2009年3月15日日曜日

卒業おめでとう!

   2009年3月9日(月)
 インドネシアはイスラムのお祝いの日で休日。
任地でのんびりの一日。
 日本では、元勤務校で卒業式。
1年前の卒業式は、今でも忘れられないくらい思い出深い一日だった。
今でもつい昨日のことのように、鮮明に思い出すことができる。

 今回の卒業生との思い出は、やはり部活動。
2年生までしか、一緒にできなかったけど。
一生懸命練習をしていた姿が印象的だった。
3年生での成長をこの目で見られなかったのは残念だったが、
その子たちが卒業するのだから、本当に嬉しい。

 心から、卒業おめでとう。
今日が、素敵な未来に続く一日でありますように。

村の小さな売り子さん




     2009年3月8日(日)
生徒の家に居たときのこと。
 通りを歩きながら、声を張り上げている小学生・中学生。
学校から帰ったばかりでそのまま出てきた感じ。
土曜だったので制服を着ていた。
両手には、魚をもっている子。手作りのお菓子の入った箱を持っている子など。
家で作ったお菓子や魚などを売りに行くのが子どもたちの仕事らしい。
何度かこの道を通り、商売を行っているのだ。
まだ子どもなので、「もっと安くしなさいよ!」
と言われると、とても困ったようにもじもじ。
 でも、売れると嬉しそうに帰っていった。
わずかな売り上げだが、ちゃんと稼いでいる。
こういう子が、この村には多くいる。

村の休日



    2009年3月8日(日)
 1泊した翌日。
今日も朝から生徒たちの家へ。
早朝集合(5時半)といわれたが、そんなに早くはできないと話して、8時頃集まる。
ここですぐ出発かと思いきや、ここはインドネシア。
お茶を飲みながら、まずのんびりおしゃべり。
お母さんや親戚のおばさんたちが、おしゃべりしながらお菓子作りをするのを眺める。
家事を分担して行っており、洗濯をする人、料理をする人、かまどに火をくべる人、掃除をする人。とにぎやか。
村の朝の風景を見る。
そのうち、生徒たちが集まってきてくれて、みんなで海へ。
昨日の夕陽を眺めたところとはまた違った場所で、釣りをする人や海に入り海草や魚を獲る人など、多くの人が働いていた。
小型の船が停まっていて、聞くとさっき漁に行ってきたという。
浅瀬の海なので、投網を使って漁をしている人もいて、見ていておもしろい。
 今日も生徒の兄弟や、おいやめいを連れているので、ちょっとしたピクニック。
到着すると子どもたちはザブンと海に入り、泳ぐ。
着替えなど持ってきた者はいないから、着の身着のまま。
そんなことはおかまいなしにおおはしゃぎ。
 久しぶりの開放感。
子どもたちと一緒に遊ぶ。

 海の入り口に、丘(中州のようなもの?)があって、そこに住んでいる人たちのところへもお邪魔。
海草を獲って暮らしているという。
ちょっと、無人島のような暮らしぶり。
かなりシンプルに暮らしている。
こんなところにも人が住んでいるのか!という感じで、
家もほったて小屋という感じだった。
 
村に戻ると、別の生徒の家に呼ばれ、庭でお茶を飲みながらおしゃべり。
生徒が得意げに、日本語を披露しているのをほほえましく感じる。
 
その後も、数件生徒の家に寄りながら、家に帰る。
どの家でも歓迎してもらった。
家族を紹介してもらい、生徒の生活がぐっと身近になった。
この暮らしぶりは、これでいいのじゃないか?というのが正直な感想。
ここにしかない暮らしがある。

