2009年6月26日金曜日

任地生活に戻りました!

    2009年6月11日(木)
 約10日ぶりに任地へ戻る。
やっと、帰って来た!
今回ほど、早く任地に戻りたいと思ったことはない。
マカッサルの空港(ハサヌディン空港)について、ほっとする。
空港からタクシーに乗って運転手のおじちゃんと話をするにつけ、
帰ってきたー!という実感が湧いてくる。

やっぱり、任地はいい!!
今回は結構長く任地を空けていたので、
帰ってくると家の人たちが大歓迎してくれた。
イブに抱きしめられて
『やっと帰ってきたね!』
と言われると、
わたしもほっとした気持ちになった。

久々の我が家はとってもにぎやか。
子どもたちは遊んでとまとわりつき、
家の人たちからはジャカルタ生活がどうだったのかと質問ぜめにあう。
ジャカルタでの生活を報告するかたわら、
こうやって話を聞いてもらえるありがたさを感じた。

いろいろと重なり、ちょっと疲れ気味のジャカルタ生活だったが、
またいつものペースをとりもどせそうだ。
もうすぐインドネシアに来て1年が経つ。
この暮らしが私にとってすっかり日常となっている。

ジャカルタにあるキャンプ場





     2009年6月9日(火)
 1500人程の中学生のキャンプに環境系の隊員を中心に参加。
参加者はインドネシア人だが、クリスチャンの学校ということで中華系が多い。
2泊3日のキャンプで、大賑わい。

中心となる大きな広場にさまざまなブースがあり、そこでいろいろなワークショップを体験するのが、主な昼間のプログラムだ。
昔の遊び・中国の切り絵を作ろう!・絵を描こう!・割り箸で模型作りなどなど。
イメージとしては、キャンプの仕事で何度も行った企業の納涼祭や運動会などでのワークショップや、



デパートのイベントでやった染め物講座とか、そういう感じの雰囲気。
参加者が自由に行き来しながら、やっていく。
その中のワークショップのコマの一つとして、環境について行ったのだ。

内容はゴミの分別について。
まだ子どもたちの生活でも一般化していない、ゴミの分別。
隊員がインドネシア語で説明をしていく。
3日間、炎天下の中行われたわけだが、
久しぶりのキャンプとウキウキしていた自分とはうらはら。
自分の反省点も多かった。

・まずは、体調を崩していたこと。
キャンプ場では、どんなときでも子どもたちの前では元気で居ること
が鉄則なのだが、
数日前からの体調不良と暑さに負けてしまい、全然動けず。
頭の回転も鈍り、子どもたちの動き・先読みができない・・・
こんなキャンプの基本が満足にできないなんて・・・とかなりへこむ。

・ 言葉が通じない?
子どもたちと接するのだから、言葉が通じなくても何とかなると思っていたのは大間違い。ジャカルタの子どもたちは体も成長も大人で、任地の子どもたちより大人びていた。
-これが都会の子か?
賑やかに楽しく・・・というより、静かに説明を聞く。
こんな生徒を任地で見たことがなかった!
任地の子どもたちはノリが良く、たわいのないことでもすぐに盛り上がる。
そんな中学生をイメージしていたのだが、
ここでは大違い。
この子達の気持ちを盛り上げ楽しい気持ちにさせるのは、本当に難しかった。
いつも少人数を相手に活動をしているので、
こんな風にクラス単位の子どもたちに説明をする機会がなく、
指示をする言葉や、環境用語など、全くインプットされていない。
その上、ジャカルタでずっと日本語を使っていた分、インドネシア語が出てこない。
言葉が出てこなくて、楽しい雰囲気も伝えられない。
その上、私の任地の言葉はかなりの方言。
日本でいえば、外国人が標準語ではないのをしゃべっている感じらしい。
つまり、かなり変?!

キャンプでは、雰囲気や間を大事にする。
だから、その雰囲気づくりをどう行うかで子どもたちとの関係作りがかわってくる。
短い時間での関わりだからこそ、インパクトと関係作りが大事。
何気ない話からも、関係作りはできる。
そう思っていたのに・・・

言葉の壁は大きかった。
任地での生活では、相手が私の話し方に慣れている分、
不完全でも不自由を感じずに過ごせた。
もちろん、うまく伝わらなくて歯がゆい思いをすることは日常茶飯事だが、
それでも誰か理解してあげようと思ってくれている人がいて、
その人を介して話ができていたのが、任地での生活。
 ここでは、話がつながらない。広がらない。

いい経験にはなったが、残念な気持ちも大きい。
せっかく異国でのキャンプだと言うのに、
せっかくの日本の経験を生かすことができなかった。

せっかく楽しみにしていたキャンプ場での宿泊も、
体調不良だったので毎日通った。
もう二度とない体験かもしれなかったのに、
惜しいことをしたものだと、残念でならない。

とはいえ、インドネシアのキャンプ場に行けた事はおもしろかった。
任地の人も知っている、キャンプ場では有名な場所らしかったから。
帰ってからも、きっと任地で話のタネになるに違いない。

