2008年9月23日火曜日

ACARA BUKA PUASA

前にも書いたが、プアサ明けのパーティーは毎日のようにいろいろな場所で行われるようだ。
正確にはPESTAとは言わずに、ACARA(集会)というらしい。
ACARA BUKA PUASAが正しいと、家族から指摘。
今までPESTA(パーティー)と書いていたが、ACARA(集会)だそうだ。

今日は、市の教育局主催での催しがあった。
ただし規模が違う。
何百人という人が集まり、プアサ明けを祝う。
のち、食事会。
その後は、あらかじめ用意されていたステージを使用して、この市の小中生が歌ったり踊ったりとにぎやか。
かわいい衣装をまとった子どもたちが、学校ごとに出し物をする。
コンテストだと言っていたが、とても大掛かりで愉快な会だった。
 1日の断食はきついけど、その分夜はおいしいものを食べ、にぎやかに祝うようだ。

2008年9月18日木曜日

巡回その⑤


巡回その⑤
    記9月17日
今日の巡回先は、漁村。
4つの村からなる市だ。
えびの養殖場がたくさんある。
ここでの主な職業は、養殖場の管理と、農業だ。
事務所からの出発が遅れてしまった為、到着する頃には勉強の終わっていた所もしばしば。
私が来るのをわざわざ待っていてくれたところもあり、恐縮してしまった。
学習施設は、さまざま。
誰かの家の1階(高床式なので、一階はただの空間)を使用したり、幼稚園や小学校の教室を利用したりしている。
本当は夕方3時からの授業が一般的だとか。
今はプアサ中なので、午前中に授業を済ませてしまうらしい。
ここでは、Tutor(ノンフォーマルの学校の先生の呼び名)が2人で、チームティーチングのような感じで授業をすすめている所がいくつかあり、便利だからこうしたのだという話を聞いて、なるほど!と思った。
システムにはなっていなくても、Tutorがより工夫してやってみようと考えたのだから、画期的だ。
Tutorは沢山いるが、正式な学校(小・中・高校)のGuru(小中高の先生の呼び名)と比べると、給料が断然安い。正式な学校の先生の1ヶ月分にも満たない給料が、Tutorの3か月分の給料と聞いて驚いた。
Tutorの中には、午前中Guruとして、午後はTutorとして両方で働いている人も多いようだ。
確かにTutorだけの給料で暮らしていくには、かなり厳しい。
でも多くの人が、Tutorだけの給料で暮らしているらしい。
暮らし方にもだいぶ差があるようだ。
写真は村の一般的な家。
高床式の家の一階で授業をおこなっている。

インドネシアのお菓子PANADA


プアサ中だが、午後からお菓子作りが始まる。
プアサ明けに食べるためだ。
夕方自転車に乗って、家のR君と一緒に親戚の家に行くと、ちょうどお菓子を作っていた。
Panada(パナダ)という名前だ。
カレーパンのようだが、中身はまだ若いパパイヤとたまねぎ、生唐辛子をそれぞれ細かく切ったもの。
これをパン生地のようなものに包み、揚げる。
味はパパイヤがさくさくしていて、ちょっと辛いけどおいしい!
もちろん私もお手伝い。
生地を伸ばして、包む。
全部で100個くらい作った。
近所におすそ分けを持っていくとお返しがきて、たちまち数種類のお菓子が集まった。
どの家もいろいろなお菓子を作っている。
このお菓子は、プアサ明けのお祈りをモスクでするため、そこに持参する用らしい。
日本に帰るまでに、インドネシアの菓子作りをマスターしたい!
レシピは作成者の頭の中にあるようなので、できるだけ手伝って覚えるつもり!

巡回 その④


記9月16日
先週は担当者の都合で1つの市しか回れなかったので、今週はきちんと回りたいと思い同僚に相談。
同僚がすぐに対応してくれ、担当者に連絡を取ってくれた。ラッキー!
という訳で、今日は巡回に。
通常は、初めての巡回ということで迎えの車が用意されているが、今日のMPS市では車は用意できなかったということで、ペテペテに乗ってMPS市まで。
実際の巡回は、こうやってペテペテを使って一人で行くことになるので、この方が実践的でいい。
その上、担当者が気の合いそうな人だったので、二人でまわるのは楽しかった!
ペテペテを降りると、そのままベチャに乗って、市内に入る。
ベチャは風を切ってはしるのでとても、心地よい。
田舎道をどこまでもまっすぐに走っていく。
 この市は、とても貧しいのですと説明される。
確かにまわりは川と田んぼと田舎道のみ。車の通りもあまりなく、簡素な感じ。