村の夕陽



           2009年3月7日(土)
 生徒の家はみんな近所なので、自転車で来た私の姿を見て集まってきた。
ちょっとだけ仕事らしいことを済ませ、また生徒たちと過ごす。
ここの夕陽はちょっとした名物のようで、夕方はみなバイクで夕陽を見にこの村へ集まるそうだ。
生徒に誘われて私も見に行く。
行く先々にも生徒の家があって、声をかけると一緒に行くということになり、
そろぞろと歩いていく。
生徒の兄弟なども集まってきてちょっとした集団になった。
この先は島しかない、という海の先のほうへ来たが、
日本の海岸とは違った感じで、波もなく穏やか。
生徒とたわいもない話をしたり、日本の話をしたり、
生徒の家の話をしたり・・・
 ちょっと寄っただけでは分からなかったその子の生活の様子が
垣間見られた。

 PAKETCを卒業すると、いよいよ社会人。
仕事はどうするのかと聞くと、まだ分からないという。
仕事のないこの地域では、どうやってお金を稼げばいいのだろうか?
 毎日が穏やかに過ぎる。これはお金で買えない豊かさ。
この豊かさと引き換えに、お金を稼ぐことは望んでいないようにも見える・・・
何かを得るということは、何かを失くすことなのだろうか?
豊かさとは何かということについて、考えることとなった夕暮れだった。

村生活





   
2009年3月7日(土)
 自転車で40分かけて村へ。
PAKETCの子どもたちの村へ行く。
いつもはペテペテに乗って見る風景を、自転車に乗りながら
眺める。
どこまでも続く青い空。
空と雲と、稲の緑のバランスがとても鮮やかで、
はっとするごとに自転車を止めてシャッターを切る。
小さなフレームには収まりきれないほどの豊かな空に向かいながら、
時には背にしながら
自転車をこぐ。
風が心地よく、おだやかな気持ち!
こんな田舎道を自転車で行く者はいないから、
バイクで私を抜かすたびに、みんなが振り返る。
どこから来て、どこへ行くのだろう?と興味深く見られている。
「気をつけてね!」と声をかけてくれる人も!

 おなじみの村に入ると、村の人が 
「自転車で来たのか!」と驚きながらも、
「一休みしていきなよ!」と声をかけてくれる。
目的地に着くまで真剣な私は、懸命に自転車をこぐ。

 やっと目的地の生徒の家について、ほっとしながらお茶をいただく。
この休日はこの村でのんびり。
生徒の生活の様子を見たり、村人と話をしたりして一日が過ぎる。
おだやかに時間が流れる。
こんな安らかな一日、空を見上げるとやはりどこまでも続く空。

2009年3月1日日曜日

日本人の訪問

     2009年2月26日(木)
JICAの担当者が、私の活動を視察に来た。
今回は、県の教育局から比較的近く最近よく通っている郡を見てもらうことに。
ここで、日本語を教えているPAKETCの生徒と、ソンコ作りを見てもらった。

 実はどの郡を見てもらうかということで、上司と郡を決定するだけでも一苦労。
どの郡も日本人が訪問となると、見てもらいたいというからだ。
 結局、今のところ私に一番協力をしてくれている郡にしたいということで決定した。
昨日の授業でそのことを話すと、
私以外の日本人に触れたことのないPAKETの生徒はとても喜び、
自己紹介や歌を披露したいという。
こんな申し出は、もちろんOK!
生徒たちが一生懸命練習を始めて、その様子はどこか研究授業前の教室みたい。
ちょっとそわそわ、でもドキドキ。
生徒たちの緊張と喜びが伝わってくる。
家に帰ったら、復習しなくちゃ!と生徒の声。
この訪問が、生徒の意欲を向上させてくれるようだ。ラッキー!

