2008年9月23日火曜日

1000RPの移動式おもちゃやさん


 夕涼みをしていると、家の前を通る自転車?がさまざま
日本の豆腐売りや、屋台のラーメンやさんのように、
自転車に乗って物売りがやってくる。
子どもたちに大人気は、1000RP(セリブと読む。リブはお金の単位)
本当の名前は知らないが、子どもたちはこう呼んでいる。
日本円で10円くらいだが、結構いろんなものが売っている。
1000RPと見せかけて、実は2000RPだったりすることもあり、
子どもたちも慎重によく選んで買っている。
ここには、髪を縛るゴムやマニキュア、小さい子が喜ぶようなおもちゃなど。

子どもたちが目移りしそうなほど、いろいろな種類のおもちゃがある。
男の子に人気は、narutoのカードとフィギュアだ。
写真のおじさんが売っている人。
うちの子どもたちはすでにお得意さんだ!
今日も庭の前でセリブを握って、おじさんを待っている。

巡回 その⑥




 記9月18日(木)
12の村からなるタカラールで一番広い市へ。
海沿いにある、村だ。
レクリエーションなどで、タカラールの人もよくこの近くの海を利用するらしい。
以前一度だけ、来たことのあった地域だ。
 担当者が気さくな人なので、いろいろと話が聞けた。
どの巡回も、私のために車を用意してくれている。
ありがたい。
今日の巡回中には、車がエンストしてしまいみんなで押したがエンジンがかからず・・・
というトラブルはあったものの、こういう時はどこからともなく人が集まってきて助けてくれるのも、インドネシアならではだ。
今日も5箇所ほど回ったが、幼稚園・PKBM共に実際の生徒はおらず。
プアサ中ということと、午前中の巡回ということで実際の授業は見られずに残念だ。
プアサが明けたら、巡回時間を午後に変更してもう一度各地域を回ろうと思う。
 
写真は、となりの市のPKBM。
今日の市の担当者が、隣の市でPKBMの会長?をしている。
PKBMと併設して、ノンフォーマルの中学校のようなものがあり、そこから子どもたちがやってきたのだ。
外国人が珍しいと言って、沢山の子どもたちが部屋に集まった。
体つきは日本の小6位で小柄だが、皆中学生だ。
子どもたちに囲まれて、久しぶりに中学校の教員に戻ったような感じ。
すかさず男子生徒の赤いベルトに目がいってしまい、一人で笑ってしまった。
まだ教員の感覚は忘れていないようだ。
子どもたちも最初は恥ずかしがっていたが、仲良くなったとたん質問攻めに!
そういえば、インドネシアに来てから、こんな風に子どもたちに囲まれたのは2度くらいしかないな。
子どもたちとの活動をと期待に胸膨らませやってきたのだが、実際の活動場所が学校ではないため、なかなか集団の子どもたちに出会うことが難しい状況。
ましてや、文盲(字を読んだり書いたりできない人)の授業は、おばさまばかりで子どもたちはいない。

子どもたちのにぎやかさと、私を見てちょっとはにかむ姿が、なんだか懐かしかった。
もう少し活動に慣れてきたら、キャンプの日帰り行事のようなものをやりたいなと思っている。
なんだかちょっと忘れていた感覚。
久しぶりで、なかなか楽しかった。

ACARA BUKA PUASA

前にも書いたが、プアサ明けのパーティーは毎日のようにいろいろな場所で行われるようだ。
正確にはPESTAとは言わずに、ACARA(集会)というらしい。
ACARA BUKA PUASAが正しいと、家族から指摘。
今までPESTA(パーティー)と書いていたが、ACARA(集会)だそうだ。

今日は、市の教育局主催での催しがあった。
ただし規模が違う。
何百人という人が集まり、プアサ明けを祝う。
のち、食事会。
その後は、あらかじめ用意されていたステージを使用して、この市の小中生が歌ったり踊ったりとにぎやか。
かわいい衣装をまとった子どもたちが、学校ごとに出し物をする。
コンテストだと言っていたが、とても大掛かりで愉快な会だった。
 1日の断食はきついけど、その分夜はおいしいものを食べ、にぎやかに祝うようだ。

