンナガもよかったなぁということで、大満足の一日。
夜はビールを飲んで何度も温泉に浸かって・・・と最高の夜だったはずが・・・

ついに
やってきてしまいました。私のところにも!
原因は、夕食。一緒に旅した同期隊員と全く同じものを食べたのになぜか私だけ・・・
夜中に激痛で目を覚まし、その後はトイレがお友達に・・・
下痢は明け方まで続き、けっこう笑えなくなったほど!
前の晩、同期隊員の中でまだ病気していない人は3人だねと話しながら、貴重な3人の中にカウントされていたのに・・・
苦しんだ数時間なり。
4日目 チパナス
翌日(4日目)はボゴールに移動の予定を変更して、引き続きチパナス泊。
一日中ずっと寝てました。あちゃー!
ここのホテルは今まで宿泊した中で一番よい所だった
(コテージみたいな感じで、敷地内でけっこう遊べた、景色もよかったし、温泉だし、朝食もリッチだった)ので、よかったけど。
同期隊員を巻き込んで(すっかり看病してもらっちゃった)2泊もしてしまった!

5日目 チパナス→ジャカルタ
ギリギリまでホテルで休んで一気にジャカルタへ。
帰り道の最短距離を検討した結果、チパナスからジャカルタ行きのバスがあることが分かり、なんとかそれに乗って帰ってくることができた!
よかった!
体調も、復活。結構強いか?私の体!

 初めての本格的な一人旅で、不安なことも多かったし、日本人だということでだまされそうになったり、気づかないだけでだまされてることもあるのかも知れないけど、同時に親切な現地の人に支えられながら無事に旅を終えた。
特に、バスを待っている時はいい人にも悪い人にも沢山声をかけられ、何度かだまされそうになったけど、その時々に親切な現地の人もいて、見かねて声をかけてくれたり、そっと耳打ちしてくれたりということがあった。
どこの国にも、いろんな人がいて親切な人も、そうでない人もいる。
今回の旅は、困るといつも誰かが声をかけてくれ、助けてもらえた!
こんな私って、ラッキー!
これからの任地生活にも期待がもてる、そんな旅だった。

訓練所で教わった、語学のインドネシア人の先生がいつも言っていた言葉。
 違いを探すのではなくて、共通点を見つけなさい!
国が違っても、同じところが必ずある。それを見つけられると楽しくなる!

日本にも、インドネシアにもいい人がいる。
当たり前のことだけど、私にとって嬉しい発見。
日本でも、沢山の人に支えられて活動できていたことをあらためて感じ、日本の皆さんに感謝!
この国でも、沢山の人に出会って、これからの2年間を過ごせたらと思う。


1週間が経ちました!

1週間   記8月8日(金)
タカラール(Takalar)生活1週間が経った。
まだまだ何もかもが新しい状態で、ここでの生活にいちいちびっくりしながら暮らしている。
仕事もまたしかり。
勤務先は県の教育局学校外教育課。
8時に出勤なので、間に合うように家を出る(といっても歩いて3分だ)が、いつも私が一番乗り。
教育局全体でもまだ数人しか来ておらず、この時間が一番のんびりできる。
この課に勤務している人たちは、なぜか皆9時過ぎにやってくるので、それまでは一人で本を読んだり、ぼんやりしたり。
まだ日本人の私が珍しいので、他の課の人が代わる代わる話をしに来る。
昨日の朝は、(春を愛する人は・・・)の歌の歌詞を持ってきて、歌の意味を教えてと言われた。
どうやら7.8年前にジャカルタで日本のボーイスカウトの人たちが来て歌ったようだ。
日本の歌は人気で、特に大人気は五輪真弓?の<心の友> 
日本にいたときは全く知らなかった歌だけれど、インドネシアで自分が日本人だと言うたびに、この歌知っているかと聞かれる。名曲?らしい。
それから、隣の部屋が中高教育課で、特に英語の先生が多いらしく、外国人の私をつかまえて、得意そうに英語で話しかけてくる。
まあ、言っている意味はだいたい分かるけど、インドネシア人の独特なイントネーションと、単語がインドネシア語と混ざってるので、時々困る。
何度もインドネシア語で話して!と言っているのだが、他の人に英語ができることをアピールしたいのか?常に英語!簡単な英語文章だから分かるけど、もうそろそろインドネシア語を使ってほしい。私の頭がこんがらがってしまう!
まあ、これもついでと思って、英語も勉強しようか?
そんな話し相手と話しているうちに、同じ課の人たちが出勤。

でも、仕事という仕事をやっている様子はなくて、かわるがわる来る先生方と世間話をしている。
私だけじゃなくて、皆同様。話をしていて1日が終わる。
1週間毎日こんな感じ。
今日の仕事はピーナツを食べながら、おしゃべり。以上!

