2008年10月26日日曜日

最近の私

タカラールでの生活が慣れた分、都会のマカッサルに行く機会がめっきり減った。
そのため、このブログ更新もかなり時間が空いてしまっている。
ネットカフェでまとめて更新しているのだが、今月は月初めにしかきていなかったので、ほぼ1ヶ月インターネットをしていない。
 ずい分と時間が空いてしまった。
でも、日々の出来事はこうして書き貯めているので、楽しみにみていてくれる人には心配をかけるかもしれないけれど、更新は続けるので今後ものぞいてみてくださいね!

活動見学



   記10月23日(木)
 2日前から、風邪をひいてしまった。日本にいたときからよく風邪はひいたけれども、熱が上がらずのどが痛いという症状は初めてだったので、葛*湯で治そうと早くから飲み始めたが、薬がなかなか効かずにずるずるしている。
昨日がピークで、今日は行けないかと心配していたが、復活!
 のどと鼻をやられていて、味覚と嗅覚はほとんどないが、体がだるいということはないので、仕事はいつも通り。
 今日はお昼からJenepontoの先輩隊員の活動を見させてもらうことに!
一人で行くというと、案の定同僚のみんなから心配され、携帯は電源を切らずに持っていなさいとか、夕方4時には向こうを出発してきなさいとか、友達の家が見つからなかったら、そのまま帰ってきてしまいなさいとか、いろいろとアドバイスをもらった。
その位、女性が一人で遠出することは普通のことではないんだなぁと、分かる。
日本のように安全ではないということだ。

 初めてスラウェシでpantel(乗り合い自動車)に乗る。
8人乗りに12人くらい乗るから、かなり窮屈だ。
その上運転手がかなり飛ばす。100K以上を出すこともしばしば。
助手席に女性2人で乗らされたのだが、ひやっとする場面もあり。
気をつけなくてはと思う。
乗らないわけにはいかないが、今後は乗る位置や運転手の様子などに注意をしなければいけない。
初めてのPANTELは、何とか無事に目的地までたどり着いた。

私の職種は青少年活動だが、実際の活動は青少年相手より、主婦を相手にすることの方が多い。
活動内容も、そのおば様たちの集団をマネジメントするというような感じで、村落開発の職種の人の活動に近い。
そこで、今日は村落開発で村に入っている先輩隊員の活動を見せてもらいに来たのだ。
月に1回集まっているらしく、そこには12・3人の主婦がいて、市場で販売できそうなものを作る講座を開いていた。



今回はとうもろこしを使ってお菓子づくり。
講座は和やかな雰囲気で、参加者がとても楽しそうだったのが印象的だった。
この講座を始めた頃はこんな雰囲気ではなかったと聞かされ、彼女が村に入ったことでいい影響を及ぼしているんだなぁということがよく伝わってきた。
 この村でも、歩いていると子どもたちに出会い、彼女の名前を呼ぶ姿が目についた。
村になじんで活動している様子が伝わってくる。
こういうのって、いいなぁ。
と感じた。
私もタカラールの人たちに名前と顔を覚えてもらえるように、コツコツと活動を続けたいなぁと感じた。
とても刺激になった一日だった。
よかった!

夕方の散歩

 ほとんど午後は家から出ないのだが、それではいけないと思ってたまには自転車でぐるぐる。
同僚の家を探して自転車を走らせる。
なかなか見つからずにあきらめて家に帰ろうとすると、いた!

 お菓子を食べながら、話をする。
彼女はPKBMを経営していて、この間のレンガ造り(記10月16日)の企画者でもある。
一対一で話が出来る初めてのチャンスだった。
彼女のほうから、JICAの活動や、私の仕事の仕方について質問があった。
彼女も仕事に対しては真剣で、自分なりにやりたいこともあるようだった。
一つずつゆっくり話をしていくと、彼女も私の仕事を理解してくれたようだった。
私の出来ることや、やりたいことなども話し、意気投合した。
憂うことは同じで、なんとかしたいという気持ちは同じだということが分かった。
ただ、現状は分かっていてもそれを打開するいい方法が見つからないのだといっていた。
私も同じだ。日本と比べてしまうのはどうかと思う反面、日本ならこうするだろうというのが私の中にはある。
ただ、それがここで通用するか?現地の人たちに本当に必要なのか?
という点については、まだ計れないでいる。
だからまだ、具体的に動き出していないという面がある。
とりあえずやってみるというのも一つの方法かとは思うが、だからといってやみくもにやって自分の考えを押し付けるようになってしまっては、きっと続かないと思う。
だからこそ慎重に、時期を見計らって行いたいのだ。
 そういう点を理解してくれ、協力してくれそうな人が見つかったことは一つの励みになる。
かといって、全てを理解してもらえたわけではないが、私の目指す方向を話せたことは大きい。
きっと話好きの人たちだから、私の話が同僚たちに伝わり、正しく自分の活動を理解してもらえる日がくるかもしれないという期待を、わずかながら持つことが出来た。
少しずつだが、こうやって理解者を増やしていくことが大事なんだなぁと、感じた。