 郡の担当者が、強力な協力者となっていろいろと準備をしてくれた。
ソンコ作りの場所も、いつもの場所では狭いからといって教室を用意してくれたり、
昼食(それもPestaのようなご馳走!)も用意してくれた。
巡回のときにお世話になっている家の人が料理を作ってくれたり、
私の巡回先の村の人が作ってくれたお菓子を用意してくれたり、
PAKETの生徒が伝統菓子を作ってきてくれたりした。
 普段通りの活動を見せたいと伝えていたが、訪問時間自体が通常の活動時間と違っていたこともあり、
結局生徒たちには集まってもらったりしたから、その時点で普段どおりではない。
でも、この気持ちが嬉しかった。

 PAKETの生徒たちに、出来はどうだった?
うまくできた?
と、聞かれたりして、日本の中学生と同じだ!
大成功!というと、大喜びで大歓声が上がった。

 今回の訪問で、PAKETの生徒に会ってもらったことは大きな効果。
この訪問は、村の人や生徒たちにとてもいい刺激を与えてくれたと感じた。
数回の授業の成果がこうしてあらわれると、生徒の意欲が向上するものだ。
生徒たちとの絆もまた少し深まった感じがして、良かった。

 もちつもたれつ、という言葉があるが、お互いが助け合っていけるような活動を
今後も目指したい。
決してこちら側から何かを押し付けるのではなく、一緒にやっていく。
このスタンスを2年間保ち続けたいと思う。
私も多くの現地の人の協力を頂きながら、自分の活動を進めていこうと思う。

SONKO(ソンコ)作り



                      2009年2月23日(火)
 先週から集中して毎日1つの郡に通っている。
PAKET Cの生徒の授業の様子を見るためだ。
彼女たちの話では、授業のために学校に来ても先生が来ないことが多いという。
実際のところどうなのか知りたいと思い、通ってみた。
授業を一緒に受けることにし、参加。
でも案の定先生は来なくて、自習のようなものになってしまい、私が急遽授業をすることに。
2教科のうち、1教科の先生はこなくて、もう1教科の先生は遅れてやってきた。
 先生は仕事のかけもちが多く、この仕事を最優先にと行っている人が少ないため、
こういう事が起こっている。

 教室の隣で、ソンコ作りの講習を併設。
私が作り方を教わりたい!と何度もお願いしたところ、教えてくれることになった。
ソンコとは、イスラムの男性がお祈りのときにかぶる帽子で、
葉の繊維を抽出し、糸のように使って編んでいる。
籐のカゴづくりと要領は同じだが、編み方もいろいろあり、実に細かい作業である。
近所の主婦たち(50歳くらいの人たち)が集まり、一緒に練習。
今日は1時間目なので、大枠のみ。
不器用な私にとっては、けっこう難しい。
「技術を教えにきたのに、こうやってインドネシア人にいろいろ教わっていたら、
帰るまでにはプロになるね!」
と言われながら、覚えてやるぞー!と意気込んで作り始める。
先生役の主婦の代表者は、とても丁寧に教えてくれる。
その上、上手上手!とほめてもらえるので、ますますやる気が湧いてくる。
 こうやって村人に教わるのは、とても嬉しい!
明日も続きを教わることにし、帰宅。
 家でもずっと練習してみたが、やはり構造がまだ分かっていなくて、
どう編んでいいのか分からないまま数時間経ってしまった。
早く明日、続きを教わりたい!
人から何かを教えてもらえることは嬉しいことだし、楽しいものだということを
久々に思い出しながら、本当に楽しい時間を過ごすことができた。

スキル講座参加②

          2009年2月22日(日)
 最近は、土日関係なく働いている。
教育局は金曜までだが、私に関わる活動は曜日関係なく行われている。
だから、時間の許す限り参加している。

先週に引き続き、スキル講座。
今日の対象者は、保健所で働く人々だった。
ここには月に1度子どもたちが健康状態を見てもらいに通うようだ。
その時に子どもたちを遊ばせるレクリエーションを行ったりする。
幼児の発育についてなどの理論的な話もあっったようだ。
(聞き取れなかったのだが、後日担当者からの説明によると)

