2009年7月2日木曜日

生徒の一生

     2009年6月22日(月)
明日がノンフォーマルの生徒対象の試験。
教育局で仕事をしていると、一人の先生がやってきた。
フォーマルの学校の先生で、受験に落ちた生徒の受験願いを持参してきたのだ。

試験前日に持ってきても、間に合うはずがない。
配属先では先週の金曜には締め切り、同僚は金曜の午後に州の教育局に持参。
州の教育局で受験票が作られ、今日配布されているという次第。
いまさら何でもってきているのだろう・・・というのが最初の感想。
 小さい学校のようで、再受験の生徒は2人。
この課から学校への通達があったのが木曜の午後で、
すぐに生徒に準備をさせたが、校長が学校に居なくてサインがもらえずとかなんとか・・・
結局金曜には用意できなかったとのこと。
教育局の同僚は、『もう間に合わない。おそすぎた』
と一言。
生徒は明日の受験資格を失った。
この生徒がもし、進学が決定している者だとしたら、
今回受験できないことで、自動的に進学は断たれてしまう。
次の試験は11月。
それまでこの2人の生徒は進学も、仕事もできないのだ。
今回のことは、受験に向けてのシステムの問題であり、
何事もギリギリに行うこの国の慣習が災いしていると思う。
例えば、明日の朝ある会議の通達が、前日の夕方にまわっていきたりする。
だから、その分『急で準備できなかった・参加できなかった』という
言い分が認められてしまう。
常々この体制には日本人として疑問を感じてはいたが、
今回のことは、生徒の将来もかかっているのでは・・・と思うと気が気ではなかった。
同僚に話してもらちがあかないので、上司に話すように促したのだが、
結局先生は全く関係ない同僚(この課の者ではないのになんとなく居る人)に
切実に訴えていたりして、どうにもならない。
最後には、次回の試験を受けさせますといって、帰ってしまった。
何とも後味の悪い思いである。

 日本では、受験に対してかなり教員も親も生徒も敏感に対応する。
教師のミスで受験ができないなどということは、決してあってはならないこと。
どんな思いで教員が生徒に説明をするのかと、
同情の思いでいたが、ここでは生徒の一生を左右すると言うほどの
大きな問題としては捉えられていないようだ。

 教育局内で、この話をいくらしても
『締め切りは過ぎたから・・・』
と一言で済ます同僚。
合格発表から今まで資料の準備をする時間はあったはずなのに
先に準備をしておかなかった学校の先生。
願書締切日の前日に各学校へ願書受付の通達を出す教育局の体制。(私の課の仕事)
どれも、ちょっと気を回せば回避できそうなものなのに、
そういう点に配慮しないのが、この県の発展を遅らせているのだー!
と、悔しいやら情けないやら。

 勤務先では誰も相手にしてくれないので、
家に帰ってイブに今日の出来事を話した。
知識人であるイブは、
『誰も責任を持とうとしないのね。
本当はそれぞれが責任を持って働くべきなのに・・・』
と言っていた。
そうなのそうなの!とは思うものの、
実行に移すことのなんと難しいことか。
目先の面倒くささに煩わされ、面倒だからと適当に仕事を片付ける人たち。

日本人として、それはちょっと・・・!
と思う場面にでくわすたびに、
任地の人になんと説明をしたら分かってもらえるのか?
と悩みつつ、伝わらない言語を駆使して説明をするのだった。
この生徒の将来は、どうなってしまうのだろうか・・・

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