2008年9月18日木曜日

巡回その⑤


巡回その⑤
    記9月17日
今日の巡回先は、漁村。
4つの村からなる市だ。
えびの養殖場がたくさんある。
ここでの主な職業は、養殖場の管理と、農業だ。
事務所からの出発が遅れてしまった為、到着する頃には勉強の終わっていた所もしばしば。
私が来るのをわざわざ待っていてくれたところもあり、恐縮してしまった。
学習施設は、さまざま。
誰かの家の1階(高床式なので、一階はただの空間)を使用したり、幼稚園や小学校の教室を利用したりしている。
本当は夕方3時からの授業が一般的だとか。
今はプアサ中なので、午前中に授業を済ませてしまうらしい。
ここでは、Tutor(ノンフォーマルの学校の先生の呼び名)が2人で、チームティーチングのような感じで授業をすすめている所がいくつかあり、便利だからこうしたのだという話を聞いて、なるほど!と思った。
システムにはなっていなくても、Tutorがより工夫してやってみようと考えたのだから、画期的だ。
Tutorは沢山いるが、正式な学校(小・中・高校)のGuru(小中高の先生の呼び名)と比べると、給料が断然安い。正式な学校の先生の1ヶ月分にも満たない給料が、Tutorの3か月分の給料と聞いて驚いた。
Tutorの中には、午前中Guruとして、午後はTutorとして両方で働いている人も多いようだ。
確かにTutorだけの給料で暮らしていくには、かなり厳しい。
でも多くの人が、Tutorだけの給料で暮らしているらしい。
暮らし方にもだいぶ差があるようだ。
写真は村の一般的な家。
高床式の家の一階で授業をおこなっている。

インドネシアのお菓子PANADA


プアサ中だが、午後からお菓子作りが始まる。
プアサ明けに食べるためだ。
夕方自転車に乗って、家のR君と一緒に親戚の家に行くと、ちょうどお菓子を作っていた。
Panada(パナダ)という名前だ。
カレーパンのようだが、中身はまだ若いパパイヤとたまねぎ、生唐辛子をそれぞれ細かく切ったもの。
これをパン生地のようなものに包み、揚げる。
味はパパイヤがさくさくしていて、ちょっと辛いけどおいしい!
もちろん私もお手伝い。
生地を伸ばして、包む。
全部で100個くらい作った。
近所におすそ分けを持っていくとお返しがきて、たちまち数種類のお菓子が集まった。
どの家もいろいろなお菓子を作っている。
このお菓子は、プアサ明けのお祈りをモスクでするため、そこに持参する用らしい。
日本に帰るまでに、インドネシアの菓子作りをマスターしたい!
レシピは作成者の頭の中にあるようなので、できるだけ手伝って覚えるつもり!

巡回 その④


記9月16日
先週は担当者の都合で1つの市しか回れなかったので、今週はきちんと回りたいと思い同僚に相談。
同僚がすぐに対応してくれ、担当者に連絡を取ってくれた。ラッキー!
という訳で、今日は巡回に。
通常は、初めての巡回ということで迎えの車が用意されているが、今日のMPS市では車は用意できなかったということで、ペテペテに乗ってMPS市まで。
実際の巡回は、こうやってペテペテを使って一人で行くことになるので、この方が実践的でいい。
その上、担当者が気の合いそうな人だったので、二人でまわるのは楽しかった!
ペテペテを降りると、そのままベチャに乗って、市内に入る。
ベチャは風を切ってはしるのでとても、心地よい。
田舎道をどこまでもまっすぐに走っていく。
 この市は、とても貧しいのですと説明される。
確かにまわりは川と田んぼと田舎道のみ。車の通りもあまりなく、簡素な感じ。