写真は、幼稚園。
この施設は、午前中は幼稚園。
夕方からはPKBMと、2通りの役割を持つ。
だから掲示物も、幼児用の飾りと、PKBM用のものと2通りが並んでいる。
今日は午前中のみの訪問だったので、幼児としか会えなかったが。
PKBMの内容は、中学校を途中でやめてしまった人のための学校だ。
通常の中学校の授業を学ぶ。
このPKBMで卒業できれば、中学校卒業の資格をもらえる。
インドネシアでは、中退の多くは貧しさのため、両親の手伝いをするため学校を続けられないという子どもがほとんど。
通常の学校に通っている子の多くは裕福な家庭に育っている。
だから、こうやってノンフォーマルの学校として、PKBMがある。
このPKBMに入学するためにも試験を受けなくてはいけなくて、私の勤務先の学校外教育課(PLS)には、入試希望者や、合格者が手続きに来る。
多くの子どもたちが、学校を途中でやめざる終えない状況が、この島にはある。
だからこそ、私のような者が派遣されているわけだが、その責任は重いなぁ・・・と子どもたちに会うたびに感じている。
 田舎の風に吹かれながら、ふと考えた。
当たり前のことを当たり前にできる日本は、やっぱり幸せな国だ。

PESTA BUKA PUASA②



記9月14日
海から帰ってきてから、イブの実家へ。
今日はそこでペスタだ。
マカッサルからの帰りが少し遅れてしまったので、同居の女の子(小姑)と2人で。
今住んでいる家から5Kmくらい離れた所にある。
ここまで行けるペテペテは少ないため、乗るまでに15分以上道端で待ち、やっと乗車。
ブカプアサ(断食明け)に間に合うかとドキドキしながら二人で向かう。
イブの実家のペスタは先週行った我が家でのペスタよりさらにグレードアップ。
参加者200人くらいいたのだろうか?
あまりの人の多さにびっくりした。
家の中だけでは納まりきれず、ペスタ用のいすが庭に100脚並ぶ。
料理を作る人、運ぶ人、片付ける人と分かれていて、台所はすごいスピードで作られ、片付けられていた。
この日のためにニワトリを20羽さばいたらしく、料理の種類も、量もかなりのもの。
きっとこの家はお金持ちなんだろうな・・・と言う感じ。
写真はプアサ明けの瞬間。
家に入りきらない人たちが外に座っている。
この後は、みんなでお祈りをして、食事。
毎日のようにこのペスタは街のどこかでおこなわれているようだ。

マカッサルの島その①再び


記9月14日
翌日は、朝からサマロナ島へ再び。
日本人会の行事に参加させてもらった。
サマロナ島再びと書いたのは、前回の島と同じ所だから。
あの時はまだ島の名前さえも覚えられずに、行っていた。
今回はシュノーケル中心に遊ぶ。
遠浅の海で、結構遠くまで行っても足が届く感じ。
川や海でおぼれそこなっているので、日本ではあまり遠くまで行ったりしなかったが。
海がきれいで、シュノーケルでも十分海の中を見渡せる。
沢山の魚やうに、サンゴなどがみられた!
この島はとてもきれいだ。
シュノーケリングにはまりそう・・・!
 写真は昼食のエビ。
島に来てから、エビ嫌いの私もエビが食べられるようになった!

3ヶ月ぶりの日本食!



記9月13日
 マカッサルに住むJICA専門家の方の家にお邪魔することに。
同期隊員4人で宿泊させてもらった。
 専門家の方はとても穏やかで、優しそうな人。
お手伝いさんはインドネシア人だが、ずっと日本人の家で働いているそうで日本料理がとても上手!
この日のメニューは、ちらし寿司・とんかつ!・ポテトサラダ・きんぴらごぼう・キムチ・炒め物・味噌汁などなど。
どれもおいしくて、かなり食べてしまった。
ホストファミリーが見たら、びっくりするだろうと言うくらい!
ずっと親しんできた味と言うのは、簡単には忘れられないものだ。
親しみとともに、懐かしさも感じた。
こういう感覚は、今までにない新しいものだ。
今まで日本を離れると言っても、1ヶ月くらいしかなかったから日本食が恋しいという気持ちはあまり感じなかったけど。
やっぱり生まれ育ってきた味というものは、大事なものだ。
日本の味は、最高!