使っていたテントは旧式のものだったが、きちんとペグでとめていないので、
初日に強風と雨におそわれた時は、
テントが飛んでいってしまうような勢いだった。
私のキャンプ場では、絶対におろそかにしてはいけないと指導されているものだから、
こんな風に今にも飛びそうなテントに遭遇したことはなかったが、
怠るとこうなる!という見本のようなテントを間近に見て、
直しながらも一人で笑ってしまった。
子どもたちのテントだが、下にシートのようなものを敷かずに
直に荷物を置いていたようで、雨で地面が濡れるとテントにも浸水してきてしまい、
夜はびちょびちょで眠れなかったそう。
『テントで寝るのはイヤ!』
という声には、この状況ではもっともだと同感してしまった。
私のキャンプ場でのタブーがここではたくさんあり、
怠った結果まで、この目で見てしまった。

インドネシアの子どもたちが、キャンプ嫌いにならないといいけれど・・・
インドネシアでは、ボーイスカウトのような団体が多いようで、
キャンプは身近なもののようだ。
(任地ではあまり聞いたことはなかったが)
任地の村では毎日がキャンプ生活のようなものだから、
キャンプの目的や意図するところも、日本とは違ってくるだろう。

 いい経験となった3日間だった。

ゴミ最終処分場



     2009年6月2日(火)
 ジャカルタにある、ゴミ最終処分場見学。
インドネシアのゴミ問題は深刻化していて、JICAでも環境隊員の派遣を増やしている。
この処分場も、あと数年で満杯になってしまうとか。
1日6000Tのゴミが、ジャカルタ近辺から運ばれて来るそうだ。

日本のことも詳しく知らないので、内容はさておき
このゴミの山に登ってみた。
このゴミの山の四方八方に同じようにゴミの山がある。
見渡す限り、ゴミ・ゴミ・ゴミ。
処分場というのは、こんなものなのかもしれないが
日本で見たことのなかった分、衝撃は大きかった・・・

 このゴミの山の周りには、ぼろぼろの服をまとった人たちが、
ゴミの中から再利用できそうなものをあさっている。
その多くはプラスチックやビニール袋で、
リヤカーいっぱいに荷物を積み運んでいる。
日本に居たころテレビで、
海外のゴミの山に住む人たちーなんていうのがやっていたのを
みたことがあったけれど、
本当にこうして生活が成り立つ人がいるのだ。

と、通りがかりに働く人たちを見て感じた。


もちろん毎日この人たちの生活をみているわけではないので、
日々の暮らしをどうしているのかは分からないが・・・
 
この処分場があるだけ、ましなほうだ。
マカッサルにもこのような処分場があるとの話だが。
大体任地では、ゴミを回収するシステムさえないのだから、
ゴミが村に放置されていたり、川に投げ捨てられていたりという現状が
改善される日はいつやってくるのか・・・
まだまだはるか遠い日の話なのかも・・・

とはいえ、これもまたせっかく知った現実なので、
何らかの形で勤務先の同僚に伝えていこうと思っている。
(きっと『知っているし、分かっている』というのは目に見えているが・・・)


それでも伝え続けていくことで、何か心動かせるものがあるかもしれない・・・
と、思う。
それを頼りに活動していこう!

リサイクル工房






       2009年6月1日(月)
 環境隊員たちとともに、ジャカルタにある工房へ。
ここでは、バックや財布、手帳ケース、かさなどを作っている。
その材料と言うのが、服や手洗い用の洗剤、お菓子の袋などだ。
日本でいう、詰め替え用の液体の入っている袋。
使用済みのものを集め、リサイクル品としていろいろな小物が出来上がっている。
日本でもこのようなリサイクル品が販売されているのを見たことはあったが、
こうしてこの国で使用されているビニールが
製品化されているのは妙にリアルであり、
こういった商売が実際この国で行われていることも、意外だった。

 まだ、リサイクル化が一般化されていないこの国では、
先駆的な活動になるのだろう。
この工房を始めて数年との話。
工房には数人の職人が居たが、この人たちも安定して給料が支払われ
毎日働く場所が提供されているのも、うらやましい限りだ。
とはいえ、ジャワではこのような会社形態はすでに一般的なのかもしれない。

 任地ではこんな風に雇用形態の整った?生活ができる人たちは
ほとんど居ないので、すごく驚くことばかりだったが・・・
それくらい、インドネシア国内でも経済格差があるということだ。
まだまだ私の任地では、仕事のない人で溢れている。

 月給制で当たり前のように暮らしてきた日本の生活からは
想像できなかったことだが、だからこそ今は、毎月一定収入を得ることができる
日本って、先進国なのだなぁ・・・と感じてしまう。
日本人にとっては当たり前のことだが、
ここに居ると、日本がいかに進んでいるか?ということを
感じずにはいられない。

隊員総会




      2009年5月31日(土)
 総会のため、再びジャカルタへ。
赴任したばかりのときは、都会へ行けること・同期や他隊員に会えることが
楽しみだったが、任地での活動も動き始めているせいか、
今は任地を離れるのが惜しい気がしている。
そんな、後ろ髪を引かれながらこれから約10日間ここで過ごす。
ゆっくりのんびりしたいところだが、
今回はそうはいかないようだ。