会議

   記10月21日(火)
2週間前から、韓国人と共に働いている。KOI*Aという団体で、日本のJICAと同様のシステムでボランティアを派遣している。
タカラール県には、JOCV(日本青年海外協力隊)よりKOI*Aのほうが先に入っていて、もう3代続いてボランティアを派遣している。
だから、彼女が来たときにはすでに受け入れの準備も万全で、活動に対しても概要を理解しているから、現地の人たちも分かりやすかったようだ。代々幼稚園教諭が派遣されており、主に幼稚園の先生を対象に講習会を開いたりするのが活動内容だそうだ。
ただし、厄介なのはかなりの物的支援をしているということ。小学校を立て直したり、幼稚園に机やいす、道具など、かなり多くのものを援助している。
そういう訳で以前にも書いたように、JICAにも物的支援を期待されてしまう。
今日は彼女の紹介のための会議が開かれ、市の幼稚園の園長や、PKBMの教員など代表が40人位集まった。
私はこのような会議は開いてもらってはいないが、すでにみんなと面識があるのでこの会議には参加しないつもりでいたのだが、今朝方上司に突然参加するように言われ、その上、私まで自己紹介をすることになってしまったのだ。
私の場合はついでのようなものだが、それでも人前で話をするというのは言葉も拙い分、すごく緊張した。ただ、この機会をもらえたことで、私の活動内容をはっきりと伝えることができ、物的支援はできないというようなことも話ができたので、少しすっきりしている。
 私の所属する学校外教育課では幼稚園は担当していないのだが、主任にあたる女性(上司の奥さん)が幼稚園の園長を兼任しているということがあり、ずい分と彼女に肩入れしていて、かなり具体的にプログラムの企画などのアドバイスを行っている。
だから、なぜか韓国の彼女は毎日私の隣の席に座っている。
本当の所属は、学校教育幼稚園・小学校課で、私とは部署が違うと聞いていたのだが、実際はほとんどこの主任が関わっていて、今回の会議も主任が人を集め、開くに至ったようだ。
 私にもその位いろいろと手を貸してくれるなら心強いのだけれど、私の活動には興味がないらしく、かなりほうっておかれている。
赴任してわずかの間にすぐ活動できる段取りをうってもらえる彼女を、少しだけうらやましく思ったが仕方がない。これが初代と何代目かの差なのだろう。
私がどう活動したかで、私に続く後輩隊員の居心地が少し変わってくるのだろうと思っている。
私は私のペースで、焦らずコツコツやるしかない。
活動においては、常に韓国と日本のボランティアということでお互いが引き合いに出されることが今までも多かったし、これからも沢山ありそうで面倒に感じている部分もあるが、彼女自体は新卒で若くごく普通の人なので、外国人同士、仲良くやっていけたらといいなと思っている。

郷土料理




    記10月19日(日)
金曜から、イブの息子さん夫婦と子ども、姑さんが来ている。
肝心の息子さんは仕事の都合で来られなかったそうだが、イブにとっては久しぶりの孫(4歳の男の子)との再会に、嬉しそうだった。
息子さんたちは中部スラウェシに住んでいて、飛行機で1時間かけてマカッサルへ→ペテペテでタカラールに来るそうだ。
だから、そうそういつも来られるわけではない。

土曜も仕事だったので、疲れたせいかちょっと体調がよくなくて朝寝坊をしてから起床。家では毎朝5時半頃から起きてみんなが活動を開始するのだが、私だけ9時まで寝ていた。
起きるとみんなすでに親戚の家に行く支度をしていて、私は後から自転車で行くことに。
親戚の家に大移動して、約30人が集まりにぎやか。
私がついた頃にはすでに郷土料理なるものを作っていた。
早速私も手伝うことにする。
雰囲気は、冷や汁のような感じ。
ただし、ここではゴマの代わりにピーナッツやカシューナッツを使い、焼き魚をすったもの、野菜、それからSaguというくずのような食感のものを玉にして入れる。
冷や汁とちがって、汁は熱い。でも、味はおいしかった!
おなかいっぱい食べて、昼寝をして、また食べて。
こうやって、休日はずっと食べ通しだ。
だから、余計おなかの調子が悪くなるのだが。
でもこの料理はおいしかったので、かなり食べてしまった!
それから、この家にはマンゴーの木があるので、私が行くと必ずマンゴーを食べさせてもらえる。ここで食べるマンゴーは、本当に甘くておいしいのだ。
おなかいっぱいの休日だ。

写真 タカラール生活 013 (SAGUの写真)

巡回だったはずが・・・

    記10月18日(土)
本来は休日だったが、担当者の誘いがあって巡回に行くことになった。
KF(識字教室)を見せてもらえるということだったのだが・・・
前回、この地域は幼稚園しか巡回させてもらえず、KFは見られなかったのだ。
今日はKFに行けるということで、休日出勤したようなものだったが、やはり今日連れて行かれたところも全て幼稚園だった。
以前ブログで紹介したように、(記9月10日)この担当者の同行は、意にそわないことなどを話されてしまうのであまり気がすすまないのだが、今回もそうだった。
今日一番メインだったのは、私設幼稚園の保護者説明会?のような場で、この担当者が話をする必要があったらしく、そこに連れて行かれたのだった。いろいろと複雑な話だったが、要はこの幼稚園には補助がなくて、建物も先生も不足しているという話。
そこで、私に話を振られて、日本の援助がうんぬんという話になった。
寝耳に水?のような話で、今回は本当に困った。
うまく返事もできなかったので、質問自体が分からないようなふりをして、ごまかしてしまった。どうしてこんな話を、何の前触れもなく突然するのだろうと、不愉快になったが、仕方がない。
前回も同じような思いをしたのにも関わらず、またついてきてしまったから。
悔しいが、仕方がない。返そうにもまだ私の語学力では返せない。
表情で伝えるしかないと思って、大いに困った顔をしてみせた。
保護者をうまく言いくるめている様子は、本当に見ていて不愉快だった。
こんな担当者もいるんだから、気をつけなければいけないと肝に銘じた。
でも、この地域も貧困地域の上、県からの補助もあまりない地域だから、本当は何かできればと思っているのだが。

ただ、この担当者の考え方ややり方に、自分はついていけないと思う。
なんだかやりきれない思いで、その場を去ってきた。
村の人は、どう思っただろうか・・・?そのことだけが、気がかりだった。

隣の県へGO!