 子どもの多い国だからだろうか?
幼児教育に力を入れたいのだろうが、教員の質の向上は難しいようだ。
何度か幼稚園の先生を対象にした講座や今回のような講座に参加してみたが、
本当に入門講座のようなものばかりだった。
子どもたちの遊ばせ方、やらせ方など。
全てさせるという視点から行われていて、また教員自身のアイディアがないので
こういうレクリエーションや物作りなどに、参加者は多いようだ。
まるで子どもたちのように、先生たちが盛り上がり楽しんでいる。
この講座は大成功だったようだが、問題はそれを持ち帰って日常の仕事に生かせるかということ。
振り返ると私もそうだが、講座に参加しただけで満足して終わってしまうことがしばしば。
より実践に近づける講座の開催と、後のフォローをどうして行くかまで見通して講座を開催することが大事だと考えている。

帰国

2009年2月21日(土)
 この島で、大変お世話になっていた方が、任期終了して日本に帰国することになった。
今日はその送別会があった。
お会いする機会こそ少なかったものの、本当にいろいろとお世話になった。
とてもおおらかな方で、こんな風に夫婦仲良く年を重ねられたら素敵だろうなぁ・・・
と会うたびに感じてしまうような夫婦だった。
 ちょっと人恋しくなるこの任地生活で、ほっと安らぎを与えてくれるような存在。

こんな風にいい年を重ねたいなぁと、思う。
素敵な方々に出会えてよかったと思っている。
帰国したらぜひ遊びに行きます!と別れた。
日本で胸を張って会えるように、いい活動をしたいと思う。

PAKET Bの授業へ


      2009年2月19日(木)
 車で1時間近く走って、最貧層の村へ。
車窓からの写真がこれだ。
ここはペテペテも通らないところで、迎えに来てもらわなければ巡回のできないところだ。
まだ数回しか来たことのなかった地域なので、
今日はたのしみにしていた。
授業は中学生レベルの英語の時間だったので、内容も分かり一緒に参加。
一段落したところで日本語を教えて!という話になり簡単な挨拶を行う。

 短い時間だったが、日本人の私に会うことですごくはしゃいでくれ、
楽しそうな時間になったのでよかった。
郡の担当者は私の活動に興味を示してくれている協力者だが、
あいにくこの郡へ行くための交通手段が確保できずに
いつもそれが話題になっている。
郡の担当者及びその周辺の人に、車を持っている人や運転できる人がいないのだ。
だから残念ながら、継続した巡回ができない。
ニーズに答えられないことが最も残念なことなので、
どうにか対策を練らなくてはと考えている。

アリの襲撃

 とうとう、ノートPCにアリの手が・・・
今は雨季のため、暖かいところに寄ってくるらしい?
家の電気類も次々と壊れていて、
部屋のトイレの電気はもう5回直してもらったが、そのたびに壊れるので今はあきらめている。
暗くなる前に、マンディー(水浴び)をして、暗くなったら懐中電灯を使用。
PCの大事な機械部分にアリが固まっているので、困っている。
出てくるたびに退治しているが、
最近は賢くなって、うまく逃げられてしまう。
このままではきっと、PCが壊れてしまうのだろうと心配しているが、
まだ対策は立たず。
一体何匹のアリがPCに潜んでいるのかは、見当もつかない。

