2009年10月27日火曜日

村での説明会

2009年10月1日(木)


朝10時から、アクセサリー作りのグループ立ち上げの説明会を行う。
今までこのグループ作りに関しての話は個人個人にしていたので、
すでに数人が参加の意思表示をし、この説明会を待っていてくれた・・・
はずだった。
対象は、卒業後もこの村以外で仕事を探すつもりのない生徒たち。
家の仕事の合間に、内職としてできるというメリットがある。
昨日生徒の家を全部回り、説明会に来ないかと誘った。
その時の手ごたえでは興味を持ち来てくれる感じだったので、
準備にぬかりなく、期待も大きい。

 開始時間を1時間過ぎても、誰一人来ない。
まさかと思いながらも、待つ。
やっとUNI(ウニ)が来てくれた。
2人でみんなが来るまでと、アクセサリー作りをして待つが
残念ながら他のメンバーは来なかった。

一番熱心にアクセサリー作りをしてくれているKASMA(カスマ)は
パーティー準備にかりだされあらかじめ来られないことを伝えてくれていたが。
他のメンバーは一体どうしたのだろう・・・

期待していた分、落胆も大きい。
一人しか来ないと言う現実も、一人来てくれて、ありがたいと考えよう。
こんな風に一筋縄でいかないところに、
この国の現実があるのだから・・・

そうは分かっていつつも
自分のモチベーションがさがってしまったことを感じ、
この気持ちを少しもてあましている。

村の夜



2009年9月30日(水)

ここのところ、じっくり村に腰をおちつけて過ごすことがなかったのだが、
久しぶりに村で過ごす。
宿泊先は、イブミナの家。
娘が、生まれて6ヶ月と言う赤ちゃんを連れ、レバランで里帰りをしてきていたので、
にぎやか。
宿泊して大丈夫かと聞くと、もちろん!
と快くOKをもらい、いつも通り一緒に暮らす。
 昼間は生徒の家を家庭訪問。
 夕飯前は、孫の中学生のイロにネックレス作りを教える。

 これから晩御飯を食べようという時に、急に停電。
村の停電は長い。
早速ろうそくを灯し、長期の停電に備える。
その間中、アクセサリー作りを続けるわたしたち。
いつになったら電気がつくのかなァ・・・なんてのんびり話しながら、
気がつけばもう2時間は経っている。

 ろうそくの灯と、高床式の家が、どこかキャンプ場の教室を思わせる。
子どもたちとキャンプをしていたときは、
夜のキャンドルファイアーが楽しみだったものだ。
キャンドルに照らされた子どもたちの笑顔の素敵だったこと。
ろうそくに照らされたイロの顔を見ながら、
日本の子どもたちに思いを馳せる。
村の家が好きなのは、どこかキャンプ場に似ているから。
周りの風景も、家の様子もどことなくキャンプ場を思わせる。

そんな家での豊かな時間。
ゆっくりと夜が更けていく。
停電が手伝って、何もしない時間・・・

こういう時間の使い方が豊かだと感じるようになったのは、
この国で暮らしたおかげで気づいたことだ。

そんな時間をしみじみと味わっていると、
停電終了!

9時過ぎに、やっと夕食だ!

生徒の家訪問

2009年9月28日(月)

 卒業取得証明書のコピーを手渡すついでに、生徒の今の生活の様子を見たいと
1軒1軒訪問することにした。
ほとんどの生徒とは、試験後も村で会っていたのだが、
数人の生徒とは全く会わないまま2ヶ月が経過していた。
この機会に、家の人とも話ができればと思い、行くことにした。

 前にも少し書いたが、この証明書の威力は偉大のようだ。
卒業資格があるのとないのとでは、仕事を見つける際に大きく違ってくる。
お母さんは娘の証明書を近所の人に見せ、マカッサルで仕事を探すのよ!
と得意げに話している。
やっぱり、学校を卒業することは、お家の人にとっても嬉しいものなのだな。
と、分かった。
学校に行かせたくない親が居るわけではなく、行かせるための環境(お金など)が整わずに、通わせられなかったのだろうということが、はっきりと分かった。

証明書を持った彼らが、これからどんな道を進むのか?
また楽しみになった。

レバラン

2009年9月20日(日)

朝5時起床。
今年もお祈りに同行。
(昨年のブログにも書いたかもしれないけれど。また書きます)
5時半には家族中で、県で一番大きな広場に行く。
広場には、お祈りの服を着た人たちが、到着した順に席をとりすわっている。
雰囲気は、運動会にお父さんやお母さんが場所取りをしている感じ。