    記10月17日(金)
いつもどおり普通にKANTOR(事務所)で仕事をしていると、昼頃になってPKBMの担当者が集まってきた。
これから隣の県(Jeneponto―ジェネポント)で会議があるという。
担当者の一人が一緒に行く?と誘ってくれたので、すかさず行くと返事をし、同行させてもらうことに!
この県には、すでに4人の隊員がおり、そのうち2人は同期隊員だ。



行ってみたいとは思っていたけれど、すごく遠いから行かないほうがいい・・・というようなことを家のものから言われていて、なかなか気軽に遊びに行くというわけにはいかなかったので、またとないよいチャンスだ。
(現地の人はあまり遠出をしないようで、1時間以上かかるところはすごく遠いというイメージがあって、必要以上に出かけないようだ)
確かに車に乗って、2時間弱かかり、車はクーラーが効かず、8人がギュウギュウ詰めになって行くのだから、遠いし暑いし・・・という感じで、遠出したくない気持ちも分かる気がする。
私の場合は、初めて行く所だったのですごくウキウキしていたが。
マカッサルとは反対方向の県境となり、タカラールの端を横切って行く。
タカラールから国道?のような大きな道一本を、どこまでも進んでいくとジェネポント。
田んぼや畑、塩を生産している田んぼ?馬(ここは馬で有名。いたるところにいるそうな。)など、自然がたっぷり。
ジェネポントに着いてからがまた大変。会議場所が分からない。
町を行ったりきたり30分くらいぐるぐる。
車の中で、それぞれが知っていそうな人に電話で確認するのだが、みんなそれぞれで結局どこに行ったらいいのか分からず、混乱。
やっとの思いでついたのは、県の教育局だった。
ここは、同期隊員の勤務先。
到着するとすでに会議は始まっており、同期の隊員も一緒にしっかり働いていた!
会議の内容は、PKBMのあり方について。
だが、ほとんど無駄話をあちこちでしていて、あまりよく聞き取れなかった。
説明もやたら長く、一人で1.5時間くらいはなしていたような。
ほとんどの人が飽きてしまっている。
でも、いくつか会議を見ていて気づいたことだが、話している人は、聞き手のことはほとんどお構いなしで、演説するように雄弁に語る。
今回だけではなく、どんな会議や集会でも、そんな様子が見られる。
だから、すごく時間が長い。
ただ座って聞いているだけでも、すごく疲れてしまう。
 
とはいえ、参加したことでPKBMの経営の仕方や状況が少し分かったので、勉強になった。



私の県のPKBMの状況も分かり、経営者に当たる人の状況も少し分かったので良かったと思う。
それから、同期に会えたことも良かった!

帰りにちょっと同期の家に寄らせてもらったのだが、事務所から家までの帰り道、この通りには子どもが多く、沢山の子とすれ違った。興味深そうに私たちを見ながら通り過ぎていく。
また。所々で彼女を呼ぶ声がした。小学校高学年から中学生くらいの子が、かわるがわる名を呼ぶ。聞いてみると、日本語やサッカーを一緒にやっている子達ということだ。
小学生の男の子が、こっちに寄ってきて、私の名前を聞きに来てくれた。
何度も私の名前を口ずさみながら帰っていく。
 なんだか、自分の思い描いていた隊員生活だった。
こんな風に、歩いていると子どもたちに声をかけてもらえるって、嬉しい。
残念ながら私の場合、まだ赴任地ではそういう環境ではない。
子どもたちの集まる場所を探しているのだが、どこにいるのか見当たらないのだ。
 だから、こんな風に彼女が教えた日本語で、挨拶をしてくれる子どもたちに出会えて、本当に嬉しかった。彼女の活動が伺えたことも。

 帰りは、真っ暗の道をハイスピードで帰ってきた。
田んぼだらけで集落のないところでは、たくさんの星たちに出会った。
インドネシアに来てから、初めて星を見た。
キャンプ場から見た星のように、真っ暗の中で輝いている。
なんだかすごく贅沢な時間を過ごした。

2008年10月25日土曜日

PKBMでの新講座開催集会


 記10月16日(木)
学校外教育課課長と一緒に集会へ参加。
2つの市のPKBMで、新講座が開催された。
ひとつは唐辛子農園、もう一つはレンガ造りだ。
各講座に30人くらいの人が集まっていた。男女、年齢などはさまざま。
レンガ造りのほうは、男性の参加率が高かった。
講座を提供する団体があるのか?この2箇所とも、同じ団体の協力を受けている。
今日はそれぞれ開催の挨拶だけで終わってしまったので、どんな風に訓練が進んでいくのかはまだ分からない。
この2箇所とも、担当者がわりあい私に好意的な人達なので、今後実際の訓練の様子を巡回させてもらおうと思っている。
こんな風に、新講座が開催されることが分かり、講座の雰囲気が少しずつ分かってきた。
実際、私からもこのような新講座の提供を望まれている。
そもそもの要請内容とは全く違うのだが、少し考えただけでも、この国で稼ぐことのできるスキルを与えるなんて、すごく難しいテーマだ。
まだこの県のことも良く分かっていないので、何が適しているのかもわからない。
なかなか赴任地の要求と、自分のできることの折り合いをつけるのは難しいなぁと思う。

だから、自分にいいきかせる。
ゆっくりじっくり、焦らずに活動していこう!

うれしい便り

   記10月15日(水)
 同期隊員で、アフリカに派遣となった友人から絵葉書が送られてきた。
(JICA JAKARTAOFFICEを経由してきたので無事に届いたようだ)
彼女は訓練所生活中同じ生活班で、とても仲の良かった人だ。
多少苦労しているようなことも書いてあったが、彼女のことだから多分大丈夫だろう。
アジアに住む私より、きっと刺激的な生活を送っているだろう。

言葉が自由に使えないということの不便さを、感じている。
言いたいことがうまくいえないもどかしさ。
自分の気持ちに気づいてもらえないことの悲しさ。
口ごもってしまうことが多く、つい自分の世界に閉じこもってしまう。
だから、言葉の洪水から逃げるように、日本の本やDVDばかり見て過ごしてしまう。

 最近こんなことばかり思っていたから、この絵葉書に励まされた。
遠い空の下で、今も彼女はがんばってるんだろうなぁ・・・と思うと、自分も負けてはいられないという気持ちになる。
今できることを少しずつやっていくしかない!