どなたかいい知恵があれば教えてください。

生徒の家を回る



     2009年2月18日(水)
 先週は大雨で授業がなかったので、2週間ぶりに日本語の授業。
生徒は開始時間よりも早くに集まってくれるようになって、開始もスムーズに。
開始時間までは生徒とおしゃべり。
聞くと、他の先生は都合で来たり来なかったりするようで学校に来ても授業がないことがしばしば。
その時はしょうがないなぁ・・・と思って帰るそうだ。
 私の授業の後は体育なのだが、今日は先生が現れず。
そこで、生徒たちが各家庭を案内してくれるということで、歩いてみんなの住んでいる村に向かう。
学校から歩いて10分くらいの村に生徒は住んでいる。
普通は自転車やバイクに乗ってきているのだが、私が居るのでみんなで歩くことに。
 村の人たちにその人は誰?と聞かれると
「先生だよ。今日本語習ってるの」
という彼らはどこか誇らしげだった。
PAKETに通うくらいだから裕福な家はないため、どの家もみな竹でできている。
でも、どの家に行っても盛大に迎えてくれ、親戚中集まってくれた。
こんな風に自然に村に入ることができるとは思っていなかったので、
本当にPAKETCの生徒たちと出会えてよかったと思っている。
お茶を飲みお菓子を振舞われ、お腹がパンパンになりながら4件ほど生徒の家を回ったところで
楽しいながらにタイムオーバー。
まだ他の生徒の家にも寄ってといわれたのだが、
ペテペテ(公共乗り合い自動車)がなくなってしまう時間だったので
慌てて帰る。
 それからペテペテを待つこと30分。
生徒も一緒に待ってくれた。
夕暮れの中こうして村に居ると、とても贅沢な時間を過ごしている気分。
生徒たちの心配をよそに、私はこの待ち時間を楽しんでいた。
このままペテペテが来ないかというところで、昨日到着した隊員と家族が車で通りかかり、
(こんな偶然は滅多にないことだが)
私を家まで送ってくれた。
なんてラッキーだ!

 私の活動は、こうやって思わぬことがきっかけで広がっていっている。
今日もたくさんの偶然が重なって、村に行きその生活を垣間見ることができた。
巡回では見られなかった、人々の生活が見られ
得した感じ。
このチャンスをものにし、これからこの村とじっくりつきあっていこうと思っている。

新隊員到着

            2009年2月17日(火曜)
 SV1人と隊員2人が、同じ県に配属となった。
これまでは一人任地だったが、一気に日本人が増えた。
仲良く協力してやっていけると、面白いことができそうなので楽しみ!
みんなの力を寄せ集めることで、一人ではできないことにも挑戦できそうだ。

スキル講座参加


                    2009年2月15日(日)
早朝散歩で気をよくした私は、庭でのんびり雨の降るのを眺めていた。
すると、郡の担当者から電話。
まだ朝の7時だというのに、この国の人は朝が早い。
今日これから、中学校と高校の勉強(PAKETBとC)を行っている生徒たちが、裁縫の授業を習うという。
それに来ないかという連絡だった。
すっかり休日脳になっていた私は、これから?と戸惑いながらも、
チャンスは一つでも多くゲット!と思い、すぐに朝食をとり現場へ向かう。
 この郡のPAKETの生徒に会うのは初めて。
今日は単発で1日だけの講座ということだった。
朝9時集合だが、案の定遅れて開始。
その上、講座の前に県の課長(私の上司)や郡の代表者などが話をし、実際に講座が行われたのは11時過ぎだった。
この国の人の話というのは、長い!という長さが半端ではない。
子どもの頃、よく校長先生の長い話をじっと我慢して聞いていたーなんていう思い出が
誰でもあると思うが、それとは比べ物にならないほど長い。
なんと1人1時間はしゃべる。
聞いているほうは、完全に飽きている。
でも話し続ける。
いつ話が終わるのかと心待ちにしているのは、生徒だけではないようだ。

 私の想像していた講座は、実際にミシンの使い方や縫い方を教えやってみるのかと思っていたが、
ミシンはたった1台しかなく、思っていた講座とは全然違うものだった。
ここでは理論のみを教え、実際は各自が家?で行うというもの。
だから、今日の講座も採寸の仕方を口頭で説明したのみだった。
家にミシンがあるわけでもなく、ここでの講座を聞くだけで終わってしまう人がほとんどだという実態も分かった。
郡の担当者は、
講座を開くことで興味のある人が出る。
それだけで講座を開いた意味があるという。

私のイメージしていた講座開催の理由や、学生に得てもらいたいものとはかけ離れていて、
その分私の活動のヒントにもなった。

 講座は1時間ほどで終了。
本当は2時間の予定だったようだが、村人に死人が出てしまい、急遽葬式だという。
村人全員が参加するため、講義もここで中断するという。
こんな風な時間の使い方も、文化の違いだなぁと思う。