 6時半には一斉にお祈りが始まる。
今年も私は広場の隅でこの様子を眺める。
2度目のこの行事に、1年が経ったのだなァ・・・としみじみと感じたりして。

 眺めていると、子どもたちの声。
時たま寄らせてもらっている孤児院の子どもたちだ。
なぜなのかは分からなかったが、お祈りの列には加わらず、
私と同じように隅にかたまり眺めている。
どうしてお祈りをしないのか?
あの場所に並ばないのか?
聞こうかどうしようか悩んだが、聞かなかった。

 お祈りを終えると、そのまま親戚周り。
今年は午前中のうちに5軒、のちマカッサルの親戚の家にも行った。
各家庭にお邪魔し、あいさつをするとき、
私のイブは涙ながらに抱き合って喜びを伝え合っていた。
今日はそんな1年を喜び合う、貴重な一日だということを知った。

にぎやかなハレの日に、共に現地の人と過ごせることが、とても嬉しい。

2回目のレバラン。
来年は居ないのだねぇ・・・と口々に言われ、
自分の帰国も近いことをまた実感する一日だった。

プアサ終了!

2009年9月19日(土)

今日でプアサ(断食)終了。
マグリップ(夕方6時頃)のお祈りを済ませ、
終わったー!と喜び合いながら、夕食。
大きな事をやりとげたという達成感でいっぱいのようだ。

私のプアサは、ジャカルタに行く前までの2週間で終わってしまった。
2週間目にはホームスティ先の人たちがとても心配をしてやめなさい!と
口々にいわれていたので、帰ってきてから私が続けなかったことは
かえってよかったようだ。

 いよいよレバラン。
日本の正月のようなもので、遠方から親戚がやってくる。
部屋の掃除を済ませ、カーテンも取替え、
家の人は新しい服を買い、(レバランに新しい服を新調するようだ。)
靴を磨く。
 
 町全体が明日に向けてざわめいている。

生徒に再会

2009年9月18日(火)

生徒たちの卒業資格試験の証明書が発行され、私の事務所に受け取りに来るようになった。
村から出てくるのは、遠いうえに県の役所に!ということでかなり緊張するようだ。
村でしか会ったことのなかった私たちだから、
私の事務所での仕事振り(と言っても、仕事らしいことはしていないが・・・)
をみて、仕事してるー!とにぎやかになる。
お互いちょっぴり恥ずかしかったりして・・・

それを見ていた上司は『あなたの生徒たちだな!』
と、声をかけてくれた!

この証明書を持って、これからは仕事探しになるそうだ。
早くもマカッサルで職を見つけるとはりきっている生徒がいた。
ずっと村暮らしの彼らが都会で仕事をするなんて、
本当にできるのか少しだけ心配ではあるが、
こうして自分でつかんだチャンスを大事に生かして
自分の新たな人生を切り開いていって欲しいと願わずにはいられない。

2009年10月6日火曜日

嬉しい便りにホロリ


2009年9月15日(火)
 

1週間ぶりにタカラールへ。
帰るときはいつも新鮮な気持ちになる。

 家に帰ると、日本からの郵便物があった。
日本の元同僚(といっても、みなさん先輩だけど!)
からの封書だった。

 郵便は、嬉しい。
海を渡って、手元に届くまでたくさんの想いをのせてきて
くれるような気がする。

こうして多くの人に支えられていることを、
心強く感じている。

本当におわかれ

2009年9月15日(火)

総会の準備期間が終わり,ジャカルタから任地へ帰る。
先輩たちもあと1週間で日本へ帰るため、
ドミトリーに宿泊していたので、最後にあいさつ。

先日南スラウェシの送別会で別れた先輩たちと、ジャカルタで再会。
こうしてインドネシアで最後のお別れというのに、
まだ実感がない。

きっとまた、どこかで会えるから!
そう思いながら、笑顔でおわかれ。
その瞬間に、なぜか目にあついものが・・・
あわててぐっとこらえる。

別れはいつも苦手。

でもきっと、一度つながった手は、
どこに居てもはなれないはず。

本当に会いたい人とは、
必ずまたいつか会える。


先輩隊員のみなさま、本当にありがとうございました。
2年間の活動、お疲れ様でした。
無事に帰国となりますように!