世界 石けんで手をあらう日?


     記10月15日
10月15日は、石けんで手を洗おう!とTVの宣伝にあったので、そんな日があるんだなぁ・・・インドネシアだけなのかなぁ?
なんて思っていたら、事務所で仕事をしていると上司に県庁につれていかれた。
健康のためのイベントだと言われ、行ってみると・・・
UNI**F主催のイベントで、小学生に正しい手の洗い方をレクチャーするというイベント。

南スラウェシ州では、タカラール県ともう一つの県しかやらないイベントだということだ。
県内の幼児・小学生が集まり、炎天下の中で手を洗う。(手洗い競争と呼ばれていた)
写真は始まる前の様子。
きちんと子どもたちが並び、洗面器と石けん、手拭タオルが用意されている。
だが、実はこのまま約2時間子どもたちは炎天下の中を待たされる。
集会所でレセプションが行われているからだ。
この間に、子どもたちは粘土で自由に遊ぶわけだが、この時点で広場はすごいことになっている。足元は水でぐちゃぐちゃになり、着ているUNI**F提供のTシャツは泥だらけ。
いつ始まるのかと、みんな首を長くして待っているのだが。
レセプションが終わり、手の洗い方の説明をする頃には、子どもたちは皆飽きてしまって説明を聞かずに勝手に手を洗っている。それもかなりいい加減な洗い方だ。
せっかく多くの子どもたちを啓蒙できるチャンスなのに、なんだか残念に感じたのは、見ていた私だけだっただろうか?
結局このイベントは成功なのかどうか、日本人の私の目から見るとかなり微妙だった。
でも、お祭り好きの現地の人たちにとっては、にぎやかで良かった!
大成功!という感じ。
使ったタオル・石けん・洗面器は各学校に持ち帰ってよいらしく奪い合いになっていた。
参加者には簡単なお茶菓子が配られ、そのうえ手洗い競争に参加した学校には景品もつくらしい。この物を目当てに参加をしていたのかもしれない。

これまでいくつかの行事に参加したが、どれも大人の目線で行われている様子。
今回の子どもを中心としたようなイベントでさえ、大人の都合が優先されている。
日本なら、炎天下の中子どもを2時間以上も外で待たせるなんてありえないだろう。
健康に配慮しなさすぎだ!と言いたくなるところだが、この国ではこうやって子どもが大きくなるのは当たり前のことなのかも知れず。
もっと配慮できることはあるはずなのだが、できないのかしないのか、その辺はこの国のやり方をまだ理解していない私には計ることができないでいる。

ホストファミリー紹介①



一緒に住んでいる子どもR君。
この夏に小学校に入学。(インドネシアでは8月から新年度)
アルファベットが間違いなく読めるようになったら、自転車を買ってもらえるということで、毎晩私の家庭教師つきで勉強。

私のインドネシアで初めての生徒だ。
写真は、やっと買ってもらえた自転車に乗って、記念写真の様子。
陽気だが人見知りもかなりするので、仲良くなるのに時間がかかったが、やっと最近距離が縮まった感じ。
日本語の吸収もよく、私が思わず口にする日本語をよく覚えている。
ちなみに私の口癖は・・・
「はい!」
「なんだっけ?」
「ちょっとまって!」
だそう。今では、R君がよく使っている。
だから、すこしずつ日本語が通じてきているのだ!!
でも、未だにLとRの発音ができない私を、時々笑っているのも彼だ。

巡回 刑務所へ


    記10月9日
事務所で事務仕事をしていると、またもや突然の迎えがやってきた。
急遽、巡回することに。
急な迎えは困ることもあるけど、事務所でじっとしているよりはましだ。
事前に約束を取り付けられるのが一番良いのだが、私の為に車を準備するのに苦労しているようで、車の用意ができると迎えに来てくれる感じ。
今日は同行者のだんなさんの運転で、巡回。
どこにいくのかと思っていると・・・
単語が聞きなれないものだったので、説明されたが分からぬまま現地へ。
大きな扉でがっちりと閉められ、外から扉をノックするといかめしい感じの人たちが数人出てきた。あらら。
中に入ると、「何の用だ!」みたいなことを言われて、ちょっとここはどこなの?
と思っていると、なんと刑務所だったのだ。
刑務所内にあるPKBMへの訪問だった。
敷地内はきれいで、日本のTVでみるような高い塀や閉ざされた感じはない。
オープンな感じで、集会所のようなところにみんなが集まってのんびりしている。
聞けば、面会も決められた時間であれば毎日自由にできるようだ。
日本のように、ガラス越に・・・というのではない。

PKBMはすでに引っ越したという。
でも、引っ越したことを県の担当者(同行者)が知らなかったなんて、不思議。
日本の組織体制にはありえないことだが、ここではこういうことはよくあるようだ。
同行者もびっくりしていたようだが、とりあえず部屋のみがありそこの見学だけ済ませた。
刑務所内での技術訓練もさまざま。
農業として野菜を作って販売したり、本棚などを作ったり、新聞紙を再利用して写真フレームを作成したりしているらしい。
日本より種類は少ないようだが、手に職をつけて更生させるという考え方は同じようだ。
刑務所の所長に挨拶をすると、日本大好きな人のようで話が尽きない。
日本好なインドネシア人は、意外と多くいる。
特にカラオケで日本の歌を歌うことは多いようで、どこへ行っても決まった歌を聴かされる。日本では一度も聴いたことがなかった歌だが、インドネシアでは大ヒットしたという歌だ。
この所長も例に洩れず、その歌が大好きだといって歌って聞かせてくれた。
人のよさそうな所長で、そのまま隣接する官舎に連れて行かれ家にも案内してもらった。
本当にこの地方は貧しいのかと疑ってしまうような、高級感漂う家だった。
上流階級の人の生活は、やはりすごい。

 と少し話はそれてしまったが、事前情報によると、このPKBMは実働していてよいとのことだったので、それがなくなってしまって残念。
引っ越した=どこかへいった?
のか、同行者に聞いても分からなかった。
今回は、PKBM訪問と言うよりも、刑務所訪問を楽しんでしまった感じだ。
職業訓練校でのプログラムの企画ができればいいとは思っているが、スキルも資材準備もちょっとできるわけではないので、難しそう。
何かいい知恵のある方は、教えてください!

