2010年4月27日火曜日

犠牲祭(IDUL  ADUHA)



2009年11月27日(金)
 
 今年も犠牲祭を任地で過ごす。
犠牲祭の様子は昨年のブログに掲載したので、
詳細についてはそちらを。

 今年は朝のお祈りの時間に寝坊してしまい、
あとから一人で広場へ向かう。
たいていの人はもう向かっているので、
写真のように県道の一番大きな道にも
車一台通っていない。
1年で断食明けとこの日の朝だけは、
街が静けさでいっぱいになっている。

写真は上から
朝の県の大通りはこんなに静か
犠牲祭のいけにえとなる牛

タナケケ島の様子




2009年11月17日(火)~19日(木)

村から村への移動中
橋がないーーーー!
途中で橋がなくなってしまった。
急きょ文明の利器携帯電話で村の人に
連絡を取り、舟でむかえにきてもらう。

 写真のような夕暮れの中を、
村に1本しかないまっすぐの道を2時間くらいかけて歩き、
目的地までたどり着いたのだった。


写真は上から
橋の壊れているところ
船着場から村への入り口
集落から集落へとまっすぐ続く道

タナケケ島再び




2009年11月17日(火)~19日(木)

2度目の島への訪問。
今回はこの島にある2つの村へ。
村といっても、この村の間は舟で移動しなければならないほど。
JICAの事業のモニタリングに同行しながら、
この村のノンフォーマルスクールの実態を
知ることが今回の仕事だった。

 この島では現地のNGOが活動しており、
そのプロジェクト資金をJICAが支援しているという。
書類上で行われていることになっている事業が、
きちんと現場で行われているかどうかをチェックしに来たのだった。
 現場の人たちの声をまっすぐに聞けるのが、私たちの仕事。
すでに顔見知りになっているコーディネーターたちと同行し、動く。
結果は・・・

いろいろと複雑なこともあり、ここには書かないこととする。
だが、支援の裏側を見た気がした。
良かれと思って行っている支援だが、
その支援がまっすぐに現地の人に届くことの難しさを感じる。
悔しいことではあるが、これが現実なのだろう。


写真は上から
村から見た海の様子
村で作っている船の様子
おうちの手伝いで魚を運ぶ少年

ボゴールでのひととき




2009年11月10日(火)

グデの帰りにボゴールへ。
ボゴールには、訓練所で語学訓練を受けた時の先生の実家がある。
昨年の年末はここで過ごさせていただいた。
以来、2度目の訪問だ。
 ボゴールは、都会すぎず、田舎過ぎず・・・
といったこじんまりとした街で、住み心地が良い。
近くの植物園に行ったり、街を散歩したり、
先生のお宅でのんびりおしゃべりをしたりしていると、
あっという間に時間がたってしまう。
 先生の家族がとても親切で、
毎回とてもよくしていただいている。

だからついつい、寄りたくなってしまうのだ!
帰りはボゴールから電車に乗って、ジャカルタまで。
日本の払い下げの電車なので、この電車に乗っていると、
東京にいるような錯覚を覚えてしまう。
もちろん窓からの風景はインドネシア
乗車している人もインドネシア人ばかりなのだが・・・

写真は上から
 ボゴール植物園Ⅰ
 ボゴール植物園Ⅱ
 ボゴールの街の様子

グデ山に登る







2009年11月6日(金)



 同期の任地へ。
国立公園に勤務の彼の任地は、
自然いっぱいの山のふもとにある。
 キャンプ場に雰囲気が似ていて、とても爽快な気分になれる場所だ。
山の頂上には、今月いっぱい?くらいが登りどきといわれていたので、
急遽行くことにした。
自分の任地はまだ雨季が始まっていなく、
雨は一滴も降っていないのだが、
この地域はもうほぼ毎日雨だそうだ。
この雨の合間をぬっての登山。
予定では山で1泊と思っていたが、
土砂降りも予想されるとの事で、日帰りで行くことにした。
朝5時出発。
まだ薄暗い中を歩き始める。
山登りは何年ぶりだろうか?
日本での山登りには、いつも前後に子どもたちがいたから、
その道のりも何とか歩くことが出来た。
子どもたちを励ます役だったから、
自分が途中でへこたれるわけにはいかなかったからだ。
日頃の運動不足もたたってか、
この道のりの長いこと長いこと・・・
一緒に行った隊員にペースを合わせてもらい、
なんとかやっと頂上まで!
ほっと一息も束の間、帰り道に戻る。
帰り道、どしゃぶりになりあわてて下る。
かなりはげしい雨に降られて、全身びっしょり。
ふもとには親切な農家さんがいて、
山道を車で送ってくれた。
なんとか同期隊員の自宅までつき、やっと気がゆるむ。

