2009年6月9日(火)
1500人程の中学生のキャンプに環境系の隊員を中心に参加。
参加者はインドネシア人だが、クリスチャンの学校ということで中華系が多い。
2泊3日のキャンプで、大賑わい。
中心となる大きな広場にさまざまなブースがあり、そこでいろいろなワークショップを体験するのが、主な昼間のプログラムだ。
昔の遊び・中国の切り絵を作ろう!・絵を描こう!・割り箸で模型作りなどなど。
イメージとしては、キャンプの仕事で何度も行った企業の納涼祭や運動会などでのワークショップや、
デパートのイベントでやった染め物講座とか、そういう感じの雰囲気。
参加者が自由に行き来しながら、やっていく。
その中のワークショップのコマの一つとして、環境について行ったのだ。
内容はゴミの分別について。
まだ子どもたちの生活でも一般化していない、ゴミの分別。
隊員がインドネシア語で説明をしていく。
3日間、炎天下の中行われたわけだが、
久しぶりのキャンプとウキウキしていた自分とはうらはら。
自分の反省点も多かった。
・まずは、体調を崩していたこと。
キャンプ場では、どんなときでも子どもたちの前では元気で居ること
が鉄則なのだが、
数日前からの体調不良と暑さに負けてしまい、全然動けず。
頭の回転も鈍り、子どもたちの動き・先読みができない・・・
こんなキャンプの基本が満足にできないなんて・・・とかなりへこむ。
・ 言葉が通じない?
子どもたちと接するのだから、言葉が通じなくても何とかなると思っていたのは大間違い。ジャカルタの子どもたちは体も成長も大人で、任地の子どもたちより大人びていた。
-これが都会の子か?
賑やかに楽しく・・・というより、静かに説明を聞く。
こんな生徒を任地で見たことがなかった!
任地の子どもたちはノリが良く、たわいのないことでもすぐに盛り上がる。
そんな中学生をイメージしていたのだが、
ここでは大違い。
この子達の気持ちを盛り上げ楽しい気持ちにさせるのは、本当に難しかった。
いつも少人数を相手に活動をしているので、
こんな風にクラス単位の子どもたちに説明をする機会がなく、
指示をする言葉や、環境用語など、全くインプットされていない。
その上、ジャカルタでずっと日本語を使っていた分、インドネシア語が出てこない。
言葉が出てこなくて、楽しい雰囲気も伝えられない。
その上、私の任地の言葉はかなりの方言。
日本でいえば、外国人が標準語ではないのをしゃべっている感じらしい。
つまり、かなり変?!
キャンプでは、雰囲気や間を大事にする。
だから、その雰囲気づくりをどう行うかで子どもたちとの関係作りがかわってくる。
短い時間での関わりだからこそ、インパクトと関係作りが大事。
何気ない話からも、関係作りはできる。
そう思っていたのに・・・
言葉の壁は大きかった。
任地での生活では、相手が私の話し方に慣れている分、
不完全でも不自由を感じずに過ごせた。
もちろん、うまく伝わらなくて歯がゆい思いをすることは日常茶飯事だが、
それでも誰か理解してあげようと思ってくれている人がいて、
その人を介して話ができていたのが、任地での生活。
ここでは、話がつながらない。広がらない。
いい経験にはなったが、残念な気持ちも大きい。
せっかく異国でのキャンプだと言うのに、
せっかくの日本の経験を生かすことができなかった。
せっかく楽しみにしていたキャンプ場での宿泊も、
体調不良だったので毎日通った。
もう二度とない体験かもしれなかったのに、
惜しいことをしたものだと、残念でならない。
とはいえ、インドネシアのキャンプ場に行けた事はおもしろかった。
任地の人も知っている、キャンプ場では有名な場所らしかったから。
帰ってからも、きっと任地で話のタネになるに違いない。
使っていたテントは旧式のものだったが、きちんとペグでとめていないので、
初日に強風と雨におそわれた時は、
テントが飛んでいってしまうような勢いだった。
私のキャンプ場では、絶対におろそかにしてはいけないと指導されているものだから、
こんな風に今にも飛びそうなテントに遭遇したことはなかったが、
怠るとこうなる!という見本のようなテントを間近に見て、
直しながらも一人で笑ってしまった。
子どもたちのテントだが、下にシートのようなものを敷かずに
直に荷物を置いていたようで、雨で地面が濡れるとテントにも浸水してきてしまい、
夜はびちょびちょで眠れなかったそう。
『テントで寝るのはイヤ!』
という声には、この状況ではもっともだと同感してしまった。
私のキャンプ場でのタブーがここではたくさんあり、
怠った結果まで、この目で見てしまった。
インドネシアの子どもたちが、キャンプ嫌いにならないといいけれど・・・
インドネシアでは、ボーイスカウトのような団体が多いようで、
キャンプは身近なもののようだ。
(任地ではあまり聞いたことはなかったが)
任地の村では毎日がキャンプ生活のようなものだから、
キャンプの目的や意図するところも、日本とは違ってくるだろう。
いい経験となった3日間だった。
参加者が自由に行き来しながら、やっていく。
その中のワークショップのコマの一つとして、環境について行ったのだ。
内容はゴミの分別について。
まだ子どもたちの生活でも一般化していない、ゴミの分別。
隊員がインドネシア語で説明をしていく。
3日間、炎天下の中行われたわけだが、
久しぶりのキャンプとウキウキしていた自分とはうらはら。
自分の反省点も多かった。
・まずは、体調を崩していたこと。
キャンプ場では、どんなときでも子どもたちの前では元気で居ること
が鉄則なのだが、
数日前からの体調不良と暑さに負けてしまい、全然動けず。
頭の回転も鈍り、子どもたちの動き・先読みができない・・・
こんなキャンプの基本が満足にできないなんて・・・とかなりへこむ。
・ 言葉が通じない?