ある夕方の空



夕方の空の色はいろいろ。
MUSIM HUJAN(雨季)が始まったから、雲の動きも今までと違っている。
日本の梅雨みたいかと思っていたが、1日2時間くらい強い雨が降って、後はからっと晴れている。
雨が降ると気温が下がるので、午後の一番暑い時間の雨が現地の人にとっては一番ありがたいようだ。
この時間のお昼寝は、涼しくて気持ちがいい。

TANA TORAJAへ!



記10月2日~5日
このラマダンの時期は1週間お休みなので、同期隊員は各地へと旅行していたが、不精な私は何の計画もなくのんびり。
 でも、せっかくの休み!どこかへ行かなくちゃ!という気持ちにもなり、同期隊員の計画した旅行に合流させてもらった!
行き先は、Tana Torajya(タナトラジャ)
ここまでの行き方は、マカッサルから長距離バスに乗る。8時間くらいの旅になる。
一人で夜発のバスに乗ることは危険だからしないが、今回は4人ということで夜発のバスに乗る。
夜10時発のバスに乗り、バスの中で仮眠をとりながら翌朝5時にRantepao(ランテパオ)に到着。
そこで1泊し、4日夜発のバスでマカッサルに帰ってきた。
トラジャは葬式が有名だ。
人が亡くなると、家中で葬式のためのお金を数年かけて準備し、(日本円で2、300万)そのお金が準備できると、葬式を行う。大体2~3年はかかるらしい。
観光2日間ともちょうど葬式が行われていたので、ガイドが連れて行ってくれた。ラッキーだ。
葬式は1週間くらい続くようだが、ちょうど行った日は水牛を殺す日だった。
全部で24頭。大きな水牛が、次々とたくましい青年によって絞められていく。
派手な儀式で、観光客女性は間近に見ることの出来ない人も多いようだが、さすがの私も途中でギブアップしてしまった。
 他にも見どころはたくさんあった。
墓の作り方も独特だし、人骨がむき出しのままあったりして、数百年前からこのままだったのかと思うと、遠い昔が想像されるようでけっこう面白かった。

ここに詳しくは書ききれないが、スラウェシにきたら見る価値あり!
だが、季節によってこの葬式祭は行わないようなので、その時期を事前に確かめる必要
があるようだ。
 とにかく、初めて行ったのだが偶然いい時期にぶつかり、この地の文化を見ることができてとても面白かった。
はじめての旅行は、同期隊員のおかげで楽しい時間となってよかった。
久々のリフレッシュ!

親戚まわり

   記10月1日
広場でのお祈りが終わると、そのまま家に帰る。
お祈りのベールの下には皆、この日のために新調した新しい服を着ている。
おとなも子どもも、みんな新しい服。
ラマダンは、新しい服で迎えるらしい。
家に着くと、ラマダンにはどの家でも食べるというご飯を食べ、すぐに親戚の家へ。
私の家から歩いて5分くらいのところにイブの弟さんの家がある。
この家には車があるので、どこにいくにもこの家の人と同行する。
まずはこの家のイブに挨拶をし、その後私の家のイブの実家へ。
イブの実家はここから車で20分くらいのところにある。
すでに何度か (PESTA BUKA PUASA②など)行っているので、親戚の人とももう顔なじみだ。
イブは10人兄弟だが、普段近辺に住んでいるのは5人くらい。
ラマダンは日本のお正月の雰囲気と似ていて、全国から帰省してくる。
イブの兄弟は、ジャワ島に居たり、スラウェシの北のほうにいたりするらしく、初めて会う人ばかりで誰が誰なのかは分からないまま終わってしまったが。
 とにかく、ここではラマダンのために作ったKUE(お菓子)を食べながら、久しぶりの対面を祝う。

 ここからが、すごかった!
車に乗せられて、親戚めぐり&墓めぐり。
4台の車と、5台のバイクが連なり向かう。(40人くらいの集団)
イスラム教では、火葬はしない。
そのためか、墓は日本のように一族のものがあるわけではなく、個人の墓が点在している。
だから、イブのだんなさんの墓やお姉さんの墓がずい分と離れたところにあり、その一つ一つを訪問してまわったのだ。5箇所以上まわった。
 その後、親戚の家を1件ずつまわる。
この40人の団体が大移動。
家では飲み物・お菓子・ご飯が振舞われ、みんな食べる食べる!
私は3件目ですでにギブアップしたが、現地の人たちの食欲には本当に驚かされる。
6件くらいまわっただろうか?
私は食べ過ぎて気持ち悪くなり、イブの実家で休憩。
その間にもさらに親戚周りは続けられたようだった。
イブの実家にもすでに50人以上の親戚が集合しているので、どこに行っても沢山の人と、沢山の食べ物で、酔ってしまうほど。
お菓子を食べ続けるのも厳しいものがある。
きっと日本に帰るまでには、一生分のクッキーを食べて帰るに違いない。
日本ではほとんどクッキーなど食べない私だが、ここでは毎日といっていいほど口にしている。

 この親戚まわりは夕方まで続けられ、夕暮れと共にやっと自宅へ。
疲れた!と部屋にこもりそのまま翌朝まで寝てしまった!
が、実はこの夜もまた、イブの友達や、亡くなっただんなさんの親戚が来たというから驚き。
すっかり疲れきった私は、居間が賑やかなのにも気づかないほど熟睡していたようだ。
日本同様、子どもたちにはお年玉?のようなものが親戚からもらえるようだ。
この晩7歳のRは、お年玉?を沢山もらったようで、大事そうに財布にしまったとのことだった。