タカラールにある島ータナケケ島へ







     2009年5月29日(金)
 ずっと気になっていた島。
私が今通っている郡にある島だが、
郡にある船着場から約1時間かかる所で、
教育局の人たちもほとんど行ったことがないという僻地。
何度か「行ってみたい!」と上司や同僚に話してみたが、
「高波で危ないから!」「本土の人はほとんど行かないから」
という理由で、今まで行かせてもらえなかった。

 今回、JICAの別のプログラムで視察に行くことになり、
一緒に参加することができた!
通いなれた村の、船着場から出発。
村人には、「気をつけなさい!」「本当に怖くないのか?」
など、さんざん注意&引き止められつつ、舟に乗る。
日本でいう小型ボートか?
海釣りでよく乗ったものと同じタイプ。
5人も乗れば満杯になってしまうようなボートだが、
現地の人はこの舟に10人以上乗るらしい・・・

 島は思ったより大きく、2つの村に分かれていて、
別の村に行くには陸路ではなく舟を使うらしい。
今回主に4箇所を移動したが、すべてボートでの移動だった。
初めに行ったのが、村の識字教室。
この村では、県の支援がまだないためNGOが支援しているとの事。
そのNGOを支援しているのがJICAということになる。
だから、このNGOの活動内容を視察するのが今回の目的。

タカラール県では、非識字率(文字を読んだり書いたりできない人)は
20%~30%といわれており、2010年までにこれを0%に
近づけるよう、配属先は取り組んでいる。
本土では、私が赴任してきたときよりすでに驚異的なスピード?で
既学習者を増やしているのだが、
授業内容他をみると建前の部分が多く、
実際に村人がどれだけ学べるようになったのか?
という点においては疑問が多い。

 この村に行って驚いたことは、
ここでの非識字率は70%ということ。
この村で、学のある人がこのままでは・・・
ということで、NGOの協力の下識字教室を開いたという。
 はしくれとはいえ県の担当者?としてその場に居た私は、
こういう状況を知らずにいる自分や同僚に対して、腹が立った。
(知っているのかもしれないが、ほおっておいている状況?)
島に行かないのだから情報は何もなく、
だから改善されることもなく、村人が置き去りにされている。
島の生活者にとって、
本土に渡ることがなく一生を終える人も多いということだけれど、
だからと言って読み書きができないまま
一生を終えていいということではない。
 この事をきちんと伝えなければ!!と強く思う。
上司がどんな判断を下すのかは分からないけれど、
知った以上は責任がある。
うまくいえないけれど、この現実を通して
「生まれてきた環境の違い」の差の大きさを感じている。
 この1年県内をぐるぐる回っていた私は、
大まかな県内の状況や郡の状況の把握につとめていたのではあったが、
配属先や郡の担当者に連れられる私の行動範囲はすごく限られていて、
まだまだ私の見ているところは表面にしかすぎないのだと、
自分の力ではどうにもできない現実に直面した感じだ。
でも、知ったからには何とかしたい!
何かできるだろうか?
すごく考えてしまった・・・・

 ところでこのNGO(インドネシア)は多方面の取り組みを行っており、
水のタンクの取り付けや、島の収入源である海草の援助、
保健所に対しての指導や、手の洗い方講座などなど。
10種類以上あるプログラムがどう行われたのかを
村人に直接話を聞いたり、実物を見たりした。

プログラムの内容はさておき、分かったことはたくさんあった。
島では海水以外の水を確保することが難しく、
このタンクがあることで、水を売るという商売が成り立つ。
このタンクのある集落の人には無料で使用させ、
他の村の人たちからは少しだけ(日本円で1L3円位)お金を取るそうだ。
これで、このタンクの維持管理費をまかない、生活に役立てるとの事。
 この村にこのタンクがあることは、とてもありがたいとの話。
 
 県の手が届かない所は多く、こうした支援も入るのだが
知ってしまったからには私も何かできることをしたい。
帰ったらまずは同僚にこの現状を話してみよう・・・
自分の目で見たことをきちんと伝える以外に、今はまだ方法が浮かばない・・・

絵を描くという仕事



    2009年5月25日(月)
写真は毎日通っている村にある学校。
この学校は、障害を持った子のための学校だ。
午前中はこの学校の生徒が授業。
午後はPKBMの生徒たちがこの教室を借りている。
私は3月からほぼ毎日ここに通っている。
午前中からここに来られるときは、
PKBMに併設されている幼稚園の生徒と遊んだり、
この学校の生徒と遊んだり。
午後からは、PKBMの生徒たちと授業を行っている。

今日学校に行くと、
この校舎の壁面に絵を描く仕事をしている人がいた。
淡々と絵を描いている。壁面いっぱいがキャンバスで、
見事な筆さばきだ。
聞くと、このあたりの学校中の壁に絵を描いているそう。
給料もいいらしい。
やはり、手に職を持っている人は強い。
この現地生活では、手に職のある人はしっかり働いている。

《手に職を持つ》ことは、訓練学校・専門学校もろくにない
この地では、なかなか難しいことだが、


こうして収入をきちんと得ている人もいる。