 講座終了後に、郡の担当者と話す。
今回の講座開催費用などを聞きながら、私が開く講座について相談をする。
案の定、JICAからの資金援助の話が出、私も必死に説明。
今まで何度も同じ説明をしてきたけれど、私の語学力不足と向こうの認識不足で、
やはりJICAが出してくれると期待していたらしい。
タカラールにいる別の国(K国)のボランティアの開催する講座は、全額K国で資金を出してくれるので、JICAも同じように考えられているのだ。
その都度、JICAとK国のボランティアのシステムの違いを説明していたのだが、やはり何度目かの同じ説明を、同じ人にすることになった。
 もともと関係のいい担当者だったのだが、その話をするとがっかりしたような表情を見せ、私も悪いことはしていないながらにも、身近な人にもまたあらぬ期待をさせてしまったかと残念な感じ。
おもいきって帰り道に、がっかりした?
と尋ねてみた。
すると、「あなたと友達になれたのだから、それだけで十分だよ」
と返してくれた。
きっと内心は残念だったに違いないが、そう言ってくれたことは嬉しかった。

お金の援助以上の支援をいつかできるように、
共に働くことを喜んでもらえる日まで、
今以上にやれることをやっていくしかないと、強く感じた。

早朝散歩



       2009年2月15日(日)
 1週間熱と体調不良に悩まされていたが、やっと少しずつもどってきた。
しばらく休んでいたホームスティ先のイブとの散歩を再開。
 久しぶりに2人でおしゃべりしながら歩く。
朝の散歩は気持ちがよく、心あらわれる。
ふと空を見ると、ちょっと雲ゆきが怪しくなってきた・・・
と思っていると、すかさずイブがUターンをし、帰ろうとする。
私の日本での感覚では、雨は降りそうだが、まだ15分くらいは大丈夫そうかな?
という感じだった。
イブについていくと、途中にある県の裁判所?の軒下へ。
着いた瞬間、豪雨。
この空の変わりようが、すごい。時間的にも、雨の量も!
日本の夕立みたいな感じだろうか?
裁判所は、入り口が開いていて、誰でも自由に入れるのか?
門番の人もいて、入り口で番をしながら寝ていた。
朝の6時頃から、30分くらいあまやどり。
こんなとこで、あまやどりなんてちょっとワクワク。

うとうとしながら、雨がやむのを待つ。
こんな朝の過ごし方も、なんだかのんびりしていていい。
写真 kursus ketrampilan di polut 004 2.15

つり

      2009年2月7日(土)
 町を歩いていると、見た目は小学校4年生(日本の子どもたちより3~4歳幼く見える)
の男の子が2人、用水路で釣りをしていた。
 なんとなく近寄ってみると、小さな魚を釣りまくっている。
釣り竿は、細い竹に釣り糸をたらしただけのもの。
餌はミミズまたは小麦粉を練ったものに、香辛料で黄色い色付けをしたもの。
早速仲間に加えてもらう。
外国人の私に、質問攻撃の子どもたちはなんと、すでに中学2年生。
本当にここの子どもたちの体は小さい。
釣りを見ていると、塾帰りの女の子たちの集団や仕事帰りのおじさんなどが、何をしているんだと寄ってきたりして、結局にぎやかな集まりになった。
 釣りをしていた子達の名前を聞いたが、インドネシア人の名前は何度聞いても覚えられず、必死に何度も頭の中で繰り返したが帰ってきたらやはり忘れている。
でも、元気な子どもたちの笑顔はしっかり覚えている。