写真は、幼稚園。
この施設は、午前中は幼稚園。
夕方からはPKBMと、2通りの役割を持つ。
だから掲示物も、幼児用の飾りと、PKBM用のものと2通りが並んでいる。
今日は午前中のみの訪問だったので、幼児としか会えなかったが。
PKBMの内容は、中学校を途中でやめてしまった人のための学校だ。
通常の中学校の授業を学ぶ。
このPKBMで卒業できれば、中学校卒業の資格をもらえる。
インドネシアでは、中退の多くは貧しさのため、両親の手伝いをするため学校を続けられないという子どもがほとんど。
通常の学校に通っている子の多くは裕福な家庭に育っている。
だから、こうやってノンフォーマルの学校として、PKBMがある。
このPKBMに入学するためにも試験を受けなくてはいけなくて、私の勤務先の学校外教育課(PLS)には、入試希望者や、合格者が手続きに来る。
多くの子どもたちが、学校を途中でやめざる終えない状況が、この島にはある。
だからこそ、私のような者が派遣されているわけだが、その責任は重いなぁ・・・と子どもたちに会うたびに感じている。
 田舎の風に吹かれながら、ふと考えた。
当たり前のことを当たり前にできる日本は、やっぱり幸せな国だ。

PESTA BUKA PUASA②



記9月14日
海から帰ってきてから、イブの実家へ。
今日はそこでペスタだ。
マカッサルからの帰りが少し遅れてしまったので、同居の女の子(小姑)と2人で。
今住んでいる家から5Kmくらい離れた所にある。
ここまで行けるペテペテは少ないため、乗るまでに15分以上道端で待ち、やっと乗車。
ブカプアサ(断食明け)に間に合うかとドキドキしながら二人で向かう。
イブの実家のペスタは先週行った我が家でのペスタよりさらにグレードアップ。
参加者200人くらいいたのだろうか?
あまりの人の多さにびっくりした。
家の中だけでは納まりきれず、ペスタ用のいすが庭に100脚並ぶ。
料理を作る人、運ぶ人、片付ける人と分かれていて、台所はすごいスピードで作られ、片付けられていた。
この日のためにニワトリを20羽さばいたらしく、料理の種類も、量もかなりのもの。
きっとこの家はお金持ちなんだろうな・・・と言う感じ。
写真はプアサ明けの瞬間。
家に入りきらない人たちが外に座っている。
この後は、みんなでお祈りをして、食事。
毎日のようにこのペスタは街のどこかでおこなわれているようだ。

マカッサルの島その①再び


記9月14日
翌日は、朝からサマロナ島へ再び。
日本人会の行事に参加させてもらった。
サマロナ島再びと書いたのは、前回の島と同じ所だから。
あの時はまだ島の名前さえも覚えられずに、行っていた。
今回はシュノーケル中心に遊ぶ。
遠浅の海で、結構遠くまで行っても足が届く感じ。
川や海でおぼれそこなっているので、日本ではあまり遠くまで行ったりしなかったが。
海がきれいで、シュノーケルでも十分海の中を見渡せる。
沢山の魚やうに、サンゴなどがみられた!
この島はとてもきれいだ。
シュノーケリングにはまりそう・・・!
 写真は昼食のエビ。
島に来てから、エビ嫌いの私もエビが食べられるようになった!

3ヶ月ぶりの日本食!



記9月13日
 マカッサルに住むJICA専門家の方の家にお邪魔することに。
同期隊員4人で宿泊させてもらった。
 専門家の方はとても穏やかで、優しそうな人。
お手伝いさんはインドネシア人だが、ずっと日本人の家で働いているそうで日本料理がとても上手!
この日のメニューは、ちらし寿司・とんかつ!・ポテトサラダ・きんぴらごぼう・キムチ・炒め物・味噌汁などなど。
どれもおいしくて、かなり食べてしまった。
ホストファミリーが見たら、びっくりするだろうと言うくらい!
ずっと親しんできた味と言うのは、簡単には忘れられないものだ。
親しみとともに、懐かしさも感じた。
こういう感覚は、今までにない新しいものだ。
今まで日本を離れると言っても、1ヶ月くらいしかなかったから日本食が恋しいという気持ちはあまり感じなかったけど。
やっぱり生まれ育ってきた味というものは、大事なものだ。
日本の味は、最高!