雲の上から


2009年9月8日(火)
 
 総会準備で今日からジャカルタに上京。
インドネシアでは島から島への移動はほとんど飛行機なので、
ここで生活してからずい分と飛行機に乗るようになったものだ。

今日は天気が良く、窓の外には雲が・・・
雲の上の景色は、思わずカメラを持ちたくなる

どこまでもあおい。

また一つ齢を重ねた日

2009年9月1日(火)

また一つ齢を重ねた。
そういえばここ数年は、
誕生日を海外で迎えている。

いつも通りだけれど、
どこかいつも通りではない特別な一日。

ここを区切りに、
これからの1年を大事に過ごしたいと思う。

最近の活動 8月

   2009年8月27日(木)

 午前中は事務所勤務。
午後は村への訪問。
これが最近の毎日だ。
PAKET Cの授業は終了したが、村には定期的に通っている。
アクセサリー作りを、村の生徒と一緒に行っている。
毎日作っている彼女は、今は私より上手だ。
とにかく丁寧に、心を込めて作っている。
仕上がりがきれいだと買ってくれた人に褒められるので、
それを伝えるととても喜んでいた。

プアサ(断食)中はおなかがすいてしまうので、
気を紛らわすためにも作るのが楽しいと言っている。
 去年はプアサ中に村に行くと気を遣って飲み物やお菓子などを出してくれていたが、
今年は私もプアサなので、周りに気を遣わせないですんでいる。(と思う)

一緒におなかすいたねー!といいながら、
アクセサリー作り。
プアサ明けまであと少し。
そういいながら、別れ、家に帰るペテペテに乗りこんでいる。

写真は生徒たちの作っている作品
品質保持と販路確保に向けて、考えることは山ほどあるが、
何より村の生徒の家で過ごす時間が、私にやりがいを与えてくれている。

私の活動は、たくさんの人に影響を与えることはできないかもしれないが、
わずか数人とでも深く関われることができれば、それでいいのかもしれないと、
最近思うようになった。
 キャンプ場や学校で一人ひとりの子どもと関わってきたように、
ここでも一人ひとりとの関係を大事に築いていきたい。

プアサ(断食)開始!

   2009年8月24日(月)

 タカラール県では、約98%がイスラム教徒といわれている。
赴任して2回目のプアサーPuasa―(断食)月の始まり。
22日から始まり、今日は3日目。
マカッサルから昨日帰ってきた私も、遅ればせながらプアサ体験。
早朝3時にサフールーSahur―(日が昇る前の食事)をとり、
夕方6時のお祈りまで、一切飲食しないというもの。

 去年は赴任したばかりだったので、プアサの意味も分からず
やってみようという気は全く起きなかったが、
1年ここに暮らすと、自然と現地の生活が身についたからか、やってみようという気になった。
 通常はサフール後、お祈りをしてまた寝るのだが、私はそのまま活動開始。

何日できるかは分からないが、無理をせずにやってみるつもり。
小学校1年生から初めてプアサをはじめるようで、
小学校低学年は昼の12時までプアサを行う。
(試行期間というところか?)

今日は、初日の気合で夕方6時までやってみたが、
12時までのプアサでOKと自分にも許容範囲をもたせ、
まずは1週間続けてみるつもりだ。

プアサ明けに、イブがおいしそうに水を飲む。
去年はその様子を眺めていただけだったが、
今年は共に同じ気持ちを味わうことができた。
なんだか、そんな自分が嬉しい。

プアサ明けに、家族で食べるエスブア(フルーツポンチ)の味は格別で、
やったー!という感じ。

その後は、夜中まで昼間の分まで食べる。
ずっと食べどうしになる。
だから、ダイエットにはならないもよう・・・

生まれたてのあかちゃん


2009年8月20日(木)

 村でいつもお世話になっているイブミナに2人目の孫ができた。
生まれたばかりの小さな赤ちゃんを抱いて、うれしそう。
孫が来るので、必ず来るように!と言われ
家に寄ったのだった。

 イブミナは現在、中学生の孫と2人暮らし。
娘はマカッサルで働いていて、帰って来ない。
だから、孫の面倒を見ながら一緒に暮らしている。
こんな風に、親と離れて暮らす子も、ここではめずらしくない。

 新しい孫に、ほおが緩む。
こんなに嬉しそうな顔を見たのはひさしぶりだ。
中学生の孫も、赤ちゃんを抱いて嬉しそう。

 新しい命の誕生は
まわりを幸せにさせる。

送別会で感じたこと

   2009年8月21日(金)

先輩隊員の帰国が近づいてきた。
今日は南スラウェシでの送別会。
今まではあまり先輩隊員の帰国もピンと来なかったが、
今回はすごく胸にぐっとくるものがあった。

ほぼ1年南スラウェシで一緒に活動していたこともあり、
先輩隊員一人ひとりとの思い出も深く、
それまであまり考えることのなかった自分の帰国の日までもが
重なった。

 先輩隊員の活動の軌跡を、自分の活動の今に重ねる。
それぞれが苦労しながら、開拓していった道筋が伝わってくる。
私が帰国するとき、何を思って帰るのだろうか?

2年間という、期限のある活動。
必ず帰らなければならない。

それまでに自分のできることをどれだけやれるか?
常にそれを感じながら日々過ごしていくことが大切なんだと
強く強く思う。