RAMADHAN(ラマダン)


  記10月1日
朝5時におき、マンディーをして準備。
5時半には、イブとイブの娘のDDと一緒に広場へ。
以前独立記念の式典をやった広場だ。
大きな広場だが、そこに市内の人たちがどんどんと歩いてやってくる。
着いた者から、地面に敷物をしいて座る。
結構几帳面に前後左右を整列させ、丁寧に敷物を敷き座る様子が意外な感じがした。
国民性として、いつもどちらかと言えば何事にもおおらかな印象を受けている。
集会の整列などにしてもそうだ。まっすぐ並ぶということをあまりしない。
だが、ここではきれいに整列している。不思議だ。

ずい分沢山の人がいるんだねとイブと話していたが、この時点ではまだまだだったようだ。
イブの席は前のほうで、ずっとずっと後ろまで人の列は増えていく。
みるみるうちにどこまでも列が連なり、どれだけ増え続けるのかわからない。
6時半頃には、広場一面がお祈りの服装をまとった住民でうめつくされていた。
広場の前方には男性。後方に女性と子どもたちが並んでいる。
私のいるところからは、女性の姿しか見えない。
写真も沢山撮ってみたが、人の群れに圧巻と言う感じだ。
こんなに多くの人が集まり、何かをするというのは日本ではあるだろうか?
ちょっと考えてみたけど、思いつかなかった。
宗教って、本当にすごいんだなぁ・・・と感じた。
このあと、一斉にお祈り開始。
外国人の私と、小さな子どもたち以外は全員行っていた。
静寂な時間。
広場に沢山の人がいるとは思えないほどの静けさで、行われる。
これを見ている私の存在って、この場に居ていいのかためらわれるほどだった。
でも、貴重なシーンだったので、しっかり写真とビデオに収めてきた。
いつか日本のみんなに紹介できたらと思っている。
後日の新聞では、この広場には約5000人の人が集合したそうだ。
貴重な経験ができたと思っている。

2008年10月10日金曜日

ラマダン前日

  記9月30日
今日で、断食も終わり。
6時のプアサ明けを待って、やっと通常の生活にもどる。
ラマダンは、日本のお正月みたいなもの。
先週の土曜からは日本の年末のように、銀行も、店も全部が閉まっている。
もちろん、会社も今週1週間休みだ。
同期隊員は、この時期を利用して早速旅行に出かけたようだが、出遅れた私はマカッサルとタカラールをぐるぐる。
 のんびり過ごしていると、なにやら家が騒がしい。
日本で言えば、12月31日。
この日にすることといえば・・・
家の掃除?
家の中のカーテンを全て新しくし、ベッドカバーも新調された。
家中の掃除が始まって、私もなんとなくうろうろ。

めでたく夕方のブカプアサを告げるラジオが流れ、ここでプアサ終了。
これからはまた家族と一緒に、朝ごはん・昼ごはんが食べられそうだ。

お好み焼き!



先輩隊員の家に宿泊。
この隊員は、同郷の人。
故郷の話で時たま盛り上がる。
家の人が送ってくれたというおたふくソースと青のりと、マヨネーズつき。
味噌汁もインスタントではない本物!
大根とねぎの味噌汁!3ヶ月ぶりだ!
うますぎて、思わず顔がほころぶ。
日本の味がした!

インドネシアの学校制度

 学校の種類はさまざま。
おおまかなものだけ書いてみると・・・
プレイグループ 3歳~5歳くらいまで (ノンフォーマル)
TK(幼稚園) 4歳~6歳(フォーマル)
SD(小学校) 6年間(フォーマル)
SMP(中学校) 3年間(フォーマル)
SMU(高校) 3年間(フォーマル) 高校は実業高校もある。
そのほか、小学校から高校まで、宗教学校と呼ばれるものもある。

通常はフォーマルの学校に行くのだが、中退者のための施設がノンフォーマルのPKBM。
SDはPaketA、SMPはPaketB、SMUはPaketC、と、Paketの授業が各学校の授業に相当する。だから、このPKBMでPaketA~Cのそれぞれを学べば各学校を卒業したのと同様の卒業証明がもらえるのだ。
PKBMは、日本で言うところの職業訓練校にあたる。
だから、先に書いたPaketのほかに、裁縫(ミシン)、コンピューター、料理、バイクなどの修理、理髪、など手に職をつけるための講座も開講されている。
 このPKBMの質の向上が、私の仕事のひとつだ。

巡回その⑨


   記9月24日(水)
 最後の市へ。
時間が遅くなってしまったため、1箇所だけまわる。
KF(文盲の人たちが勉強している場所)へ。
写真の人たちは、もう2ヶ月勉強しているそう。
写真は高床式の家の2階の様子。
ノートに文字を書き、勉強しているところだ。
プアサ中だが、通常通り午後に授業をしているということだったので、実際の学習の様子を見学できた。

 さしあたり、これで全部の市を回った。
駆け足の所も多かったので、実態が見られたわけではないが、雰囲気は感じられた。
ブランプアサ(断食月)が終わったら、もう一度各地域を回らせてもらうことになっている。
こうやって巡回することで、本当の私の役割が見えてくるのではないかと思っている。
まだまだ、活動は始まったばかり。
アイディアはたくさんあるが、本当にタカラールの人たちにとって有益なものを提供していきたい。
そのためには、一日でも早くこの県の実態をつかまなければならないと思っている。
とはいえ、一気に飛び越してはいけないので、ゆっくりじっくり地域の人と関わりながら活動を進めていく自分のスタイルは崩さずに焦らずいこうと思う。