2008年9月13日土曜日

お風呂は水MANDI


お風呂は水MANDI(マンディー)
 日本のように湯船には浸からず、MANDI(マンディーと読む。水浴びのこと)をする。
朝と夕方の2回。
家族を見ていると、特に外出前には必ずと言っていいほどマンディーをしてから出かけている。
ここスラウェシでは朝は涼しいことが多く、現地の人はおきぬけに長袖を着ているほど。
朝の水マンディーはヒヤッとするけれど、そんな生活にももう慣れてきた。
日中はすごく暑いので、夕方のマンディーはとても気持ちよい。
プールの前後のシャワーをイメージしてもらえるといい。
ちょっとひやっとして、でもさわやかな感じ。
写真のように、トイレとカマールマンディー(風呂場)が部屋にあるので、それを使っている。
いすはないので、立ったまま体を洗う。
よく洗えてるのかは微妙。
 最初はAIR PANAS(アイルパナス―お湯のこと)が恋しかったが、今はもう慣れた・・・
かな?
でも、やはり温泉と湯ぶねは恋しい今日この頃・・・

巡回その③




       記9月10日
 巡回の同行者の迎えを待つ日々だが、担当者が迎えに来てくれないこともしばしば。
昨日おとといと迎えが来なくてまちぼうけ。
今日は今週初めての巡回だった。
この1ヶ月で、タカラールにある9つの市全部をまわる予定。

今日は3つ目の市へ。
今日の主な巡回先は幼稚園。
3箇所まわったが、同じ幼稚園かと思うほどその場所によって建物に差がある。
狭い1部屋に20人近くの子を預かっているところもあれば、広々とした建物の幼稚園もある。

建物の種類も、木・トタン板・セメントなど。
幼稚園の園長が、同行した担当者に必死に訴えていたのが印象的だった。

(言葉の理解がまだ不十分で、何に対しての訴えなのかまではよく分からなかったが。)
教員不足(児童30人に対して、先生が園長含め3人)の現状か、施設の狭さを訴えていたのか

、いずれにしてもJICAからの援助をもらえるようにという内容だった。
先輩隊員などから、巡回にあたるとこういったこと

ーJICAから資金を援助してもらいたいと言われることーは多々あると話されてきたが、

今までの巡回ではまだそのような込み入った話はなかった。
だが今日の巡回では、まず同行の職員から往復の車中さんざん質問された。
同行者には以前から事務所で会っていたし、私の上司も何度も私の仕事内容を話しているはずなのだが、理解不十分のようで食い違いも多く、言葉の問題でうまく説明もできずに戸惑った。
巡回先でも資金の支援をもらいたいと話され、同行者自ら現地の人に、

後で援助してもらえるからと話していたのにはびっくりしたが。
そのたびに私の役割は資金援助ではなく技術支援だと話すが、うまく通じているかどうか・・・
実際に資金援助が必要なところにはお金はまわらず、ある特定の所に集まってしまうのが途上国でよくあることだと聞かされているが、今後の活動の中で援助の方法や、ターゲットについては慎重に選ばなければいけないと強く感じた。

写真は、幼稚園訪問の合間をぬう様にして行ったPKBM
PKBMとは職業訓練校のようなもの。
授業にはいろいろと種類があり、小・中・高を中退した生徒向けに授業を行うところもあれば、

職業訓練を行うところもある。
ここは、自転車やバイクの修理を習うための場所。
学校のような施設を想像していたが、実際は小さな小屋ひとつ。
5人の生徒がいるとのことだったが、訪問時は年配の先生一人。
普通の自転車屋さんみたいだった。
これがPKBMかぁ・・・と思うと、職業訓練校の内容と質にはだいぶ格差があるように感じた。
どうやって、授業が進んでいくのか実際に見なくては本当のところは分からなそうだ。