毎日つりに来ているのだといっていた。
明日は私の分の釣竿ももってきてくれると約束してくれた。

ここのところ何かと、気持ちが沈むことが多く気分転換に町を歩いてみたのだが、
子どもたちと遊んでいると嫌なこともすべて吹き飛ぶのだから不思議なものだ。

スタディーバンディング スラバヤ



    2009年2月6日(金)
 2月3日(火)から4日間スラバヤに出かける。
環境についての報告会だが、そのプログラムの裏プログラム?としてあるコンポスト作りの実践をこの目でみるために、参加してきた。
一緒にタカラール県で働いている郡の担当者(以下CP)も2人連れて行く。
この2人にとってスラウェシ島を出るということは、生まれてはじめての経験。
この機会がなかったら、きっと一生出ることはないだろう。(聖地に行く以外)
ジャワ島に行くということだけで舞い上がってしまった二人は、すっかり旅行気分。
奥さんはわざわざ空港まで見送りに来て、うらめしそうに私も連れて行ってと嘆く。
奥さんいわく、結婚してから1日も離れて夜を過ごしたことはないそう。(結婚20年くらいは経っている)
涙ながらに見送る姿を見て、たかが出張だけれど連れて行く私が悪いような気がしてしまった。
いかん、いかん。
 この研修は自分にとってすごく有意義なものだったが、
CPを連れて行ったことで、本当の意味で現地の人と共に働くことの難しさを知った。
文化も習慣も違い、日本人同士なら常識であることも、その常識が裏返る。
今まで任地で働いていたときにあまり感じなかったのは、
現地の人が外国人である私に気を使ってくれていたからなのかもしれないと、あらためて感じた。
 物事の感じ方。モラル。時間に対する考え方。
全て日本人が正しいと言う価値観を押し付けないというのが、ここでの活動で一番気を配っていたことだった。
だからこの違いにいちいち腹を立てないことを目標に過ごしてきたわけだが。

日本人主体の研修に参加すると、時間一つにしても集合時間に集合場所に来ないことにハラハラし、
いつもなら流せることが流せなくなってしまっていた。
説明も、通じない。
こちらはきちんと伝えたつもりでも、別の解釈をされてしまう。
こんなにも違うのだということを強く感じた。
 そして、他の隊員のCPと話をするにつけ、日本人と働きなれている現地人と、そうでない人の差―現地人からの歩み寄りのある意識の違いーを感じた。

 あらためて、この人たちとやっていくことの難しさを感じた。
私の任地での活動、なぜここに来たのか?何をしたいのか?共に協力して働きたいということ。
それらを一つ一つ説明して理解してもらうのは、気の遠くなるような話だ。
本当に必要な援助をするということは、本当に必要だと思っている人に出会わなければならない。
なんとかしたいと思う人がいなければ、何も変わらないのだ。

そうはいっても、任地の人は人がいい。
任地の人たちに助けられ、半年楽しくやってきた。
そろそろ、私が何かをする番だ。

日本からの手紙

     2009年2月2日(月)
 家から帰ると、部屋の前にEMS。
日本からのものと一目で分かり、思わず顔がほころぶ。
団長からの手紙と、元同僚からのEMSだ。
手紙は約2週間を経て、たどりついている。
もうすでに何度送ってもらったのだろうか?
本当に嬉しい。
EMSには、新しい日記帳が数冊。
ちょうど2冊目の日記帳が終えるところだった。
グッドタイミングの到着に、さすが○○っちと言う感じ。

こうやって心を和ませてくれる嬉しい便りが届くたび、
ここでもうひとふんばりという気持ちになる。
Terima Kasih Banyak (ありがとう!)

栃木との交信

  2009年1月31日(土)
JICA栃木デスクの行事にSKYPEで参加。
年に1回JOCVの保護者を集めて、現地の様子などを伝えてくれる行事だ。
今回、インターネットを使ってのライブ中継を担当したのだった。
任地のスラウェシ島には、私の他に同郷の先輩が一人居る。
2人で、任地の様子や今の心境などを話す時間となった。

去年は栃木に居て、この会に参加していた。
1年間というのは早いものだ。
 準備の段階で、SKYPEがうまくつながらないなどトラブルは多々あったが、
その都度マカッサルの事務所の方々や、JICA栃木の担当者の方にお世話になり、
なんとか今日無事に終えることができた。