巡回その⑧の2



   記9月24日(水)  
 この市は国からの援助がいたるところに入っているようだ。
マカッサルから近いので、支援も入れやすいのだろうか?
理由ははまだ分からないが、巡回先のどこも施設には恵まれている。
PKBMを見学。
TKに負けず劣らずの施設だ。
この敷地では、裁縫(ミシン)、コンピューター、英語、Paket(普通の学校の授業)、図書館、幼稚園、と総合的に学習ができるようになっている。
図書館では、整然と本が並べられていて、子どもたちが本を読みに来ていた。
ジョグジャではこういった施設はあったが、こちらでは初めて。
このような施設は理想的だ。
タカラールでコンピューターの職業訓練校も、この地域だけだ。
いままでのどの地域にも見られなかった、施設の充実ぶりに驚くと共に、あまりの差にどうしてこんなに差ができるのか?より疑問が深まった。

巡回その⑧


   記9月24日(水)  
 巡回⑦のあとそのまま隣の市へ。
今日は3つの市を一気に回るので忙しかった。
写真は幼稚園。
机、いすが25人分。この部屋は教室にあたる。
その他に、集会所と遊び場にあたる場所があり、敷地の広さに驚いた。
今まで見てきたどの幼稚園よりも、施設が充実している。
聞くと、国からの助成を受けて立っているとのこと。
国や県からの助成のあるところと、ないところでは驚くほどの差がある。
これだもの、支援が欲しいと誰もが思うのだろう。
あまりにも違いすぎる・・・

巡回その⑦


   記9月24日(水)
  巡回⑦⑧⑨の地域は隣の県と隣接する所で、とても遠い。
そこまでの道のりは1時間くらいだが、なんといっても道が悪いのだ。
タカラールの道は、マカッサルへとつながっているメイン通りだけはきちんと舗装されているが、その他の道は徐行運転しないと進めない程。
道路はアスファルトの所が多いのだが、なぜかぼこぼこと穴があいている。
この地域までの道は特に悪く、がたがたと体を上下させながら進んでいく。

行く途中で市役所にあたる建物の前を通ったが、すごい人の群れだった。
インドネシアでは3ヶ月に1回、貧困層に対して1家庭につき1ヶ月約1000円の援助金が支払われるそうだ。
ちょうどこの日がこの市の支給日だった為、市役所の周りを村民が取り囲んでおり、市役所の前の庭は全て人で埋め尽くされていた。
市役所の前の通りはすごい人波で車が通れないほど。
警察官も沢山配置されていた。
こんなにもいるのかと思うほどだ。

この地域では、KF(文盲の人たちが勉強している場所)を訪問。
写真のような高床式の家の1階で勉強している。
学習の様子は今まで見たとおりだったが、学習のための教材が十分にあった。
いろいろな地域を見てきたが、学習教材の差が目立つ。
私の勤務地のPLS(学校外教育課)から、同様に配布しているとの話だったが、あまりにも差がありすぎるので、疑問だ。
これから少しずつ実態調査をしていきたいと思っている。

お菓子作りに励む日々



記9月22日
先週末から、家の若い方のibuがクッキー作り。
レバランに親戚中が集まるので、そのための準備らしい。
7KGの粉を使い、14種類のクッキーを作るとか。
チョコ・マーブル・バター・ナッツ入り・チーズと、種類も豊富だ。
出来上がったものからビンに詰め、レバランまで保存。
すでに4KG分くらいできており、保存缶5個はすでに満杯。
ここ数日午後はクッキー作りにいそしんでいる。
私もたまにはお手伝い。
クッキー作りは分量計量が大切!と今まで思っていたが、ここではほとんどが目分量。
でも、出来上がりはけっこうおいしくて、びっくりだ。
それも、断食中に作るわけだから、生地の味見もできない。
すべてがいままでの勘なのか?
とっても上手に作るので、びっくりしてしまう。
夜には一足先にクッキーをみんなで味見。
毎晩食べるので、確実に太っていること間違いなし?

ACARAはまだまだ続く!

記9月21日(日)
Kさんを見送ってからタカラールへ帰り、すぐ上司の家へ。
今日はここでACARA BUKA PUASA(断食明けの集会)
上司の家は、自転車で15分くらい。
久しぶりに自転車に乗って、初めての遠出。(距離的に)
ACARA参加ももう数え切れないくらいだ。
本当に毎日のように、どこかで開かれている。
上司の子どもは、中2・小4・3歳の3人。みんな女の子だ。
その他に親戚の子が5人くらいいて、総勢10人くらいの子どもたちが集まる。
何度か会って遊んでいるので、一緒に遊ぶのは楽しい。
子どもたちと共にプアサ明けを待つ。
夕方6時にプアサ明け。
6時半にはもう外は真っ暗になる。
7時半頃に解散となったが、外は暗く結局同僚がバイクで自転車についてきてくれることに。
この時間には、モスクへ行く人たちが町を歩いていて、初めて夜の町の様子を見ることができた。
沢山の若者たちが集まっていて、時々声をかけられる。
一人での帰り道は、やはり怖いなと思う。
送ってくれた同僚に感謝!

マカッサルをぐるぐる

記9月21日(日)
Kさんと、今日もマカッサルをぐるぐる。
ペテペテで行き先を聞いて乗車したつもりだったが、私の発音が悪かったらしく全く違うところへ。
市内をぐるぐるした挙句、ずい分と遠回りをして、やっと目的地へつく。
こんなに名前の似ているモールが2つもあるなんて、知らなかった!
でも、教訓にもなった。
やはり、しつこいくらいに行き先の確認をしてから乗車しなければ!

昨晩なくした帽子の代わりに、Kさんが使っていた白い帽子をくれた。
太陽の日差しが厳しいここでは帽子は必需品!
大事に使わせてもらおうと思う。

Kさんのおかげで、私もいろいろなところをぐるぐるできてよかった。
ぜひみなさんも、一度スラウェシ島へ!!