PESTA BUKA PUASA(断食明けパーティー)


           記9月9日
仕事から帰ってくると、家の中のソファー類が全て運びだされ、

家にはすでに10人くらいの人が料理を手伝いにきていた。
言われてみれば、IBUが昨日友達を呼んでPESTA(ペスタと読む パーティーのこと)をすると言っていた。が、ちょっとしたものだと思っていたのだが・・・
昨日魚(多分 鯛)を250匹と貝を30KGくらい下ごしらえしていたのだが、

その時にはまだペスタのことは知らずに、ずい分一気に沢山買うものだなぁ・・・と驚いていたのだが、

ここで使われるのだと知ってさらにビックリ!
家の中にしまってあった食器類100セットを出し、親戚総出で準備にとりかかる。
もちろん私も一緒に準備をする。
とても料理の上手な叔母さんが、指揮官となって沢山の料理を下ごしらえ。
あっという間に8品ほどの料理が出来上がった。
もちろん、ES BUAHは大きな鍋いっぱいに、こんなに食べきれるのだろうか?

と思うほど作られている。
 お客さんが部屋いっぱいになると、PUASA(断食)明けのラジオの声を待ち、

断食明けの合図と共に、水を飲みES BUAHを食べる。

その後、Magrib(断食明けのお祈り)が一始まった。
男女とも顔を洗い清めてから、男性はPeci(ペチと読む イスラム男性の帽子)をかぶり、

女性はMukuna(ムクナと読む お祈り用ベール)をまとう。
整然と整列し先頭の男性の掛け声に合わせてお祈りが始まる。
さっきまでのにぎやかさとはうって変わって静寂な空気が走り、

みているこちらも神聖な気持ちにさせられるような、厳かな時間だった。
普段家の人たちがお祈りを始めると、なんとなく見てはいけないような気持ちもあり

部屋に入ってしまうことも多かったが、今日は貴重なものを見られた気がしてならない。
私の周りにいる人全員がPUASAをし、こうしてお祈りする姿をみていると

宗教の偉大さを感じずにはいられない。
ちょっと試しにPUASAをして見なさい!なんて軽く現地の人には言われるけど、

それもなんとなくはばかられるような神聖なものを感じている。
その位、家の人たちは普段から信心深く、日々感心させられてはいたが

こうして一同に70人くらいの人が集まりお祈りしている姿を見たら、一言では語れない何かを感じた。

お祈りの時間がすんだ後は、お楽しみの食事会。
インドネシア人は、本当によくご飯を食べるので、みんなお皿に山盛りいっぱいのご飯とおかずを盛り付け、おいしそうに食べていた。
今日は初めて料理の手伝いをしたし、沢山の料理を作っているところも間近にみられた。
そのうえ、イスラムのお祈りもそばで見ることができ、まじまじと文化の違いを感じた一日だった。
顔は日本人によく似ていて、言葉を発さなければ同郷の人かと間違うこともあるというけれど
ここには確かに違う文化があり、暮らしがある。
当たり前のことだけれど、新鮮な感じ。

外国人から見た日本の文化は、どんなだろうか?
日本の文化について、あらためて振り返ってみようと思う。

体育の日 IN INDONESIA



        記9月9日
 体育着を着て、朝7:30に県庁に集合.
写真は小・中学生。
集合時間に来て、並んでいたところを撮ってみた。
開催は8時頃から。
県庁の校庭のようなところに、職員、生徒、が集まり、県知事の話を聞く。
朝の8時にはすでに日が高く昇り、皮膚がこげるようにあつい。
女性はみんな長袖を着ていたのだが、私はうっかり半袖で参加してしまったのだ。
多くの人が集まると、にぎやかになる。
県知事のような人の話の間でさえ、あちこちで私語が聞こえる。
日本にいたら、ハラハラしそうな状況。
校長先生の話中に、私語を慎むように何度生徒に注意したか・・・
そんなことを思い出しながら、県知事の話を聞く。
県知事の話もまたずい分と長い時間だったが、(30分以上!)
この中で、来年までに文盲人口を0にすることを目標に働くように・・・という話があった。
どの県でも、文盲人口を減らそうというのがスローガンのようになっている。
このため、県では村々に学習できる場所を用意し、文房具を無料配布し学習を推進している。