 私の両親、妹が会場に来てくれていて、映像を通して半年ぶりに会うことができた。
 カメラを前に、久しぶりに家族の顔を見て本当に嬉しかった。
SKYPEなんて、いつだってできるのだから自分たちでやればいいのだが。
こうやって日本を離れて来たからには、こちらの生活にどっぷり浸かってやろうと決意したところもあり、
あえて必要以上の連絡をとらなかったのだ。
家の事情のため、12月に初めて家に電話をしたくらいでそれまで手紙以外の連絡をとっていなかった。

こうやって直接話をすると、いろんな感情が湧き出てくる。
 自分は好きで出てきたのだから、何も思い残すことはなく期待に胸を膨らませ出てきた訳だが。
多くの心配をよそに、ここに来てしまったこと。
表立って反対こそはされなかった?ものの、やはり両親の不安・心配は尽きないこと。
海外旅行にも行ったことのない両親にとって、この世界はあまりにも未知過ぎた。

 そんな人たちを残して、いまここに居る自分に問う。
なぜ、そこまでしてここに来たのか?今、ここに居るのか?

それから、元同僚のIさんにも会う。
「元同僚全員で応援しているよ」
という言葉に、胸が熱くなりすぎたので、笑ってごまかしてしまった。
去年の今頃は、現場で一緒に働いていたのが、まるで遠い昔の話のように感じた。

短い時間だったけれど、日本との距離がぐっと縮まり、私の心を弾ませたことは言うまでもない。
こんなに嬉しさを感じることができるのは、こうして遠く離れているからだろうか?

あらためて私を応援してくれる多くの方達を思い浮かべた。
道のりは決して平坦ではないが、
へこたれずに最後までやれるだけのことをやってみようと、思っている。

職人の技



       2009年1月29日(木)
 最近良く通っている郡では、村の集落ごとに共同で仕事をしている場所(村人の高床式の家の一階部分)があり、
巡回がてらそこを視察させてもらっている。
今日は村で売るお菓子作りの講習会が開かれるというので、参加してきた。
 この村に入ると、道や家の庭のいたるところに素焼きの皿や鍋置きなどが干されていた。
お菓子作りをしていた場所でも、サンバル(唐辛子で作る調味料)用の皿や、鉢植え用のポット、貯金箱の入れ物などを作っているらしく、作業の様子を見ることができた。
 県内にある土を使用し、土と水をよく混ぜ合わせて粘土を作る。
その粘土を使い、手回しのろくろを使いながら手際よく形作り、乾燥させてから、野焼きをする。
出来上がったものは色をつけたりニスを塗ったりして、完成させるそう。
 キャンプ場でよく子どもたちと作ったものと同じだ。

手製のろくろを使い、器用に形作っていく。
ほんの2分くらいで1つのものを完成させる、その技にびっくり。
おばあさんにいつから仕事を始めたのかと尋ねると、小学校に入った頃からだという。
学校から帰ると毎日手伝っていたそうだ。
もう50年選手のイブの技は、思わず見とれるほどだった。
 
完成品は、国内の別の島に送られているという。
まだ、海外輸出はしていないらしい。
日本の100均でよく売っている植木用ポットと皿。
これらは、こういう小さな村で1個5円くらいで作られているのだ。
いくら物価の安い国だといっても、5円ではまんじゅう1個も買えない。
1日50個は作るといっていたから、それでも1日250円しか稼げない。(数人で)
ジュースが1本40円、ナシゴレン(チャーハンみたいなもの)が1皿80円位だから、
いかに1日の収入が低いかは分かるだろう。
これでも、仕事があるだけいいほうだ。
仕事がなく、日向ぼっこをしている人がたくさんいるのだから・・・
 単純にお金だけを計算すると、こんなにわずかな収入でどうやって
生活しているのだろうかと心配してしまうが、それでも生活は成り立っている。
 こんな村に昔ながらの職人が居て、その暮らしがある。
何ができるのだろう。
この私に・・・。