 キャンプ場で土砂降りの中、テントを張り直したり、
補強したりと過ごした日々と重なって
なんだか降られたけど楽しい一日だった。



写真は上から
グデの滝
頂上からの様子
雨に降られて

2010年1月3日日曜日

ジャカルタでの販売


2009年11月4日(火)

村の生徒たちの商品を、ジャカルタのあるお店に置いていただくことになった。
ジャカルタ在住のSV隊員から教えてもらったこのお店。
先日のマカッサルの日本人会の方々が、

口をそろえてこのお店を紹介してくれたのだった。

今日の運びとなる前に、実は9月の総会準備の時に

一度お店に寄ったことがある。
お店いっぱいがインドネシア雑貨で埋め尽くされ、一日居ても飽きない。
女性なら、誰もが気に入る店に違いないという感じ。

そういえば、大学生の頃は雑貨集めが大好きだった。
あまりにも部屋がすごくなって、友人から購入禁止命令が出て、
それからは買うのを我慢するようになったのを思い出した。
昔の血が騒ぐようなお店だ。

 今回は経営者の方に会いに行く。
会ってみると、とても素敵な方で、
思わず惹きこまれてしまった。
エネルギーに満ち溢れ、ポジティブで朗らかな印象。
 村の活動にとても興味を持ってくださり、
その場で置いていただけることになった。

 こんな風に自分の活動に関心を持っていただき、
手放しで応援してくれる人に出会えたことは、
本当に心強いことだ。

村の片隅で作った作品が、ジャカルタで販売され、
たくさんの人の手を渡って、日本の誰かに届く。

村の生徒が、日本に思いを馳せ作っている
この手のぬくもりごと、日本のみなさんに届くといい。

HARI BUTA AKSARA(識字デー)

















2009年10月29日(木)

2日間にわたって、学校外教育課の州のイベントに参加。
今年の私は、同僚に職員としてやっと認められた?せいか、
前日におそろいのユニフォームである体育着を支給された。
当日は5時にタカラールを出発し、州教育局へと向かう。

 会場では、各県ごとにブースがあり、そこで生徒たちの作品を展示・販売
とはいえ、私の県ではまだ作品らしいものはないので、
地元産業であるソンコ(イスラムの男性がかぶる帽子)や、
伝統菓子などが販売された。
 その一角に、現在手がけている携帯ストラップの展示を行う。
残念ながらインドネシア人にはあまり、馴染みがないよう。
今後販売予定の腕輪を数点置いておいたが、
そちらの方は興味をひいたらしかった。
また、実際に作品作り講座を開き、
お客さんに作ってもらうことに!
ここでは、他の郡の生徒たち(まだ教えていない郡)も興味津々で、
いつの間にかタカラール県の生徒ばかりが作品作りに励んでいた。
新しいほかの郡の生徒たちとも顔なじみになり、ちょっとうれしい。

 それから、県対抗の運動競技や、生徒や教員の能力競争?
(数学早解き・歌唱コンテスト)など
さまざまな企画があり、大賑わいの1日。
 タカラール県民として、同じ体育着を着て、県のブースに座り過ごし、
また競争では、他の職員と共に、生徒や先生方を応援する。

1年前にはたどりつけなかったことだが、
今は当たり前にこの場に自然に居ることができる。
ちょっと体育着はブカブカで恥ずかしかったけれど、
同じ体育着で歩くのは、なんとなく嬉しかった。

こんなふうに、赴任15ヶ月目を過ごしている。