プアサの影響



お酒の大好きなKさん。
マカッサルにある中華街?でビールを飲もうということになったが、どこにも置いていない?
仕方がないので、スーパーに寄ってビールを買おうということになったが、いつも置いてある棚にはない?
そういえば先輩隊員がこの時期は売っていないよといっていたが、こういうことだったのか!
この時期、スーパーでは棚の酒は全て倉庫にしまってしまうらしい。
外国人が使うスーパーさえも売っていないと言う状況。
でもせっかく楽しみにしていたので、どこかにないかと知恵をしぼる。
夕陽を見ながらビールを!と言うわけで見晴らしの良い海沿いのホテルへ。
ここは外国人がよく使うホテルなので、ここでなら何とか飲めそう
プアサを考慮してと、ビールも写真のようなTea Setで登場。
待ちに待ったビールだったが、Teaに入れられたビールに気持ちががっくり?とKさん。
でも、飲めるだけいいか!と言うことで、飲む。
お茶を飲むように、ビールを飲む。
やっとここでビールが飲めた。
が、このあともビールを求めてさまようことに!
マカッサルはSeafoodがおいしくて有名なので、何度か隊員たちと来たことのあるレストランへと移動。
ここは数少ないビールの飲めるお店だ。
事前にプアサ中もお酒が飲めるという確認済みだったので、来たわけだが・・・
注文すると、今日はビールがないという。
なぜ?と聞くと、プアサだから・・・と。
結局、Seafoodを持ち帰りにして、食べ物をいくつかの店で買いホテルへ帰る。
ホテルなら、ルームサービスでビールがある。
やっと、Kさんと私の待ちに待ったディナータイム。
部屋で、乾杯しながら一日の疲れを癒す。
ラマダン中の飲酒はご法度なのだ!
これも宗教の力か?
お酒の大好きな人は、ラマダン中の旅行はしないほうがいいかも・・・

タカラール巡り

記9月20日(土)
バザールへ。
すごい人。
平日しか来たことがなかったので、今日は新たな発見の続出。
外国人2人で歩いていたので、いろいろな人に声をかけられた。
いろいろなものが売っていた。
以前来た時は、通りに面しているところをぶらぶらしただけだったので、本格的にバザールの中に入ったのは初めて。
通りから離れ路地裏に入ると、そこは公園のような一区画になっていて、さらに沢山のものが売られていた。
アメ横のような感じ。
食料品から、アクセサリー、服、雑貨など。
ありとあらゆるものが販売されている。
後で現地の人に聞いたら、週末はこのバザールのために、中華系の人たちがほうぼうからやってきて店をひろげているとのこと。
だから、平日よりも賑やかで、品数も多いようだ。

ひとしきり歩いた後は、バザールの近くに住む上司の家に挨拶に行く。
ちょうど居合わせた親戚の人が家まで送ってくれると言って、送ってくれた。
私も知らなかったのだが、タカラールに名物菓子があった。
米からできている。日本の雷おこしみたいなやつ。
帰りがけに、名物店だというその店でKさんにお土産を持たせてくれた。
私の散歩コースにある店だったが、ただの商店だと思っていた。
こんな名物店が身近にあったなんて!
こういう機会でもないと知らないままなので、よかった。

その後は、近くの集落まで散歩。
車でしか行ったことがない場所だったが、二人でゆっくりと歩く。
両脇は、見渡す限りの田んぼ道。
歩いていると声をかけられ、振りむくと同僚の家があった。
そこでちょっと休んで、またさらに歩く。
ちょうど小学生の学校帰りに出くわし、子どもたちと話をしながら歩く。
こんな近くに集落があったことが分かり、これからも自転車で行けそうで良かった。
午後からはマカッサルへ。

いままで気づかなかった地元のあれこれを発見できた!
これからの散歩がますます楽しみになった!

旅人登場!


       記9月19日(金)
日本からの初めてのお客様。
5年前に内閣府中国団派遣で一緒だったKさんが、タカラールへ!
初めてのスラウェシにも関わらず、一人でペテペテを使って来てくれた。
自称「自立した旅人」を名乗る彼女は、旅に関するあらゆるものをコンパクトにまとめて持参している。
仕事柄、旅慣れた人だ。

写真は、お土産の数々。
荷物が重いと電話で話していたが、それもそのはず。
まるまるバッグ1つ分私への荷物。
こんなに頼むつもりではなかったんだけど、こまごまといろいろ頼んでしまったら、こんなに沢山になってしまったのだ。
Kさん、本当に重かっただろうと思う。
でも、嬉しかった!
日本の物たちと一緒に、日本の香りを運んでくれたよう。
家の人たちにはリクエスト通り、チョコレートとおせんべいを持ってきてくれた。
家のものはとても喜んでくれた!
夕方は一緒にタカラールの町を散歩。
一人ではなかなか町を歩けないので、私にとっても新たな発見続出!

貴重な日本からのお客さんと、2泊3日を共に過ごす!!

マンゴーの木

一家に一本という感じで、どの家にもあるのがマンゴーの木
さしあたり、日本で言う柿の木のようなものだろうか?
今がちょうどマンゴーの季節になろうとしている。
若いマンゴーの果実を細切りにし、焼き魚と一緒に食べる。
薬味のような役割だが、味はすっぱくて塩と酢が混じったような感じ。
でも、これが魚によく合って、おいしい。
すっぱさは、梅干にどこか似ていてなつかしい。
もちろん、熟したマンゴーはとても甘くておいしいが。
若いマンゴーの食べ方は、ここに住んでいる間しか味わえなさそうだ。
毎日のようにマンゴーを食べているが種類もいろいろあるようで、家のはまだ若く実が鈴なりだが、事務所のマンゴーはすっかり熟していたのでもう全てもぎってしまった。
その家ごとに実りに差があるようで、近所の人にあげたりもらったりしている。
 マンゴーの木は立派で、本当に鈴なりという言葉がよく似合っている。