(先のブログのように、私はそこを巡回している)
切々と語る様子にあたりの反応をうかがったが、

依然として私語に盛り上がる公務員の姿がそこにはあった。
前途多難!

愛車(SEPEDA)に乗って!


ついに購入!
タカラールで私の足となってくれるSEPEDA(セペダと読む。自転車のこと)はこれ!
10年以上ぶりの自転車生活復活!
以前紹介したベチャ(人力車)以外、あまり自転車に乗る人はいない。
ほとんどがバイクを日常の足としている。
ここでは幼い子でもバイクを運転しているので、
私は運転できない
(してはいけないことになっているのでこういっている)
というと、ちょっと馬鹿にされるけど、仕方ない。

 ここは暑いから、自転車での移動は信じられない!といわれるけど、
日本人は自転車と歩くのが好きだと言っている。
自転車で10分の距離も、遠いよ!といわれ、自転車で来たというと
遠くて帰りちゃんと帰れるのか?とすごく心配される。
 夕方のやっと涼しくなった田んぼ道を走っていると、
ちょうど黒袴の二間道路を走っているみたい。
どこか自分の田舎を思わせる風景に出会える。
愛車のおかげで、行動の幅がグンと広がった!

交通手段はペテペテ



大人の人の交通手段はバイク。
バイクで1時間半くらいの道は平気で行き来している。
まだ車は限られた人しか持っていない。
私の周りで言うと、学校外教育課の課長くらいか?
まだまだ日本のように、一般的に持てるものではない。

 隊員はバイク乗車禁止なので、私たちの移動手段はベチャかバス。
バスと言っても日本のようなのではなくて、
8人乗りのバンの車(乗り合いバス)
ペテペテと呼ばれている。
都会のMakassar(マカッサル)まで行く時には、この赤いペテペテを使用している。
乗車下車自由なので、好きなところから乗り、

降りたいところで声をかけると停車してくれる。
歩いているとプププッとクラクションを鳴らされ、乗らないか?と声をかけられる。
ぎゅうぎゅう詰めて10人くらいは乗る。
満員になると発車。
バスの中は陽気で、私のような日本人が一人座っていると、すぐに声をかけてくる。

 タカラールには、以前韓国人がいたようでまずは、韓国人か?と聞かれ、
日本人だと言うと、どこに住んでいるのか?もう結婚しているのか?
と必ず聞かれる。
 マカッサルからタカラール行きのペテペテに乗って初めて一人で帰ってきた時、

そのペテペテが突然途中停車し、20分ほど動かなかった。

車の故障というわけではなさそうだったのだが、乗車していた人たちが皆降りていったので、

不審に思っていると、なんと・・・!

みんながKue(クエー菓子)を買っていたのだ。
Kueのために途中停車なんて、日本ではありえない!!!
が、ここはインドネシア。
興味のなかった人までが、降りて一緒になって買ってきていた。
その菓子とは・・・
インドネシアの伝統的な菓子らしく、雰囲気は日本のおやきに近く道端の屋台で売っている。
ココナッツ味でとても甘い。
乗車員の一人から、旅の記念にこの菓子を食べなさいと、おすそ分けをもらった!
そんな感じで、結構車の中は楽しい。
でも、その反面、夜に1人で乗ったりするとどこかに連れていかれてしまうので、