子どもたちと接するのだから、言葉が通じなくても何とかなると思っていたのは大間違い。ジャカルタの子どもたちは体も成長も大人で、任地の子どもたちより大人びていた。
-これが都会の子か?
賑やかに楽しく・・・というより、静かに説明を聞く。
こんな生徒を任地で見たことがなかった!
任地の子どもたちはノリが良く、たわいのないことでもすぐに盛り上がる。
そんな中学生をイメージしていたのだが、
ここでは大違い。
この子達の気持ちを盛り上げ楽しい気持ちにさせるのは、本当に難しかった。
いつも少人数を相手に活動をしているので、
こんな風にクラス単位の子どもたちに説明をする機会がなく、
指示をする言葉や、環境用語など、全くインプットされていない。
その上、ジャカルタでずっと日本語を使っていた分、インドネシア語が出てこない。
言葉が出てこなくて、楽しい雰囲気も伝えられない。
その上、私の任地の言葉はかなりの方言。
日本でいえば、外国人が標準語ではないのをしゃべっている感じらしい。
つまり、かなり変?!
キャンプでは、雰囲気や間を大事にする。
だから、その雰囲気づくりをどう行うかで子どもたちとの関係作りがかわってくる。
短い時間での関わりだからこそ、インパクトと関係作りが大事。
何気ない話からも、関係作りはできる。
そう思っていたのに・・・
言葉の壁は大きかった。
任地での生活では、相手が私の話し方に慣れている分、
不完全でも不自由を感じずに過ごせた。
もちろん、うまく伝わらなくて歯がゆい思いをすることは日常茶飯事だが、
それでも誰か理解してあげようと思ってくれている人がいて、
その人を介して話ができていたのが、任地での生活。
ここでは、話がつながらない。広がらない。
いい経験にはなったが、残念な気持ちも大きい。
せっかく異国でのキャンプだと言うのに、
せっかくの日本の経験を生かすことができなかった。
せっかく楽しみにしていたキャンプ場での宿泊も、
体調不良だったので毎日通った。
もう二度とない体験かもしれなかったのに、
惜しいことをしたものだと、残念でならない。
とはいえ、インドネシアのキャンプ場に行けた事はおもしろかった。
任地の人も知っている、キャンプ場では有名な場所らしかったから。
帰ってからも、きっと任地で話のタネになるに違いない。
使っていたテントは旧式のものだったが、きちんとペグでとめていないので、
初日に強風と雨におそわれた時は、
テントが飛んでいってしまうような勢いだった。
私のキャンプ場では、絶対におろそかにしてはいけないと指導されているものだから、
こんな風に今にも飛びそうなテントに遭遇したことはなかったが、
怠るとこうなる!という見本のようなテントを間近に見て、
直しながらも一人で笑ってしまった。
子どもたちのテントだが、下にシートのようなものを敷かずに
直に荷物を置いていたようで、雨で地面が濡れるとテントにも浸水してきてしまい、
夜はびちょびちょで眠れなかったそう。
『テントで寝るのはイヤ!』
という声には、この状況ではもっともだと同感してしまった。
私のキャンプ場でのタブーがここではたくさんあり、
怠った結果まで、この目で見てしまった。
インドネシアの子どもたちが、キャンプ嫌いにならないといいけれど・・・
インドネシアでは、ボーイスカウトのような団体が多いようで、
キャンプは身近なもののようだ。
(任地ではあまり聞いたことはなかったが)
任地の村では毎日がキャンプ生活のようなものだから、
キャンプの目的や意図するところも、日本とは違ってくるだろう。
いい経験となった3日間だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