日本人はよく働くことが分かった。
日本では当たり前だったことが、日本での常識だったんだなぁ・・・と思う。
ここでは非常識かもしれないけど、でも、私は日本人だから自分なりに仕事を探して働きたいなと思う。
まあ、今は言葉ができない分、まだ何もできないけれど。
まずは人間観察中。
いろいろな人がいて面白い。
言葉が分からない分、その人の表情や雰囲気、行動で判断することが多いが、何を言っているか分からなくても、行動を見ていてどんな人なのか?いい人そうかどうか?なんとなく分かって、面白い。
言葉が通じない分、人間観察力が高まりそうだ。

昼に一度帰って昼食をとってからまた出勤し4時までが勤務だが、今のところ午前中だけ働いて帰っている。
つまり、働いていない!
 家では昼寝をしたり、本を読んだり、夕方は庭に出て夕涼みをしながら近所のおば様方と話をしたり・・・。
日本とは時間の流れが違いすぎる!
と、時折感じながらもこの国の時間の流れを楽しんでいる。
こんな暮らし方もあるんだなぁと、日々実感。

 まずはこんなタカラール生活。
日本の忙しさが懐かしい今日この頃です。

2008年8月3日日曜日

タカラール県無事到着!

29日にジャカルタからスラウェシ島マカッサルに到着。マカッサルで州知事や領事館に挨拶に行き、やっと1日の金曜に赴任先のタカラール県に着く。

 県内にあるワルテルからメールを送れるはず。唯一ここからは送れるようなので、いつもとはいかないけれどたまにはネットができるかな?→と思って挑戦してみたができずに結局今日(3日)マカッサルのネットカフェからメールしている。
 

 ここではホームスティ。おばあさん・お父さん・お母さん・子ども2人(小1の男の子と2歳位の女の子)の5人家族だ。おばあさんはよくしゃべり、少し厳しそうな感じ。お父さんは県の教育局の職員で、お母さんは栄養士さん。二人ともまだ若そうだ。
この家はしっかりとしたイスラム教徒。
イスラム教では、飲酒は厳禁。私の場合、自分の部屋であっても酒を飲まないことが入室条件。私も禁酒生活ができそう・・・
とはいえ、タカラール県自体酒を販売しているところもないとのことだから、入手さえ困難。これを機会に飲まなくなるのかなぁ・・・?(ありえないか?)

 私の家は県の教育局の斜め前にある。歩いて3分位で、毎日そこに出勤するらしい。でも、ほかの県とは違い、県の教育局といっても公民館のような小さい建物にこじんまりと人が働いている感じ。昨日ちょっと着任の挨拶に行ってきたが、さっそくピーナツとお菓子とお茶が出てきて、のんびりした感じだ。
この近所は、自然がいっぱいで畑と田んぼだらけの中に一本道が通っているだけ。どこか栃木の田舎を感じさせる。雰囲気が懐かしい感じだ。すでに親近感が沸いている。
家の周りには放し飼いの鶏が数羽歩いていて、朝早くから叫んでいたり、私の部屋の窓の下によくいたりするのだが、まだ慣れずに鶏が叫ぶたびに、いちいちびっくりしている。いつか鶏の叫び声も気にせず寝られるようになるのだろうか?
月曜から本格的に出勤。とはいえ、まず言葉がぜんぜん分からないので、コミュニケーションをとることからはじめることになりそう。インドネシア語もおぼつかないのに、マカッサル語を覚えなければならない。
そうそう、昨日着任挨拶に行ったときに、スラウェシでの私の名前が決まった。
Daeng Nisayang マカッサル語でNisayang(ニサヤン)とは、好きな・・・という意味だそうだ。みんなが私を好きになってくれるだろうからということで、教育局の上司がつけてくれた。ゴア県に赴任の同僚の隊員の名は Daeng Kebo。 kebo(ケボ)は白いという意味らしい。
こんな名前も瞬間について、なんだか面白い。
ちょっとドキドキしながらも、楽しく活動できそうな予感・・・!

日本はもう夏休みも中盤!
今年の夏は暑いですか?
ヒゲッチキャンプ場も、今キャンプ中だろうなぁ・・・
こちらから応援しています。

今日は、インドネシアで初めてランブータンを食べた!
うまい!
果物王国万歳!