用心するようにとお母さんや同僚から釘をさされている。
現地の人でも、夕方6時以降に到着するような場合は、1人で乗らないそうだ。
女の人からだけではなく、男の人にも何度も言われている。
よっぽど危険な目にあうのかもしれないので、十分気をつけよう。

2008年9月6日土曜日

今日も巡回


 記9月5日(金)
昨日に引き続き、今日もIbu-Ibuたちの勉強している所へ。
今日の地域(市)は、私の住んでいるところから最も近い所。
ここなら自転車で巡回できそうだ。
PUASAで、1箇所しか勉強しているところがなかったので、今日はそこだけ。
昨日と比べて学習場所(家)がきれいだった。
学習方法も、各自やっている感じで、
TUTOR(先生)が一人ずつ回って教えている。
昨日はにぎやかな中での授業ばかりを見てきたが、
今日はとても静かにやっていた。
学習教材も、場所によって全く違う。
TUTOR(先生)の腕次第と言うことらしい。
決められた時間で、効果を挙げる授業とは?
久々に授業のことを考えた。

初めての巡回



記9月4日(木)
ここでの私の活動の目的のひとつが、文盲の人に対するコーディネート。
ここタカラールでは、マカッサル語が通常の言葉(現地語)として使われている。
公の場ではインドネシア語が使われるのだが、普通の会話となるとインドネシア語とミックスして話される。
インドネシア語が公用語として使われるようになってからも、

学校教育を受けていない年代の人たちは、まだインドネシア語を使えない。
そういう人たちを対象として、教室が開かれている。
 

 今日行った所は家から車で20分くらいのところ。
村と言うほどの田舎ではない場所だったが、そこにもまだ多くの文盲の人がいるようだ。
家の一区画に集まり勉強をしている様子を見学。
5箇所まわったが、その場所により授業の雰囲気は全く違う。
主な学習者は30代以上の女性。
勉強をしていると、子どもたちがお母さん恋しさに寄ってきたりしながら、
一緒に勉強をしたりする。
どの人も楽しそうに勉強していた。
分かるって、おもしろいことなんだなとあらためて学ばされた。
もちろん、青空教室もあり。
今日は挨拶程度の関わりしかもてなかったが、これからぼちぼち行ってみるつもり。
BULAN PUASA(断食月)が明けたら、

IBU-IBU(イブイブー女性の集団をこう呼ぶ)がお昼をご馳走してくれるとの事。
楽しみだ!

PUASA(プアサ)明けにEs Buah


PUASA(プアサ)明け
イスラム教徒が、プアサ(断食)を終えるのは午後6時。
毎日この時間の少し前からラジオをつけ、カウントダウン?
ラジオの声でプアサが開けたことが分かると、一斉にES BUAH(フルーツ ポンチ)をいただく。
これで一日のプアサ終了。この後は、飲食解禁となる。
イブ(お母さん)はこのプアサ明けを告げるラジオの声と同時に、水をごくりと飲む。
このおいしそうなこと!
毎日みていても、感慨深いものがある。
写真はES BUAH
私はプアサはしていないのに、ES BUAHはいつも一緒にいただいている。
ゼリーや、ナタデココ、マンゴーやいろいろな果物、
それにシロップとスキムミルクがたっぷり入っていてとても甘い。
シロップの色が赤いので、混ぜると写真のような色になる。
でも、これを食べると幸せな気持ち。
お祝い事や、嬉しいときにいつも食べるからなのかも・・・
 

制服着用初日!

記9月2日(火)
国家公務員の制服を私も着ることに。
オーダーメイドなので、完成に約20日間かかった。
ちょっとテレながら、着てみた。

PLS(学校外教育課)の上司が制服を着てきた私を見て、
「ようこそPLSへ!一緒に働こう」
と言ってくれた。
制服を着たら、なんだか同僚として周りが扱ってくれるように感じた・・・
「これでインドネシア人だね!」
と言われて、ちょっと照れくさくて、思わず顔がほころんだ。

インターネットの使い方

    記8月20日
TAKALARでネットが使えると前のブログに書いたが、実際は使えず。
県に1つだけあるTELEKOMという電話や?で、デスクトップが3台だけあり、
そこでネットができるはずなのだが・・・
私の場合は、日本語のページを開きたいので、自分のノートPCを持参。
回線のみを使えばできるはずなのだが、
pinコードなどが分からない?らしくいまだに使えない。
結局週末ごとにマカッサルまで出て、こうしてWarnet(日本のネットカフェのような所)に来ている。
ここはワイヤレス回線も使用でき、漫画はないけど、ネットは十分にできる。
だから、ここにいる時間は唯一日本とつながっている時間。
メールチェックであっという間に時間が経ってしまうが、それも楽しい時間!
これを見ている皆さん、ぜひメールくださいね!

2008年9月2日火曜日

マカッサルの島 その①





     
                         
マカッサルの夕日                          ボートから見た島
記8月30日(土)
マカッサルから小型ボートで20分くらいのところにある島。
空も海もまっさおで、とてもきれいだった。
久しぶりにつりをした。
キャンプ以外でつりに行ったのは初めてかも・・・
釣具を準備し餌をつけるまでは、
キャンプで培った技術を十分に発揮し順調だったが・・・
残念ながらつれなかった・・・
日に焼けすぎて、背中が痛い!

2008年9月1日月曜日

嬉しい誕生日!



                 2008年9月1日
去年に引き続き、今年も海外で誕生日を迎えた。
去年は県の研修で、マレーシアに居たのだ。
この時一緒に参加した仲間たちが、夜にサプライズでお祝いしてくれた。
懐かしいもので、もう一年がたつ。
今思い出してもあの日は嬉しかったな。
今年は、同期の南スラウェシに住む隊員が土曜に祝ってくれた。
ケーキとカードを用意してくれていた。
今年もサプライズ!

今日は家で
タカラールの人には誰にも話していないはずだったのに、いつの間に知ったのか、
家の若い方のibu(子どもたちのお母さん)が家のみんなに話してくれていたみたい。
Puasa明けの夕食の時に子どもたちがお誕生日の歌を歌ってお祝いしてくれた。
和やかな時間を過ごし、いい一日をになった。

多くの人に祝ってもらえる私は幸せだ。

この一年、ここインドネシアでどんな自分に成長できるか楽しみ!
夢を叶えるために、一日一日を大事に過ごそうと思う。

明日からラマダン

        記 2008年8月31日
 イスラム教の行事で、Ramadhan(ラマダン)というのが明日から始まる。
明日から約1ヶ月、イスラム教徒はPuasa(断食)をする。
毎朝3:00に起き、一日の断食に備え朝食をとり、
それから5時の日の出と共に夜6時の日没まで、一切の飲食を断つ。
つまり食事は朝の3時と、夜の6時以降の2食。
妊婦と小さい子ども以外は全員が行う。
毎年このラマダンの1ヶ月間、こうやって過ごすそうだ。
この国ではイスラム教徒が約9割といい、ここスラウェシ島は敬虔な教徒が多いと言われている。
 
私の家の人たちも熱心なイスラム教徒なので、毎日5回のお祈りを欠かさず行っている。
その姿を見るにつけ、宗教心の薄い私は、いろいろと考えさせられるものがあるのだが・・・
そういうわけで、明日から生活スタイルが変わることになりそう。
この断食が健康に良いといいのでしなさいと勧められた隊員もいるようだが、私の周りの人は、日本人の私は断食をする必要はないとあらかじめ理解してくれているので、今のところしないつもりだ。
けれど家族や、同僚が全員しているので配慮は必要。
食事を自分の部屋でとったり、仕事場でも人の前で水を飲んだりしないよう、気をつけようと思っている。
今これを書いている中、(8月31日夜9時)爆竹が盛大に鳴っている。
明日からのラマダンを祝うかのように、子どもたちが夜の通りをにぎわせている。